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正声・一拍──嵯峨の山荘(上)

 今上(きんじょう)御位について四年。未だ宝算二十二。若く清々しき君である。


 父院ばかりか、先々帝までもが健在で、父院を新院、その兄宮たる先々帝をば本院と呼ぶ。


 仙洞が二つあるのは若い今上には気兼ねだ。理想に燃えているのに、なかなか思うように政が為らない。


 烏丸(からすま)左大臣という者がいる。


 今上が若いというので、


「ご指導申し上げん」


と、しゃしゃり出る。今上の心労は重なるばかりである。


 今上は新院の一の宮。


 母君は父院の中宮であった人で、今は皇太后宮となっている。この国母は烏丸太政大臣という人の姫君、烏丸左大臣の姉である。


 今上は皇后との間に東宮(一の宮)を儲けていたが、皇后は烏丸左大臣の姫君である。


 つまり、烏丸左大臣は今上にとって叔父でもあり、舅でもあるのだ。だから、今上は、この左大臣にも頭が上がらない。


 烏丸左大臣は、いわゆる独裁者である。


 もし、本朝の人間でなく、例えば混乱期の唐土(もろこし)に生まれていたならば、彼は必ず国君を(しい)し、自らが帝王の椅子に座したであろう。そして、暴君となって民衆を苦しめ、その恨みによって、必ず誅されたであろう。


 だから天は、争いのない本朝にこの男を誕生させたのかもしれない。とりあえず、武力を持つことのない、ただの独裁者で済んでいる。


 そうはいっても、他の公卿殿上人(てんじょうびと)地下(じげ)の役人達にはたまったものではない。苦痛を味わわされるばかりだ。それでも、身の安泰のために、皆烏丸左大臣に従っているのだ。


 だが、中には反骨精神の持ち主もいる。


 それらの不満分子どもは、どういうわけか院の庁に集まってきていた。


 新院の別当(べっとう)は幾人もいたが、その中には風香中納言周忠卿(ふこうちゅうなごんちかただきょう)もいて、この人を筆頭に、四位、五位の別当は皆、烏丸左大臣と反りが合わない者ばかりである。別当以下、院の昇殿を許された者の多くは、不満分子どもであった。


 勿論、そうでない者もいる。


 又、院司でない者の中にも、烏丸左大臣に睨まれている人はある。


 左大臣が最も目の敵にし、恐れてもいるのが四辻内大臣(よっつじないだいじん)という人であった。


 四辻殿は新院の現在の寵姫・女御寛子(にょうごひろこ)の父である。


 新院は女御を盲愛していた。


 新院は院政を行っていて、本朝の政治は大内ではなく、後院が中心。もし、女御が男皇子でも産めば、


「こちらを次の帝にするから、今の東宮など廃してしまえ」


 などとも言いかねない。


 烏丸左大臣は東宮の外祖父。何れは帝の外祖父となる筈だ。


 だが、寛子女御が皇子を産み、そちらが無理に即位してしまえば、左大臣の得るべき地位は四辻殿に奪われることになる。


 左大臣にとって、四辻殿は最も恐ろしい存在なのであった。しかも、新院別当の風香殿は、四辻殿の庶兄である。風香殿と左大臣は、敵対関係にある。


 そのようなわけで、上は後院の新院と大内の今上、下は四辻殿派と左大臣派とに分かれて、対立していた。


 それを本院が、我関せずと遠くから眺めている。


 本院の如く、どちらにも属さない公卿も稀にはいた。烏丸殿に睨まれもしないが、言いなりでもない。


 六条大納言棟成卿(ろくじょうだいなごんむねなりきょう)とは、まさしくそのような人物であった。


 公卿殿上人達の散らす火花を見て、彼はやれやれと思っている。


 彼とて、烏丸殿が正しいとは思わないが、あのようなおかしな奴に憎まれては、たまったものではない。自分が損するだけだ。いい顔を見せておけば無難と、つかず離れず、中途半端な態度をとっていた。


 おかげで、左大臣には使えない奴と思われているようだ。だが、警戒されていないし、嫌われてもいないらしい。


 棟成卿は、内大臣で近衛大将を兼ねていた人の当腹(とうぶく)の子息であった。


 叔母の常子(ときわこ)は本院の女御でもある。


 兄弟は幾人もいたが、同母兄弟(はらから)は三人。兄と弟二人がいた。


 兄の成経(なりつね)はすでに亡く、末弟も元服前に夭折している。だから、棟成卿の他には、すぐ下の弟の静性法印(じょうしょうほういん)しかいなかった。法印は早くから寺に入っており、名高き賢僧である。


 棟成卿には、数多の女君があった。公卿の姫君から家女房までと、その階級も幅広かったが、彼女達との間に多くの子女に恵まれた。


 早世したものも加えれば、彼の子は十八人にもなる。


 北ノ方は故・洞院中納言の大君(おおいぎみ)。閑人・洞院中納言が適当に、朱桜(ははか)の君と呼んでいた女性である。


 その妹君(わかぎみ)昭子(あきこ)といって、新院の東宮時代からの女御である。長きに渡って新院の寵愛を受け、五度も懐妊した。だが、悲しいことに、何れも死産や流産で、ようやく生まれた宮も夭折している。この人の腹の宮は、現在、一人もいない。


 朱桜の北ノ方と女御の姉妹は、実は新院別当・風香殿の姪にあたる。つまり、四辻内大臣の姪でもあるわけだが、姉妹の母君は、風香殿と同母姉弟なので、より風香殿と近しい間柄にあった。


 朱桜の北ノ方は、風香殿ととても親しい。だから、棟成卿も実は風香殿と親しかった。それでも、烏丸左大臣に睨まれたことはない。余程うまくやっているようだ。


 棟成卿の当腹の子は二人である。


 宰相中将(さいしょうのちゅうじょう)は今年二十一歳。


 五つ違いの妹・清花(さやはな)の姫君は十六歳だった。





 今年の秋も、もう暮れようとしていた。


 清花の姫君の女房達は口々に言う。


「是非、嵯峨の紅葉を眺めたいもの」


「この六条西洞院(ろくじょうにしのとういん)の御邸の庭も素晴らしいですが、嵯峨はまた格別」


「姫君は琴の(キンのコト)を練習遊ばすために、山荘へお移りにはならないのでしょうか」


 秋の朱はやはり嵯峨に限る。


「遠くから眺めるのもよいですが、秋を直に肌で感じるのもまた一興」


「秋の中に入ってしまうのですね」


 清花の姫君は、琴の琴の名手である。


 四歳で琴の琴を始め、呉楚派の散位政任(さんにまさとう)の七人の弟子の内の一人となった。世間ではこの七人を、「七絃七賢」と呼んで尊敬している。


 今では、この七賢も二人だけになってしまい、残りは皆鬼籍に入ってしまった。だから、余計に世の中の、姫君への敬愛は強い。


 しかも、姫君は七絃七賢であるばかりか、「五琴仙」でもある。


 五琴仙は、何参以下の南唐派五人のこと。姫君は八歳からこちらも学んでいる。


 十歳で師の何参に死なれてからは、誰にも師事せず、この七絃七賢と五琴仙の名を守っていた。


 姫君は、驕ることのない物静かな優しい人である。いつも微笑みを絶やさず、謙虚であった。


 女房たちの思いを汲んで。


「嵯峨へ行きましょうか。皆、楽しみにしているようですし。明後日は日もよいようですから、父君からお許しを頂いたら、時雨(しぐれ)心地を味わいに行きましょう。兄君にも来て頂いて、笛でも吹いて頂きましょうか」


 上局(うえのつぼね)の女房達は皆喜んだ。


 外記(げき)という女がいる。


 これは諸大夫(しょたいふ)の娘で、棟成卿家の執事を母方の祖父に持つ。大変聡明で、学識豊かな才女である。若くして棟成卿家の女房となり、「才外記(ざえげき)」と呼ばれた。やがて、北ノ方と同じ時期に身重となり、生まれてくる君の乳母(めのと)に定められた。


 つまり、この女は清花の姫君の乳母である。


 才外記は女でありながら唐文(からぶみ)に通じ、真名を難なく操った。琴の琴は真名が読めなければ弾けないが、幼くして姫君がこれを弾くのに不自由しなかったのは、才外記の指導の故である。


乳母(まま)安友(やすとも)を呼んで、琵琶を弾かせましょう。兄君の笛と合わせさせるのです。如何?」


 姫君は才外記に尋ねた。


「それは、安友が涙を流して喜びましょう」


 安友とは、才外記の子である。琵琶の才能があり、秘曲は『上原石上流泉』のみ許されているという。


 姫君の傍らにいた女房の中務(なかつかさ)も、


「それは楽しみでございます」


と賛成した。


 姫君は女童(めのわらわ)佐保姫(さおひめ)竜田姫(たつたひめ)の姉妹を呼んで、


「安友に供をするよう言ってきて」


と命じた。


 佐保姫だの竜田姫だのというのは、姫君が付けたあだ名だ。


 当家の上家司(うえけいし)左衛門尉(さえもんのじょう)の娘達であるこの姉妹は、同じ年の春と秋に生まれており、腹違いであるのに、双子のようによく似ていた。で、姫君が、春生まれの姉を佐保姫、秋生まれの妹を竜田姫と呼んで可愛がっているのである。


 竜田姫の母は、安友の父方の伯母でもあった。


 その頃、安友は渡殿の控えで琵琶を弾いていた。


 そこを運悪く天敵の讃岐(さぬき)が通りかかった。讃岐は姫君の女房だが、武門の出で威勢がよい上、口が悪い。


「やよ、緑腰(ろくよう)博士。その出鱈目な曲は何ぞ」


 案の定、讃岐は小馬鹿にしながら話かけてきた。


 心外なと、安友はついカッとなる。


「これはまさしく羽調『緑腰』ですよ。何老師が唐より伴っていらした徐大人が弾いておわしたのを、聴いて覚えたのです」


「それで?」


 讃岐は呆れたような顔をしてみせる。


「御身が九つの時のことであろ?」


「いかにも、九つの時に徐大人は亡くなりましたが、確かに『緑腰』を弾いていらせられましたよ」


「その人から伝授されたのかえ?」


「いえ……そうではありませんが……。聴いて覚えました」


 本朝に琵琶の秘曲は四曲あるが、『緑腰』は含まれない。『緑腰』は唐の曲だが、本朝には伝えられず、日本で弾ける者は一人もいない。


「この国で唯一『緑腰』を弾けるのです、この安友は」


「何が『緑腰』か。御身が作った出鱈目な曲であろうが」


 讃岐はせせら笑った。


「我が伯父は水軍を擁し、伯母は五条の刀自(とじ)と呼ばるる大商人(あきゅうど)。二人は組んで、宋を相手に商のうておるが、先日里下がりをした時、うちの目々(めめめ)が言うておったわ。目々女、御身とは顔見知りであろ?その目々女が宋に行って来たのじゃが、『琵琶弾きの宋人に会いました。その宋人は、安友の君ご自慢の曲と同じ題の曲を弾きましたが、安友の君のものと同じとは思えませんでした』と、かように目々女は言っていたが」


 使用人の口真似をして言う讃岐に、負けじと安友も反論する。


「目々御前の耳は確かなのですか?琵琶の音と村雨とを聞き分けられぬような(やっこ)なぞに、何がわかるか」


「御身の耳こそ疑わしいわ!」


 伯母の使用人を奴と言われて腹が立ったらしい。


 確かに安友は下級貴族の子だが、だからといって、大商人・五条の刀自を見下されては、我慢ならない。


「匹夫の勇」


「ほう。意味も知らずに誤って言の葉を操る、匹婦」


 やりあっていると、佐保姫と竜田姫がやって来た。幼い姉妹にさえ、二人は呆れられた。


 姉妹は姫君からの命を安友に伝えると、すぐ立ち去った。

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