乱声・一拍──幽人敏平(参)
都では。
六条西洞院の棟成公は左大臣に。その子息の右大将頼周卿は、中納言も兼任している。
右大将殿、家女房の兵衛を寵愛し、これを嵯峨の山荘に住まわせていたが、その腹に五歳の若君があった。若君は母儀とともに嵯峨にいて、すくすくと成長していた。
この山荘は長年、赤松子と呼ばれた翁が管理していた。これは、右大将殿の祖父・洞院中納言殿の乳母夫であった。若々しく長命であったが、流石に不死というわけにはいかなかった。四年前に大往生を遂げている。
その後は盲人の音仏が管理している。
だが、盲いている為、不便も多く、手助けする者が必要だった。
敏平という者がその目となり、助けていた。
右大将殿は又、この敏平に、若君を教育するよう命じてもいた。
敏平は幼少より唐文を読み耽り、漢籍に通じている。若君へ漢籍を教えるのが、敏平の役目であった。
又、音楽の大切さを知る右大将殿は、自ら若君に笛を教えていた。そして、音仏には琵琶を、敏平には琴を教えるようにとも命じていた。
それとは別に。
「汝は琵琶をもやるべきである」
と右大将殿は敏平に言った。
何故琵琶をやらなければならないのか謎だが、主命故仕方ない。敏平は音仏に師事して、琵琶を学んでいた。
ようやく近頃、掻合を教えられるようになったが、とても琴のようなわけにはいかない。琴にはかなり自信があるのだが。
敏平は現在、唯一の琴灌頂者。
呉楚派、南唐派、どちらを見ても、灌頂を授けられている人物は、敏平以外に存在しない。
敏平こそは、幼き日、菖蒲王丸と呼ばれた少年であった。
あの幼い彼も、今では二十歳のよき青年である。
菖蒲王丸が理髪したのは十三の歳の春。
彼の元服は、右大将殿の妹君の願いであった。
その妹君・清花の姫君と呼ばれた人は、長年病み渡り、己が天寿がすぐに尽きるであろうことを察していた。せめて、菖蒲王丸の成人した姿を見届けてから逝きたい。
その願いから、彼の元服が決定した。
だが、その夏、姫君は亡くなってしまった。
結局姫君は、彼の理髪を見ることが叶わなかったのではあった。その後、予定通り菖蒲王丸は翌年の春に元服したのである。
名は幾つか読み上げられたものの中から、よいものを選ぶのが通例だが、姫君の意志で、はじめから敏平と名付けることに決まっていた。故に、菖蒲王丸は敏平と改めたのである。
敏平はその後はしばらく右大将殿に仕えていた。母の讃岐も大北ノ方(従二位通子・二位殿とも)に仕えるようになった。母子は同じ邸内に局を与えられて、睦まじく住んでいたのである。
だが、その後、嵯峨の兵衛に若君が誕生すると、敏平はその教育を命じられた。母とは別れ、嵯峨の山荘に住まうようになったのである。
現在のところ、彼は無位無官であるが、将来は諸大夫となさむと右大将殿は思っている。
今、敏平を山奥の辺鄙な所へ遣るのは、敏平のためである。右大将殿はそう信じている。
実際、敏平は洛中で右大将殿の側近でいた頃よりも、現在の方が快適だった。悠々自適。
若君に学問や音楽を教えている時以外は、ほとんどが自由時間だ。この静かな山の中で、好きなだけ琴に向き合える。
洛内にいた頃の、日々雑用に追われ、ゆとりなく生活していた頃とは比べものにならない程、充実した毎日だ。
これは、当世唯一の琴灌頂者である敏平への、右大将殿の気配りであった。
衣食住には困らず、環境と時間に恵まれ、敏平の琴人生の、まさに絶頂期を迎えていると言ってよかろう。
ただ一つ不安があるとすれば、それは琴灌頂者が現在、彼一人だけということである。
素晴らしい先達がいないというのは、やはり不安だ。行き詰まった時、壁にぶつかった時、救いの手を差し伸べてくれる人達が、全員死に絶えていることは、まことに敏平にとっても琴界にとっても、不幸なことである。
彼の師、清花の姫君が亡くなって。呉楚派の名手は存在しなくなった。敏平だけとなった。
一方、南唐派は兼保と円慶法橋の二名が存命していた。
敏平は呉楚派だが、南唐派も学んでおり、南唐派についても、灌頂を受けて血脉に載った者とそう変わらない程、奥義を知っていた。
師の死後は、兼保と法橋と親しく交わり、素晴らしい教えを得ていたのだ。
しかし、兼保は師の亡くなった二年後に亡くなり、法橋も四年前に亡くなった。つまり、南唐派の灌頂者は、四年前にいなくなったのだ。
そして、四年前から呉楚派、南唐派合わせても、灌頂者は敏平だけになってしまったのだった。
敏平の知名度は低い。
円慶法橋の死後、世間では久しく、琴灌頂者は全滅してしまったのだと信じられていた。
それが、最近、嵯峨の奥地に灌頂者が一人いるらしいという噂が立ち始めた。
そうした噂を耳にした者の中には、琴をやってみたいと望む者も稀にはいるらしい。
白河の太皇太后宮の半物が、去年、敏平を四方八方探し回って、ようやく見つけて訪ねてきた。
太皇太后宮は仙洞の院の皇后だった人だが、院は大変琴を好む君であった。その御代には琴が大いに流行った。また、院は唐人・何参を歓待し、重用した。勾当内侍を政任に弟子入りさせたり、自身も琴を学ぼうとした。だから、琴が今日のような衰退の一途を辿ることになって、最も悲しんでいるのは、院その人であろう。
院はよく太皇太后宮へ、かつての琴人達のこぼれ話を聞かせては、懐かしそうに昔を偲んでいた。
太皇太后宮も琴には興味があった。御姪を琴の天才・七絃七賢の韶徳三位殿に娶せたのは、他でもない、太皇太后宮その人である。
結局、姪君と三位殿は合わず、破局してしまったし、三位殿も今は勅勘の人となってしまったが、かつては三位殿と姪君との縁組みを、誰よりも喜んでいたのであった。その太皇太后宮が、今なお琴への憧憬を持っていたとしても、不思議はない。
かつての琴灌頂者の一人で、七絃七賢の帥殿の弟子であった済平朝臣の縁者を、御側近くに置いたのも、それ故のことである。
その縁者たる半物、以前は宇治の入道と呼ばれる人の弟子であった。入道は帥殿の弟子だった人物である。
敏平の噂を聞きつけ、入門を請うてきたことに、敏平は運命を感じた。
この済平朝臣の縁者にして太皇太后宮の半物には、明星というあだ名があった。
彼女は右大将殿の若君以外の唯一の弟子である。去年から度々白河より出向いて、琴を習いに来ていた。
明星の容貌の素晴らしさは、喩えようもない程であった。
敏平の亡き師・清花の姫君には、実は夕星の君というあだ名があった。つけたのは姫君の祖父君の洞院中納言殿で、姫君をその名で呼んだのは、唯一その祖父君だけではあった。
しかし、敏平は亡き姫君にそんなあだ名もあったことを思い出し、夕星と明星と、まことに対をなすものであると思った。
在りし日の師の絶世の美を思う。
夕星は宵の金星。
明星は暁の金星。
あれほど美しかった清花の姫君に、おさおさ劣らぬ娘があろうとは。敏平も正直、驚いている。
そして、明星はさすがに済平朝臣の血筋だけあって、なかなかの才能であった。
亡師は必ずよき弟子を持ち、育て、灌頂を授けて後継者を育てよ、必ず絶えさせてはならない、きっと再び盛り返らせよと遺言したが、この明星ならば、師もきっと後継者として認めてくれるに違いない。
最初の弟子に恵まれて、敏平は幸運を感じていた。
未だ挫折を知らぬ、春の時を生きていたのである。
そんなある時。
稽古のために山荘を訪ねてきた明星。この日彼女は敏平の人生を変える、運命の言葉を告げた。
「先日、大宮(太皇太后宮)に院が渡らせられた時のことです。院は大宮より、わらわが琴をすることをお聞き及びになっておわしましたそうで、ご下問がございました。『おもとが師は何処の何者か』と。それで、師の君のことをつい申し上げてしまったのです。院は、『なおまだ灌頂受けし人が野に隠れ住んでいたとは知らなんだ。喜ばしきことである。これこそ天のご加護なれ』と、おん涙を流されながら、お喜びになりました。世間では、師の君の存在を知る人もありますれど、院の御耳にまでは届いていなかったようにございます」
明星は我がことのように喜んだが、敏平は気恥ずかしくなった。
「まだ弱冠の身、腕もなく。ひたすら修業に励むべき時です。それなのに、院の御耳に我が身が知れるとは、実に恥ずかしいことです」
だが、悪い気はしないらしい。
明星はなお喜々として言う。
「それで。実を申しますと、院には近々、七十の御賀が予定されております。その後宴の青海波の舞などの後に、師の君の琴を是非お聴き遊ばしたやと、お望みなのでございます」
「えっ?」
敏平は我が耳を疑った。
明星は笑って繰り返す。
「師の君には何卒、院の御前にて琴をお弾き下さいますよう」
「そ、それは……」
さすがに敏平も青ざめた。
「敏平、確かに幼少より琴を好む者ではありますが……院の御前にて奏でる程の腕はありません。まして、宝算七十の華々しき御賀に、雲上の百官居並び給う処で、何で無位無官の下品の者が御前に推参して、琴など奉れましょうか。ご無理を仰有いますな、明星の君」
「ああ。そんなことですか。お安いご用で」
何故か変に独り合点に頷いて、明星は帰って行ったのだった。
明星は白河の大宮御所に参ると、さっそく太皇太后宮に申し上げた。
「御意は敏平に伝えましたが、敏平は無位無官の地下人が、推参することは憚られると遠慮して、御意に従おうとしませぬ」
「無位なるか?」
「はい。父は諸大夫でありましたそうな。母も家女房にて」
「六条の左の大臣の家司であったの?」
「はい」
「なれば、話は早い」
太皇太后宮はそう言って、すぐに院へその旨を伝えた。
翌日、仙洞御所へ六条左大臣殿が呼ばれた。
何事かと驚く左大臣殿へ、院はまず。
「棟成よ。我が娘の女御は息災でおわすか?」
そう切り出した。
左大臣殿の娘・棟子は、院の女御である左大臣殿の叔母君によって、育てられていた。そして、帝の女御として入内する折、院の猶子となったのである。左大臣殿の実娘の棟子は、院の御娘でもあったのだ。
「こなたとの仲に、何の遠慮やある。互いに女御の父であるに」
改めて院はそう言った。
「思えば昔から、琴が好きだった。棟成の当腹の娘が、絶世の美人で琴の天才と評判だった故、我が后にしたやと願ったことさえあった。その人が密かに弟子を持ち、灌頂まで授けていたとは。何故、左様大事なる事を教えなんだか。その琴の上手、聞けば棟成の家の者だそうだな。何故、推挙もせず、無位のままにしておくのか」
「それは……」
左大臣殿は驚いた。何で院ともあろう御方が、当家の一家人なんぞをご存知なのか。
左大臣殿の傍白を察して、院はふふと笑った。
「千里眼での。この目は天に通じておる」
などと冗談を言う。そして、ついにはかかと笑い、
「実は大宮の半物がその者の弟子らしうての。それで噂に聞いたのだ。そこで思い立った。今度の七十賀の余興に、その者を召して琴を弾かせたいと。されど、無位のままでは、その者もきまりが悪かろう」
「や。院には、我が家の敏平めをお召しになると……?琴を弾かせ奉ると?」
左大臣殿の驚き声は、まるで辻風に一瞬にして家を吹き飛ばされた人のようだった。
「何をそう驚いている?この身は既に退位の身なるぞ。帝と違い、自由もある身。いやいや、万乗の位にあった時から、無位の者どころか、異国の民の何参を連日清涼殿の庭に召して、琴を弾かせていた自由人なのだ。ましてや今は仙洞。所は宮中にあらず。召し出す者も地下人とはいえ、この国の人間ぞ、あはは」
と、院は意に介さない様子。
「ですが、七十の御賀とは」
「何や、祝の席に相応しからざる器量の者か?棟成の娘は、そんな下手な者に灌頂したのか?」
「いいえ。とんでもない。敏平は確かに器量の者にございます。ただ……」
「何ぞ?」
「琴人と申すは、世に僻める者ばかりにて。院七十の御賀の席でと聞けば、敏平めは臆して怯え、山奥に逃亡するやもしれませぬ」
「そういうものなのか?」
「はあ」
「ふうむ」
と、院は思案顔に、
「そういえばそうだったな。かの政任も人間嫌いだったし、何参も突然、奈良に移った。その弟子どもも皆、引っ込み思案ばかりで。こなたの娘も入内が嫌で、病にかかったのう?」
などと言う。
最後の部分はふざけて言ったのだが、左大臣殿には耳が痛い。
愛娘のことである。まずい冗談を口にした。空気を変えようと、院はさりげなく、
「いやいや、確かに。琴人は華々しいことを好まぬようだ。わかった。七十賀の後宴に召し出すのはやめておこう。が、琴の音を久しぶりにどうしても聴きたい。七十になった祝いに、その敏平とやらに琴を弾いてもらいたい。琴の灌頂を受けし者なればこそ、この身の七十を祝ってもらいたいのよ。七十賀も後宴も終わった暁にでも、そっと庭に、こなたが連れて来てくれぬかの?その者には位を授けよう故」
と、本題を言った。
左大臣殿はやはり驚きつつも、感激した。
「まことに勿体なき、有り難き仰せ、棟成、言葉も見つかりませぬ」
左大臣殿はそう言ってひれ伏した。そして、いつまでもそうやって拝み続け、決してその面を上げようとはしなかった。
その日のうちに、左大臣殿が慌てて嵯峨に吹っ飛んできたのは、言うまでもない。
既に夜になっていた。
敏平は琴の練習中だったが、左大臣殿は構わずずかずかと押し入ってきて、喚き散らした。
「よいか。こうなったら、何が何でも院に琴をお聴かせせねばなるまいぞ。断ることは決して許されぬ。必ずやり遂げよ。よいな!おことは琴の腕は確かなのだから、何も臆することはない。院のご所望になる曲を、自信を持ってお聴かせすればよいのだ」
敏平は仰天して狼狽した。だが、主君に命じられては、辞退することはできない。
やるしかないのだ。
やるのだ。
失敗は許されぬ。必ず成功させねばならぬ。
やるのだ。やり遂げるのだ。職人根性だ。
もはや敏平には恥じらう暇も臆する暇もない。
何を所望されてもよいように、ありとあらゆる曲を、人前で演奏できる状態にしておかねばならぬ。完璧に仕上げておかねばならぬ。
根性だ。
そう己に言い聞かせて。
十日の後には、敏平は六位を賜っていた。
もう逃げることはできぬ。




