乱声・一拍──幽人敏平(弐)
貴姫君が信時朝臣から水晶の玉を貰った三日後のことだったか、小菅という女が訪ねてきた。
小菅は都人である。上野殿の北ノ方の侍女であった。
北ノ方は高貴な人で、その身分に相応しく、おっとりおとなしい女性であった。上野殿との間に一子・藤若を儲けている。
北ノ方は口数少ないので、不満は全て小菅が代弁していた。貴姫君のもとを訪ねてくるのは、上野殿の側室達への鬱憤、恨み、不満を訴えるためである。
貴姫君は信時朝臣の北ノ方。つまり、上野殿の義妹だ。小菅は貴姫君はこちらの味方となるのが当然だと思っていた。
上野殿の側室達には色々な階級の女がいた。小菅には上野殿が手当たり次第に感じられて、それさえ不愉快だ。だいたい、北ノ方は高貴な人だ。普通に考えたら、上野殿などが近づくことさえ許されないような。そんな身分の人が、わざわざ上野くんだりまで嫁いできてやったというのに、側室を持つなんて失礼だろう。小菅はそう思っている。
小菅は、
「何だって殿は側室なんぞを!」
と、悔しそうだ。
貴姫君は静かに言った。
「殿方が側女を置くのには、三つの理由があるのでしょう」
「三つ?何ですか、それは?」
小菅の声は刺々しい。
貴姫君は上野殿の義妹だから、今の小菅にとっては一応は主筋ということにはなろう。だが、小菅にとっての本当の主筋は亡き烏丸殿であり、その御子の太政大臣俊久公である。上野殿さえ、小菅には同輩以上程度にしか思えないのに、まして貴姫君なぞ。ただの罪人の娘ではないか。その父はかつては羽林であったかも知れぬが、烏丸殿には比べものにならないくらい家格は落ちる。
小菅にとってどうということはない存在に過ぎぬ貴姫君が、大層らしいことを言う。黙って北ノ方に服従して、側室達を黙らせておけばいいだけの立場のくせに、生意気であると、小菅は内心では思うらしい。
「そうです。三つです」
負けじと貴姫君も胸を張った。
「一つは政略的な理由。他勢力と手を組むためには、縁戚関係になるのが一番。二つ目は北ノ方に御子がない場合。御子がなければ、家は絶えます。いま一つは恋。こればかりはどうにもならないことですね」
「で?」
「政略的なもの。これは身分ある人である限り、必ずついて回る婚姻です。上野殿がお望みでなくとも、どうしても迎えなければならないこともある。好みも望みもありません。どうにもならないことですね。二つ目の理由も、どうしようもないことです。嫌でも迎えなければならないことでしょう。子は父にも母にも似るものですから、容姿、性情、ともに優れた女人からは、優れた子は生まれやすいかもしれません。故に、女人の人柄を見定めてから、迎えるものでしょう。好みの女人を選ぶことが多いでしょうね。三つ目は、言うこともありません。好きになってしまって、迎える女なのですから」
「うちの北ノ方には、御子はおありになりましてよ?」
「そうですね。上野殿が二つ目の理由でご側室をお迎えになったことはないでしょう。私が思うに、上野殿がお迎えになったご側室は、一つ目の理由だけではないでしょうか」
北ノ方が嫉妬する理由なぞない筈だが。これで、もし嫉妬しているなら、器が小さいと思ってしまう輩も出てくる。
「……」
小菅は悔しそうな顔をした。言い返す言葉が見つからないので。
小菅が日々腹立たしく思う女達。中でも、危機を感じさせる二人の女。
一人は、上野の豪族の娘で、父親は千代野とか呼ぶらしい。この女は上野殿の次男の亀若を産んでいた。
千代野の姉が信濃に嫁いでいて、ここは大武士団を形成していた。姉の嫁ぎ先と実家は、深く手を結んでいる。つまり、姉の嫁ぎ先の大軍は皆、千代野の軍と言っても過言でないほど、千代野に臣従していた。
また、姉の嫁ぎ先の軍を欲した上野殿は、そこの娘を側室に迎えていた。鶴菊御前と呼ばれている彼女には、子がない。
だからなのか。実家同士の結びつきが関係しているのではあるが。鶴菊御前は千代野と親しく、実家と共に千代野を後押しして、亀若を上野殿の後継者にと画策していた。
もう一人、小菅が危険視している女。
それは、右京大夫の曾孫・堀川殿である。右京大夫は上野殿の祖父・治部卿の兄で、早世したのでその子孫は零落していた。堀川殿は幼い頃から太政大臣俊久公家に仕えていた。
上野殿とは同族である。
同族の女性ならば、自分の利益よりも、家の繁栄を第一に考えてくれるだろう。
北ノ方はそう考えた。北ノ方を支え、藤若を盛り立ててくれる人が欲しい。千代野と鶴菊の勢力に対抗する為に。
堀川殿を都から呼び寄せたのは、北ノ方であった。
事実、堀川殿は北ノ方に従順であった。北ノ方と狡猾な側室達との間に入って、奥向きのことをよく纏めていた。家督争いは家の損失。彼女はそれを防ぐことに力を尽くした。
娘を産んだが、相変わらず北ノ方に従順だったし、北ノ方も継子を可愛がった。堀川殿なら、男子を産んでも北ノ方を支えてくれるだろう。生まれた子は、藤若を補佐するよき武将となるだろう。堀川殿なら、そう教育する筈だ。
北ノ方は堀川殿を信頼していた。
しかし、堀川殿は男子の万寿を産んでから、変わってしまった。万寿を上野殿の後継者にと望み、北ノ方や藤若への態度を変えてしまったのだ。
小菅はむすっとした顔のまま言う。
「確かに殿は、一つ目の理由でしか側室を迎えていないでしょう。でも、問題のある女ばかり。だから、わらわはこうして腹を立てておりますものを」
「子供の価値は母の身分。義姉君の御腹の若君がおわしますのに、どうして側室の子などが後継ぎになれましょう」
貴姫君は北ノ方をわざと義姉君と呼んで、そう言った。
小菅はむっとして、
「お言葉ですが、そのわかりきった事が、あの女どもには通じぬので。その無秩序さ故に、わらわは御身に相談しているのでしょうが」
と言い返す。
貴姫君はなおも言った。それで小菅は完全に怒った。
「それとて、義姉君は側室達への不満を口にはなさらぬ。左様な些細な事、歯牙にもかけぬとお思いだからです。誇り高い御方ですから。側室達と違って騒がず、鷹揚としていらっしゃるからこそ、家臣達もその器量に感服しておりますのに。おもとが騒げば、折角の義姉君の大器が損なわれましょう。義姉君の腹心のおもとの言葉は、義姉君のご本心を代弁した物と見なされ、義姉君も側室達と同様だと家臣達に思われてしまいます。だいたい、義姉君のお側にいるおもとが、義姉君が御心痛にならぬよう、何かお感じになったり仰せになったりする前に、先回りして問題解決しておくのが本来でしょう」
「んまあ!私が怠慢だとおっしゃる!」
「まあ私の責任でもありますが。おもとは最低でも、側室達の悪口は言わぬことです」
「ええ!もう結構!!」
小菅はばっと立ち上がり、出て行こうと踵を蹴る。それを、
「小菅の君!」
と貴姫君は呼び止める。構わず歩を進め始めた背中へ、
「子供の価値は母の身分。誰でもわかっていることです。秩序が乱れれば家は滅びる。家臣達は馬鹿ではありませんよ、皆よくわかっている。少し家臣達を信頼してみたら如何です?」
と言った。
小菅の足がぴたりと止まった。
「義姉君はね、家臣達を信頼していらっしゃるのよ。だから何もおっしゃらないのです、きっと」
「え」
小菅は振り返った。
その両目へ、貴姫君は頷いてみせる。
「ただまあ確かに、地面と臣下と兵とを持っている側室は厄介ではあります」
貴姫君がそう続けると、再び小菅はその場に腰を下ろした。
「亀若君の母儀ですか?」
「ええ。身分は低いけれど、力は持っています。その実家の富と兵力の凄さは恐ろしい。その力を振りかざして攻撃してきたら……」
「それに堀川殿も。殿の一族故、家の子郎党達から尊敬されています」
小菅は先程までとは語気も声色も違い、案じて言う。
「そうですね。堀川殿には兵力はありません。でも、皆に尊敬されている。皆、万寿君を粗略には扱いますまい。でも、大丈夫。法化党は亀若君なぞ認めませんから。信濃勢が亀若君をこそと攻めてきても、法化党の兵力には勝てない筈。家臣達も勝てない方にはつきませんよ。皆、法化党の意見に従う筈。私の兄が藤若君と言えば、家臣達も藤若君に臣従します。家臣達に尊敬される堀川殿ですが。北ノ方への尊敬はもっと凄いものです。藤若君を追いやってまで、万寿君を立てようという発想は、家臣達の誰にもないと思いますよ」
「そうでしょうか?」
「そうですよ」
貴姫君は溜め息をついた。
子供など。一人の女が健やかな男子を一人だけ産めば、それでよい。子供など、男子が一人だけいればよいではないか。何で複数、しかも腹違いなのが必要なものか。
貴姫君はそう思ったが、その言葉は内にしまって出さなかった。




