正声・十八拍──白芙蓉(拾壱)
そして、五月三日。琴灌頂の当日となった。
清花の姫君は韶徳三位殿の遺した著書・『止息灌頂次第』に従って、灌頂を開始した。
琴の灌頂は秘曲・『広陵止息』の伝業のこと。
鳳勢や神々への拝礼が終わると、先ず『広陵止息』の曲目解説を始めた。
「『広陵散』、または『広陵止息』。散は嘆の意味。嘆、止息とは、仏の楽のこと。昔、後漢の頃に、唐土の広陵地方で行われていた仏の楽なので、『広陵止息』というのです。明石の辺りに住むさる高名な琵琶法師が、ある人の弾くこの曲を聴き、極楽の曲だと感涙したとかいう話がありますが、なるほど『広陵止息』は仏の楽です。ところが、後漢の末頃から、どうしたわけか聶政の伝説と結びつけられるようになります。聶政を知っていますか?」
「はい。一応」
「後漢末期の『琴操』の中に、『聶政刺韓王曲』という曲が収録されています。この曲と『広陵止息』が結びついたようですね」
聶政の伝説には異説もあるが、姫君は『聶政刺韓王曲』に記されている伝説を語った。
「聶政は父なし子でした。成人後、母に、父は何処かと尋ねました。母は韓王に殺されたのだと答えました。鍛冶だった父は、韓王の剣を作るのが遅れたのでした。それを理由に殺されたのです。聶政は復讐しようと王宮に赴きましたが、失敗したので、泰山に逃げ込みました。そこで仙人に会い、琴を学びます。体に漆を塗り、炭を呑んで、姿も声も変えました。そして七年後、下山しました。すっかり容貌は変わっていたのですが、途中たまたま夫人に会ってしまったのです。聶政は自分であることを隠したのですが、夫人は、その歯が逃亡中の夫に似ていると言います。聶政は絶望し、再び泰山に戻ります。そして、歯を打ち砕きました。三年後、再び下山して王宮を目指します。今度は誰一人、聶政と気付きませんでした。琴を弾いていると、それが韓王の耳に届きます。韓王は聶政とも知らずに、彼を呼びます。聶政は韓王のすぐ目の前で琴を弾き、歌い、隙をついて、琴の中に隠していた剣で、ついに韓王を刺殺しました」
「っ!!」
「ですが、王を殺せば死罪になります。しかもその罪は本人ばかりではなく、親にまで累が及ぶのです。聶政は母に累が及ぶことを恐れ、顔の皮を剥ぎ、体を斬り刻み、その上で自害しました。全くどこの何者か素性がつかめません。その体は市中に曝されました。聶政の母には、それが我が子であることがわかりました。その体にすがって泣き、そのまま絶命してしまいました」
「……」
「父の敵に報いるというのが、この曲の伝説です。『史記』ではそうではありませんね。厳仲子に頼まれ、韓の宰相・侠累を刺殺する。その後、顔の皮を剥ぎ、体を刻み、見分けがつかない姿になって自害するのは同じです。そして、姉が名乗り出て、聶政の傍らで死ぬのです」
菖蒲王丸はそら恐ろしくなって、鳥肌が立った。恐ろしいような、おぞましいような。
漆を塗って、腫れ上がった聶政の体。その体中を斬り刻み、面皮を剥ぎ、目をえぐり出し、腸を掴み出し、その苦患に、砕けた歯の隙間から、炭を呑んだために嗄れてしまった声を絞り出している。
そのおぞましい様、呻き声がまざまざと目の前に浮かんでくる。
吐きそうだ。それを話す姫君が、しごく平然としているのが、また恐ろしい。
「父の敵を殺すために、ここまでする。そして、母を守るために、そこまでする。いったいどうしてこんなに激しい怒りが生じたのでしょうか。失敗しても、何度も何度も挑む。決して潰えはしない憤り。聶政は復讐するためだけの生涯だったのです。いったい、何のために生まれてきたのでしょう。殺された父のために、自分の命をかけて、人生をかけて復讐するなど。……そして、その子の孝も無駄となりました。母は悲しみ、命をなくした。母の命を守るために、子は自害したというのに。何というひどい曲なのでしょう……」
復讐心とは、こんなに凄まじいものなのだろうか。こんなに怒りとは、悲しみとは、いつまでもいつまでも続くものだろうか。
聶政とは、何と激しい。何と熱い。何という信じられない人か。
菖蒲王丸には到底理解できるものではない。
血に酔ったように、目眩さえ覚える菖蒲王丸。しかし、構わず姫君は続ける。実に今の姫君は異常なほど元気だ。
「後漢の末期から三国魏にかけて、この伝説が『広陵止息』の中に組み込まれました。国君への反逆と激しい憎悪、復讐を扱った曲なので、公の場で弾くことは憚られます。ですが、曲そのものは広陵らしい旋律です。漢の時には但曲としても演奏され、琴曲として編曲したものを、魏の頃、発展させたものだそうですよ。ある人から嵆中散(名康、字叔夜)が伝えられた時には、四十一拍(段)まで拡大されていて、大曲となっていたそうです。さらに序引があったそうです。いずれにせよ、極楽の曲と感ずる人もいるくらいで、ひたすら激しいばかりでもありません。気がふれているとしか思えないところも、延々と続いたりもします」
姫君はそう言うと、調絃を始めた。
「慢商調です。正調の商絃(第二絃)を緩めたもの。商絃を緩めて、宮絃と同じ音に合わせます。これもまた、君主への反逆を意味する調絃ですね」
菖蒲王丸もようやく正気を取り戻し、慌てて姫君に合わせて調絃する。
曲の内容が帝王への復讐であること、帝王を意味する宮絃と臣下を意味する商絃とを同音に調絃すること等から、反逆の曲であるということが、菖蒲王丸にもわかった。
三国時代は秘曲扱いだったらしいが、今、我が国に於いてもこの曲が秘曲であるという、その理由は十分分かる。これを公然と弾けば、帝への謀反と見なされる。
だが、この曲の伝授が灌頂だとは。琴界とはいったい……。
調絃を終えると、さらに清花の姫君が、
「あなたは『文撰』も読んでいましたね?嵆中散のことは、よく知っているでしょう?」
と問うた。
竹林の七賢の一人、嵆中散が『広陵止息』を弾いたことは、『文撰』を学んでいれば誰でも知っていることである。菖蒲王丸も勿論知っていた。
「はい、存じております」
「では、その最期のことは?」
それは、彼は知らなかった。
三国時代の魏の嵆康は字を叔夜といったが、中散大夫であったので、嵆中散とも呼ばれる。
この人は「臥龍」と称された程の才人で、殊に琴に秀でていた。
ある時、秘曲『広陵止息』をある人より伝授された。「古人」であると名乗ったその人物は、あの伝説の音楽の創始者・伶倫であったともいう。その「古人」は、決して誰にも伝授してはならぬと言って、『広陵止息』を教えた。嵆康はその約束を守り、生涯この曲を誰にも伝授しなかった。
嵆康には呂安という友人がいた。この呂安の兄は悪人で、ある時、呂安の妻を酔わせて姦通した。その上、どさくさに呂安を訴えて、どういうわけか呂安は無実の罪で捕らえられてしまった。呂安を弁護することになった嵆康だが、これまたどういうわけか、捕らえられてしまった。
当時の魏王朝は権威失墜し、司馬昭に牛耳られていた。後に司馬氏は魏皇室から禅譲されて晋王朝を築くわけだが、嵆康の妻は魏の皇族の女性(曹林の娘)だった。司馬一族には、それも目障りだったのだろう。
さらに、嵆康を「臥龍」と称した鍾会(字士季)は、自分と嵆康を好敵手だと思っていた。だが、嵆康には無視され、そのことを恨んでいた。讒言したらしい。
そのために、嵆康は捕らえられたのだと言われている。
多くの人々が彼の無実を訴えた。だが、当人はまるで他人事。全く弁解しない。それで、結局は処刑されることになってしまったのである。
処刑の日、刑場で嵆康は『広陵止息』を弾いた。処刑場で、死の直前に、聶政伝説のその曲を弾いたのだという。
「以前、孝尼にこの曲を伝授して欲しいと頼まれたことがあったが、誓いを守るためにそれを拒否した。今、自分が殺されることにより、この曲も絶えてしまう。それだけが心残りだ」
そう嘆いて、死んで逝ったのだという。
「結局は、嵆中散以外にも『広陵止息』を弾けた人は数名存在したわけです。こうして今でも、譜が伝わっています。はるばる海を越えて、本朝にまで伝わったわけですから」
そう言って姫君は莞爾と笑った。
何だか眼光がいつもと違うように感じた。姫君の瞳の色は、こんなふうだったか。
いよいよ姫君は楽譜を出した。菖蒲王丸の前に広げる。姫君自身は全て暗譜しているのだろうが、教える都合上、楽譜は出している。
菖蒲王丸、今日の琴は文王。
対する姫君は、秋声。
姫君、秋声を撫で。さて。
憤懣と怨念に満ち溢れた、帝王刺殺の叛逆の秘曲を伝授し始めた。
五月五日。邸のそこここに菖蒲が散見し、蓬や薬玉も見えるのに、西の釣殿だけは殺風景なままである。
清花の姫君は巡ってきた修羅の時に、二度苦しめられた。割れそうな頭。猛火の如き熱に、骨まで焼き尽くされるかと思われた。
見ている菖蒲王丸の方が卒倒してしまいそうな程、壮絶だ。
だが、悶絶し、呼吸も止まってしまった時でさえも、灌頂への執念は凄まじいものだった。思わず腰を浮かせかけた菖蒲王丸に、
「ならぬ!」
と叫んだ。
「このまま息絶えるなら、それも本望。この場から一歩たりとも、外へ出てはならぬ。余人と会うことなど、断じて許しませぬ!」
「で、でも、医師を……」
「かまいません」
壮絶な闘病を目の当たりにして、この楽への執念と聶政の怨念とが、重なって見えてきた。姫君を見ていると、それが聶政に思えてくる。
菖蒲王丸は姫君がよくなるのを待った。が、姫君は少しの休憩も許さず、
「私の身が落ち着くまで、教えたことを身に付けてしまいなさい」
と、息も絶え絶え、そう命じるので、一瞬たりとも休めなかった。
姫君は傍らに文箱三つ分はありそうな大きさの蒔絵の箱を置いていた。その中に、美しい貝が入っている。貝の中身はあやしげな薬物である。姫君はそれを、躊躇いもなく飲んだ。
これを飲むと、苦痛も飛ぶらしい。苦痛が苦痛とわからない、そんな異様な状態になっている。
姫君は再び教授し始める。
小康状態だったり、地獄の業を受けたりしながらも、ようやく五月五日の夜も更けた。
日も改まって、五月六日の夜明け前。やっと灌頂は終わった。
終わった途端、力尽きて姫君はその場に倒れ込み、意識を失ってしまった。




