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正声・十七拍──鳳勢(拾弐)

 大乘党が下野に侵攻したという。武蔵守時有は、速やかに応戦しているようだ。


「戦局は時有が有利なようでございます」


「ま、そらそうだろ」


 常陸法化党の経実は、珍しく狩衣姿で簀の子に腰掛けながら、庭の小鳥に目を細めていた。


「また出陣してやるか」


「は?また大乘党に加担してやるので?」


 そう言って小鳥を睨んだのは、こちらも狩衣姿の希姫君だ。


 こうやって二人並んでいると、どちらがどちらやら分からない。


「兄上!」


「いや。此度は大乘党に力を貸してやるのではない。前の時わかったのよ。時有と教理が戦をしている最中なれば、桜町館は奪い返せるとな。よくよく策を練れば、奪還できる筈だ。此度はそのよい機会が巡ってきた。我等がために出陣するのよ。大乘党を助けてやるのではないわ」


「しかし、それで、貴姫君の身に……」


「希姫君っ!!貴姫君の命、もう諦めよ!それに、貴姫君は信時の妻として生きるのだろう?あれは敵になったのだ。儂はもう妹とも思うておらぬものを。儂には妹は、おもとしかいなかったのだ!いい加減にしないか!」


 経実に叱られて、希姫君はしゅんとなった。


 兄はどうして、そんなにきっぱり貴姫君を諦められるのだろう。あっさり捨てられるのだろう。男だからなのか。そこが男と女の違いなのか。


「よいか。絶対に忘れるでない!何があろうと、この世で一番の敵は烏丸左大臣なのだ!天と地がひっくり返ろうとも、日が西から昇ろうとも、奴だけは許さぬ!何があろうと奴に屈服することだけはない!!どんなに善人であっても、奴の血筋だというだけで悪だ、塵だ。時有との和議は絶対にない!よいな!?」


「……はい」


 そのようなわけで、希姫君は経実として下総に出陣した。


 法化党の特徴は、出陣と決めたら、翌日にはそれができてしまうことだ。そして、戦場に到着するのも恐ろしく速い。


 平時でも、常にいくつかの軍を順番で臨戦態勢にしている。出陣となったら、それらを先鋒隊として、出撃させるのだ。


 今回の出陣もあっという間だった。そして、また船を使って香取海や水路、川などを移動したから、桜町館への到着の速さも異常だった。


 法化党は出陣さえ敵に気づかれることなく、桜町館を攻撃、奪還に成功した。


 一方、大乘党は時有に蹴散らされていた。さんざんであった。


 やむを得ず退却することになったが、頭の教理は何故か不敵に笑い、


「法化党への借りは返したな。いや、下総を取り返させてやったのだ、かえって貸しができたな。この貸しは必ず返させてもらおう」


と、まるで法化党のために出陣してきたように言った。


 彼の場合、敗走には見えない。


 そのふてぶてしさが、周囲には心強いのでもある。






 桜町館を奪還した希姫君は、久々の桜の群だちに感涙していた。


 まさかこの春、満開の花の中で、愛する妹が敵と永遠の愛を誓ったとは思いもしない。


「ああ。ここで貴姫君は敵に生け捕られて、生き恥をさらさせられ、今、敵の閨で辱めを受ける日々を過ごしているのだ」


 感涙は哀れな妹を思い、たちまち悔し涙に変わる。


 自分がもし、貴姫君の立場だったらと考えただけで、ぞっとした。日々、貴姫君の珠のような肌を弄る汚らわしき男。想像するだけでおぞましい。自分だったら、堪えられない。


 想像しただけなのに、気持ち悪くなった。戦場で敵の血しぶきを舐めてしまった時のように。


 激しい吐き気に、その場にうずくまった時、


「殿!殿!」


 伝令が走ってきた。


 姫は青い顔を辛うじて上げた。


 戦場でのこのような姿はしばしば目にする。伝令はまたかと思って、


「殿、おかしな輩が通りまする。もしや大乘党では?」


と、さりげなく自分の任務だけをこなした。


「大乘党?まさか攻めてくるのか?」


 意外な報告で気が逸れたか、姫は平静に戻った顔で訊いた。


「いいえ。小勢です。まさかあれで攻めてきたりしないでしょうな」


 いくら大乘党が盗賊でも、そこまで無謀、愚かとは思えない。


「ふうむ。見てみるか」


 姫は立ち上がった。


 伝令は、大丈夫ですかとも言わない。姫が歩き出すと、黙って後ろをついて来た。


 歩くと気が紛れるものである。いつしか気分の悪さも薄れ、物見櫓まで来た時にはけろっとしていた。


「殿!」


 雲門入道がいた。


「何事だ?」


「は。まずは櫓へ」


 入道に導かれ、櫓の階を上がる。


 櫓の上には爽やかな風が吹いていた。


「殿、あれをご覧下されませい」


 入道の指差す所。渡瀬川からの水路の向こう岸に、三十騎ばかりが、こちらに向かって走ってくるのが見えた。


「何だあれは?」


「は。大乘党でございましょう。逃げてきたのに違いありませぬ」


「逃げて?そうか?」


 姫は首をひねった。どうも逃げているのとは様子が違う気がする。


 それに。


「方向が違うではないか。何故こちらに逃げてくるのだ?白河はこちらとはかけ離れておるぞ」


「はあ。確かに」


 だから皆、先程から首を傾げているのでもある。


「何なのでしょうなあ」


 入道がそう言っている間にも、大乘党はこちらに向かってきて、とうとう橋を渡ってきてしまった。


「なんと!構え!構えいっ!!」


 慌てて入道は大声で号令した。


 門の周囲の弓隊が一斉に矢をつがえる。


 けれど、さらに大乘党は橋を進み、堂々とこちらに侵入してきた。


 中の一人と目が合った。


 姫は矢に射抜かれたように、動けなくなった。


 将旗を掲げている。不敵なその男は、にたりと笑った。


 負ける。


 恐ろしい。必ずこの男に負ける、そう予感した。


 大乘党の教理。


 負ける……


 櫓の希姫君をじっと見つめる教理。


「顔を拝みにきたぞ、経実」


 にたにたと笑い続けている。目を全く逸らさず。じと、と見ながら。


「何か要求があるのでしょうか。匿え、とか……?」


「……て」


「は?」


「放てい!!」


 不意に希姫君が叫んだ。


 一斉に館内から矢が放たれる。


 外の大乘党は矢の雨に襲われた。


 けれど、教理はなお姫から目を逸らさず、さらに不気味に笑いながら、太刀で矢を払っていく。


 矢自らが教理を避けているようでさえあった。矢は少しも教理には中らない。相変わらず、姫を見つめたまま、


「ふははははは!」


 さも愉快そうに、教理は声をたてて笑った。


「経実っ!!気に入ったぞ!」


 教理はそう喚いて、


「それっ!」


と手綱を操り、退却して行った。手下どもが一斉にそのあとに続く。


「追えい!追えい!!逃がすな!」


 櫓の上からがなり散らす雲門入道の隣で、希姫君はがくがくと膝から崩れ落ちた。


「こわい……」





 時有は激怒した。


「おのれ、経実!」


 大乘党なぞ、もうどうでもよい。


 経実はただ頑ななだけではなかった。こちらが人質を一族に加え、軟らかい態度をとっているのに、これはどういうことか。貴姫君を信時の妻としても、なお和議に応じぬ経実を、それでも怒らず慇懃に接してきたではないか。


 だというのに、ただ和議に応じないばかりか、桜町館を奪うなど。


 断じて許せぬ。


 牧邸に帰還した時有は、さっそく重臣達を集めると、その評定の席上で怒鳴った。


「もう我慢ならぬ!向こうの宣戦布告に応えてやるまでよ!人質を血祭りにあげ、常陸に攻め込んでくれる!」


 皆の顔も一様に怒っていた。


「貴姫君を殺せ!そしてその首、兄がもとに送りつけてやるのだ!」


 皆頷いた。


 そして、そうしながら全員が、時有ではなく信時を見た。一人、俊幸だけがおろおろと、


「殿、それはいくら何でも!若君がお気の毒です!」


と、反論する。


 すると、信時の乳父である房清でさえが、


「何を言うか、ご老体。人質を娶られた若君だ。いつもそのことは覚悟なさっている筈。それに、まだ娶られてから日も浅い。まだ情も移ってはおわすまい。今のうちなら、若君もお気の毒な思いはさほどなさるまい」


と言うのだ。


 他の者も、房清の発言を当然としているようだった。


「んな……」


 俊幸は乳父に対して、絶句してしまった。これが乳父の言うことか。俊幸は信時を見つめる。


 かわいそうに、彼の面に血の気はない。やや俯き加減のその顔は、驚きと恐れに満たされている。両の肩は微かに小刻みに震えているような。


 時有はふうっと一つ大きく息をついた。


「……信時、おことはどう思うか」


「……」


「房清の言う通り、貴姫君はおことの妻だが、人質。こうなることも覚悟の上であろう?」


「……確かに、世の常にございますれば……されど……」


 信時は俯いたままだ。突き上げてくるものは悲しみか。怒りか。それとも、迷いか。


「……貴姫君は……身ごもっております」


「なに?」


「貴姫君の御腹には私の子が……貴姫君を殺せば、子も殺すことに……」


「殿っ!」


 呆気にとられていたのに、すかさず俊幸は、


「若君の御子を殺しますか?」


と言った。


「……」


 絶句。余りなことに、時有は何も言えなくなってしまった。

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