正声・十七拍──鳳勢(拾壱)
六条内大臣殿の妻室は中納言三位局(朱桜の北ノ方)ばかりではない。他にも幾人もあった。
その中で、姫君一人を産んだ人がいる。中納言三位局と比べても、そう低くはない家柄の女性であった。ただ、父を早くに亡くし、母の家にはそれほどの経済力がなかったので、貧乏をしていた。
さて、その権北ノ方、姫君を産んで暫くは元気だったのだが、姫君五つの折、お産がもとで亡くなってしまった。
五つの姫君を一人、浅茅生える荒れ屋敷に置いておくわけにもいかないので、内大臣殿は引き取って手元で育てようと思った。
だが、やはり内大臣殿には中納言三位局への遠慮があった。この姫君を、六条西洞院邸に迎え入れることはできなかった。
そこで、叔母の女御常子に預けることにしたのである。
内大臣殿の叔母君とはいえ、年齢的に見れば、姉のような人である。
この人は本院の女御であった。残念ながら、本院との間に御子には恵まれなかった。
で、女御にとっては、歳の近い甥の娘を引き取り、手元で育てる事は、とても嬉しいことであったのだった。世の母親の気分というものを存分に味わい、姫君の成長を日々楽しみにしていた。
本院も女御のもとを度々訪ねては、愛らしい姫君に眼を細めていた。
本院は何故かどの后妃とも御子ができず、寂しい思いをしていた。だから、この姫君を、まるで実の御子のように可愛がっていたのであった。
この姫君、諱を棟子という。
内大臣殿はこの姫君を、異母姉の清花の姫君のかわりに入内させることを考えていた。
皇后宮の明子は、内裏を退出している。
今ならば、帝は新たな女御の立后を考えるかもしれない。そうなれば、后宮は嬉子と棟子の二人ということも。
──と、そこまで考えて、やはり棟子を入内させようと決意した。
だが、棟子を入内させるという事を、やはり北ノ方には言い出せない。中納言三位局はずっと清花の姫君を后宮にするつもりで、一心に育ててきたのであるから。その清花の姫君の入内を諦めて、別の女との間の娘を入内させるとなると、彼女が黙っていないのは当然であろう。
どうしたものかと悩んでいた時、女御が、
「私の子として入内させればよかろう」
と言った。
そして、そこからどんな具合で話が進んで行ったのか、気がつけば、棟子は院の猶子という扱いで、入内することになったのである。
そうなっては、北ノ方とて文句は言えない。入内は院のご意向であるわけだから。
帝としても、怒りたいところではあった。あれほど切に願っていた清花の姫君ではなく、代わりの姫君なのだから。そんな女を送って寄越した内大臣殿を恨みたい。
しかし、院の御子が院の意志で入内するとなると、帝とはいえ、逆らうことも怒ることもできない。
院は帝の伯父君である。無敵の帝とはいえ、さすがに本院への遠慮は持っている。
斯くして、六条内大臣殿の娘で本院の猶子──清花の姫君の妹は入内したのだった。
ついでに内大臣殿は、家女房との間にできた娘を中宮嬉子の御前に参らせ、仕えさせることもした。
大納言局と呼ばれるこの娘が帝の眼に留まることを狙って、中宮のもとに送り込んだのである。
棟子が女御として入内を果たした頃、清花の姫君はなお病み患っていたが、幾分かは回復していた。
自分で琴を弾くことはまだできなかったが、比較的気分のよい日には、菖蒲王丸を召し、少し稽古をつけたりしている。
だが、以前帝から下賜された呉楚派の伝来品を、まだ一度も手にとったことがなかった。ご下賜のあった日の夜に、吐血してしまったから。
ある日、南唐派の兼保が見舞いにやってきた。
この人、前にも何度か来ていたのだが、いつも面会謝絶だった。
先頃、刎頸の友の蔭元朝臣が病没し、悲しみも癒えぬうちに、今度は姫君が重病だというので、兼保は気が気ではなかった。
見舞いを続けて数回。ようやく対面が許されたので、兼保は心底ほっとしていた。
御簾越しに聞こえてくる姫君の声は弱々しいが、兼保が考えていたよりは回復しているようである。
「大分よくなりました。ご心配をおかけして、申し訳ありません」
「ほっと致しましたよ。姫君の御身にまで万が一のことあらば……私はもう生きてはいられません」
兼保はつい蔭元朝臣を思い出すのか、俯いた。
その時、菖蒲王丸が簀子の端に現れて、両手をついた。
「菖蒲王丸、参りました」
「お、菖蒲王丸か」
その小さな者の姿に、兼保の傷心は癒えるのか。彼の口元に笑みが浮かんだ。
菖蒲王丸を呼んだのは姫君である。
菖蒲王丸には呉楚派を主に教えている姫君だが、昨年八月十五日の南唐派の琴会に同伴してからは、菖蒲王丸も南唐派の門弟達に可愛がられるようになっている。
「どうかな。稽古は順調に進んでいるかな?姫君の病中にも、毎日休まず自分で練習しているか?」
兼保は気さくに話しかけた。
「はい!」
少年もこの人が好きなようである。人懐つこい愛くるしい笑顔で返事した。
「そうか、そうか」
満足げに兼保は頷いた。
二人のやりとりを御簾内から見ていた姫君は、
「中務」
と、彼方に控える女房を呼んだ。予め言いつけてあったのだろう。呼ばれて、中務、
「はい」
と答えると、そのまま立ち上がり、塗籠の中に入っていった。
すぐに大きな箱を運んでくる。箱は三つもあった。中務は御前と塗籠の間を三往復して、またもとの席に戻った。
目の前に置かれた三つの豪奢な箱に、目をぱちくりさせている兼保へ、姫君は言った。
「以前、主上より私へ下し賜った呉楚派の名品です。実は、未だ箱の中をあらためていません。賜った品の目録も作りたいのですが、私の体ではまだ無理で……菖蒲王丸にやらせようかとも思いましたが、幼い故に心許なく。もし宜しければ、御身にお手伝い願えませんでしょうか」
兼保は恐縮した。
「いや私なんぞがそのようなことをさせて頂いて、罰が当たりますまいか」
と、唾を飲み下した。だが、本音は興味津々だった。他派の国宝を自ら手にとって見ることが叶うのだから。これはまたとない絶好の機会だ。
「兼保、是非お手伝い申し上げたい」
「よかった。お手数ですが、お願い致します。菖蒲王丸」
と、姫君は簀子にうずくまっている少年を御簾の側まで呼んで、箱の蓋を開けさせた。
こうして、兼保と菖蒲王丸の目録作成が始まった。
その間、姫君は、
「失礼して……」
と、その場を離れ、自分の病床に戻って休んでいた。
兼保は大学頭行実が唐より持ち帰った物を記した目録や、広仲が作った呉楚派伝来品の目録を見ながら、箱の中のもの一つ一つを見当していった。
その作業に夜までかかり、それから目録を作ったので、目録が完成した時には一晩明けていた。
姫君の兄君から礼を施され、兼保が帰ると、さっそく菖蒲王丸は姫君の病室まで来る。
だが、姫君はまだ眠っていた。来客に疲れたのだろう。
少年もそう思って、中務にできたばかりの目録を預けると、彼も自分の局に下がって眠りについた。
姫君が目覚めた時には、既に午近くになっていた。
起きると、中務から目録を手渡される。
姫君はさっそく、床の上に座り、小袿を肩にかけて目録に目を通した。
しかし、視力まで落ちたか、霞んでよく見えない。だが、めげずに字を睨んでいると、暫く後にはかすみも晴れて、見えるようになってきた。
目録。
まず、文王の琴。
それから、歴代の琴式を記した『琴式図』。
左右の手の奏法を絵にした『手勢図』。『右手指法』及び、『左手指法』。『琴用指法』。
幾人かの幾種かの字譜を紹介した、曹倫の『字譜集』。『調絃』と『調意』題の書、それぞれ三書ずつ。さらに、曹倫が独自の減字法を用いて記した『調意』題の楽書一つ。
楽府の詩集三十冊。
琴歌譜集七冊。
譜の中には、後漢の蔡ヨウの『琴操』を魏人が写した物の写本も含まれていた。原本は行実が帰朝した折、二張の琴、三種の譜とともに朝廷に献上された。今、その二張は「寨公」、「優曇華」と呼び名をつけられ、『琴操』の原本とともに、宮中で大事に秘されている。『琴操』の原本は宮中に献上してしまったので、行実が写した物を呉楚派では代々受け継いできた。今、姫君にご下賜があった『琴操』は、行実の写本の方である。
『琴操』の他には。
『陳懐琴譜』、『劉氏周氏琴譜』、『陳拙琴籍』、『琴暦』を曹倫式減字法で記したもの、文字譜で記したものをそれぞれ二種ずつ。
「……『陳拙琴籍』と『琴暦』を、唐人が原本から直接写したものがあった筈だけれど、それはまだ宮中にあるのかしら。賜ったものは、曹大人(曹倫)がご自分のやり方に書き直されたものの方であるようだけれど……」
姫君は、後でやって来た菖蒲王丸相手にそう言った。
また、琴書の類も『琴説』と他三つくらいしかなく、行実帰朝時にはもっと沢山あったのに、時代が下るにつれて、随分散逸してしまったようだ。
他に、行実の弟子のための著書や、伊定が初心者から上級者までが難易度に合わせて段階的に学べるように編んだ譜集、曲の難易度ごとに分類して曲名を記したものや、政任の著書、為長の理論書の数々もあったが、全てではない。
できたばかりの目録を見て、何とも言えぬ顔をしている姫君を見、菖蒲王丸は、
「主上はほんの一部下さっただけなのかな」
と考えていた。
だが、帝が出し惜しみしたということでもあるまい。なお宮中に残してあるものもあろうが、多くは散逸したのだろう。山奥の、生きてか死んでかも分からない政任が、持って行ったものも数多ある筈だ。
だが、姫君がどうしても腑に落ちないことが一つだけある。
「菖蒲王丸。目録に書き損じがある筈はないけれど、洛神図はやはりなかった?」
「洛神図?」
「美しい女神の絵なのです。まるで生身の人のように、活き活きとした姿をしておわしますとか評判の、傑作です」
「いいえ、そんなものはありませんでしたよ。大事なものなのですか?」
「ええ。とても」
と、姫君は打ち沈んだ。洛神図までないとは。
「行実朝臣は、邸の西の対の脇に八角堂を建てて、琴堂となさったそうです。その琴堂の中央の奥に、陰陽師に命じて祭壇を設けさせ、そこに羲和と鳳勢の二張を安置し、その正面の壁に件の洛神図を掲げて祀っていたとか。以来、洛神図は代々呉楚派の当主によって、受け継がれています。洛神図を持つことは、呉楚派一者の証」
姫君は、どうにかして洛神図を呉楚派の手に戻さなくてはならないと思った。
洛神図は韶徳三位殿が持っていたのだ。件の事件で没収されたに違いない。
「今は宮中に納められている筈なのです。呉楚派の最も大事な物の一つです。どうにかして、手元に置きたいものですが……。宮中にあるのであれば、まあとりあえずは安心ですが」
姫君のその言葉を、幼い菖蒲王丸はしっかりとその小さな胸に刻み込んだ。
その三日後の月の輝く晩、姫君は菖蒲王丸に碣石調『幽蘭』を伝授することにした。菖蒲王丸がいつどこで覚えたのか、諳んじて歌えることのできた曲である。姫君はそのことに強く衝撃を受け、この童子を弟子にすることを決意したのだ。
菖蒲王丸にとっても、そういうわけで特別な曲であるから、これを伝えられることは頗る嬉しいことであった。
姫君は病床から起きて菖蒲王丸と向かい合って座り、調絃する。
雅楽律(俗楽古律に同じ)にて。太絃の宮絃(第一絃)は黄鍾。商絃(第二絃)は太簇。角絃(第三絃)は姑洗。徴絃は蕤賓。羽絃は林鐘。文絃(第六絃)は南呂。武絃は応鐘。
「では、撮の手だけ教えましょう。他の部分は私もよく弾いていますし、その節は覚えているでしょう?自分で練習して、弾けるようにしておきなさい」
終わりの方の譜を出して指す。
「左手の食指と大指、十二徽で汎音を。右手は大指と中指で商絃と武絃を撮し、そのまま宮絃と文絃を撮します」
姫君を真似て、菖蒲王丸も左手の人差し指と親指とで十二徽の所で倍音を出す。その時、右手は親指と中指で商絃と武絃を同時に弾き、左手はそのままにして、右は同指で同様に宮絃と文絃を一緒に弾く。
「次は、左手の食指と大指をそのまま十一徽にまで移して、汎音を。右手は同様に商絃、武絃を撮、そしてそのまま宮絃文絃を撮。このように、商絃武絃間、宮絃文絃間で行うのです。次はこれを十徽で行いましょうね」
菖蒲王丸は言われた通りに左手を十一徽から十徽へ移し、右手は同様に商武絃を同時に弾いた後、宮文絃も同様にした。
「次は十一徽に戻して、今度は宮文、商武、宮文と三度やります」
言われた通りにやった。
「そう。それでよいのです。これがこの曲の撮の手の部分です。今度は譜を見ながら、一人でやってみなさい」
譜を見た。曹式の減字譜ではなく、今日は文字(文章)譜を使用している。
食指大指倶汎十二大指中指斉撮商武又撮宮文食指大指移汎十一亦斉撮商武又撮宮文食指大指移汎十亦斉撮商武又撮宮文食指大指移汎十一斉撮宮文又撮商武又撮宮文
菖蒲王丸は姫君の兄君・宰相中将殿に習って、漢籍を勉強している。
彼は譜を見て、すぐに弾くことができた。
「宜しいでしょう。これができればもう問題ありません。あなた一人でできます。もし、練習していてわからないことがあったら、遠慮せずに言いなさい。この譜はあげますからね。少し横にならせて下さいますか」
疲れたに違いない。姫君はそっと病床に横たわった。
側に女房は一人もいない。琴を弾く時は、いつも皆遠ざけられている。特にこのようなあたら夜は。
上局には菖蒲王丸の母・讃岐などの数人の女房が控えている筈だが、菖蒲王丸は敢えて呼ばず、袿を掛けてあげながら、
「もうお寝み下さい」
と言った。
清花の姫君と菖蒲王丸。このような日々が続いていた。




