正声・十七拍──鳳勢(伍)
最近、頻りに大乘党と法化党との間を、使者が行き来している。
どうやら大乘党が、法化党と手を結びたいと言ってきているらしい。
「経実はなかなかうんとは言わぬらしうございますが。何でもそれで、大乘党は陸奥の在庁に仲介を頼んだらしく。陸奥の在庁からも経実へ、使者が遣わされたそうでございまする」
政氏からの報告に、時有は焦った。
上野、牧邸。
時有は寝殿に家の子郎党を集め、今後の対策を決定するべく、皆の意見を求めていた。
つい先日、大乘党と戦ってみて、思いの外、大乘党が強いことを実感した。
さらにそこに、いきなり参戦してきて戦局を混乱させた法化党。これはもう、恐ろしいばかりだ。
この法化党と大乘党が手を結ぶと、とんでもないことになる。
「なんとしても、大乘党と法化党が手を組むことだけは、阻止しなくてはならぬ。我等が軍を率いることになった元々の理由は、大乘党などの盗賊を滅ぼすが為だ。私欲のために勢力を広げることではない。盗賊でない武家とは、協力して盗賊を討とうというのが当初の目的だった。だというのに、何故今、法化党と戦ばかり繰り返しているのだ?」
時有は言った。
本来ならば、法化党とは協力し合わなければならなかったのではないか。
「法化党と手を結ぶべきは、我等の方だ。そして、共に大乘党を討ち果たさなくてはならない」
しかし、ここまで関係がこじれては、そう簡単には和議など無理だろう。
「経実にとって、かなりの好条件でなければ、無理でしょう。下野一国をくれてやるとか。それくらいでないと」
時有の傍らで、ずっと黙っていた信時がそう言った。
「なんだと、下野一国丸々だと?」
「それくらいのことをしなければ、経実は頷きませんよ。何としても我等と手を結ばせたい、共に大乘党を討ちたい、いや、そうする以外に我等の生き残る道がないなら、国一つくらい、どうということはないでしょう」
「……」
「法化党にとって、桜は特別なもののようです。桜町館で常棣の宴を開くことが、経実の望みでしょう。下野なんぞもらうより、下総の方が喜ぶのではありますまいか」
「……桜町館を返却するのか」
呟くように言って、しばし考え込んだ時有だった。だが、やがて悩んだ末、
「よし。そうしよう」
と決めた。
桜町館を返却する。それを条件に、こちらと和睦して欲しい。
時有は法化党に使者を遣わし、そう申し入れた。
しかし、法化党の経実はそれを拒絶した。
使者はよくよく説得に尽力したらしいが、経実の心を動かすことはできなかった。
そこで時有は、再び使者を遣って、
「貴姫君と三亥御前の命がどうなってもよいのか」
と伝えた。
すると、その数日後、経実の使者が手土産を持ってやってきた。
土産は首級だった。時有が経実に遣わした使者のもの。
「好きにしろ」
経実は言った。
人質を殺したければ、殺せばいい。
余りな経実の行動に、時有は怒りも忘れてしまった。
陰で重臣達はこそこそ言い合った。
「いくら烏丸の大臣の御意だったとはいえ、木工助を殺してしまったのだから、こうなっても仕方ない。木工助のことは殺さずにおけばよかったのだ」
「今回のことも、人質を殺すと脅すのではなく、返却してやればよかった。上野介殿はそのように進言なさったらしいが」
「法化党を恐れ、戦も途中で投げ出してきた殿であるというに、何故かように居丈高な交渉を遊ばしたものか」
陰口の有無など知りもしない。時有は再び皆を集めて、何か良い案はないかと尋ねた。
しかし、悪口はできるくせに、皆良策を持っているわけではない。あの意固地な経実を頷かせるような名案など、思い浮かばない。
家臣達の期待も大きい信時でさえ、何も思いつかなかった。
ところが、ここに一人だけ妙案が浮かんだ者がいた。
「畏れながら……」
言ったのは俊幸だった。普段、ろくでもないことしか言わない老人である。
「なんだ?」
やや投げやりに時有は訊いた。
「はあ。こちらが先に、温情を示したら如何でしょう。敵意ある脅しでは、経実を頑なにするばかりです。皆もそう思うであろうが?」
と、家臣達を見回したので、皆俄かに冷や汗をかいた。
まさか、自分達の時有への悪口を、この耄碌爺は暴露するのではないかと思ったからだ。
どの眼も泳いでいるのを、一人時有だけは不思議そうに見ている。
そんな人々の様子に気づいているのかいないのか、相変わらず飄々とした顔で、
「我が一門と──」
と、老翁は続けた。
俊幸は時有の縁者。故に家の子である。我が一門とは、時有の一門という意味だ。
「我が一門と、法化党の血を引く子が生まれれば宜しかろう」
「……?」
「つまり、貴姫君に我が一門の子を産ませるのでござる」
「なんだと!?」
思わず声を張り上げたのは、信時だった。
「おおじ、何を言ってるんだ!」
「そんなに驚くことではございますまい」
と、かえって信時の反応に驚く俊幸である。
政略的婚姻。常套手段ではないか。しかも、効果は高い。
「貴姫君の産んだ和子が主となれば。経実とて伯父です。手を貸そうとするのでは?」
「それもそうだな」
賛同したのは時有だった。
見れば、集まった家臣達も皆、なる程という顔をしている。不服らしいのは信時だけだった。
「貴姫君を我等の内の誰かと婚姻させる。その上で、姫君が子を産んだら、その子を当主にすると約定しよう。経実に再び和議を申し入れよう」
「それは!」
言いかけた。けれど、その先を信時は続けられなかった。恐ろしくて。
だって。
一門の誰かの子を当主とするなど、内紛のもとではないか。
時有にもやがて子ができるであろう。時有の子が、その後継となるのが自然だ。
内紛など、恐ろしい。
皆もそれをわかっている筈だ。
では、どうすれば内紛は起きないか。その答えを信時も皆も知っている。だから、信時は恐ろしい。
内紛も恐ろしいが、それ以上にそのことが恐ろしい。若く、甘いこの男には──。
内紛を避ける方法。
それは、貴姫君の産む子が、時有の子であることだ。
ところが、数日後、和議の使者はすごすご帰ってきた。
やはり、駄目だったのだ。
「けっ。口では何とでも言えようぞ。妹との婚姻だと?我等と縁戚を結ぶだと?妹の子を主に据えるだと?誰がそんな出任せ信じるものかよ。そんな餌に食いついたりなんぞしないね、儂は」
疑り深い経実はそう言って、和睦を突っぱねたという。
「法化の経実、なんて奴だ……」
時有は呆れた。
これはもう、貴姫君との婚姻を先に行い、既成事実を作って、
「これでどうだ。もう我等と貴殿とは親戚だ」
と示さなければ、駄目なのではないか。
貴姫君を一門中の誰かの妻にしてから、経実に改めて和議を求める。その時有の策に、皆は同意した。
成功するかわからないが、やってみよう、と。問題は、誰が貴姫君の婿となるかであった。
その晩、時有は久しぶりに酒を飲みたいと思った。
たまたま残っていた俊幸と百園入道、房清、政氏を呼んで、酒を酌み交わすことになった。
暫く酒の味を堪能していた五人であったが、美酒は酔いが回るのが早い。皆ほろ酔い気分で、軽口も出始める。
誰からともなく、噂の女の話になって、
「そんなに好い女なれば、連れてきて、殿の側女にでもしましょう」
などと、房清が言う。
「やめてくれ、北ノ方に恨まれるのはたくさんだ。あれは怖い女なのだから」
と、時有が冗談なのか本気なのか、深刻そうな表情で言う。
この席上、いつしか貴姫君の話題となったのは自然なことだった。
「さても困ったことよ、経実め」
「誰がその経実めの義弟となるのでござる?」
「ううむ。貴姫君は美人だが、あの経実を義兄に持たなければならんとはなあ」
皆そこで笑った。
皆笑いはしたが、信時の思ったことと同じことを考えている。
つまり、家の安泰のためには、貴姫君の子は時有の子であることが望ましかった。
「ま、殿に犠牲になって頂くしかありますまい」
まだ酔ってはいないのか、房清が真面目に言った。
「経実を兄上と呼ぶのか?」
大分酔ってきている時有はそう言いながら、「嫌だごめんだ」と言わんばかりに、手をひらひらと振った。その仕草が異母兄・時憲によく似ていることに、本人もこの重臣達も気づいていない。
「殿が嫌じゃと仰せなら、某が賜りとうござる」
笑いながら百園入道が言った。そして、言い終わると、堪えきれず吹き出した。そうなると、笑い上戸なこの入道を止めることはできない。
腹を抱えている入道の隣で、俊幸がぶつぶつと言った。
「おぬし、妻子があるではないか。いくら一族の端くれとはいえ、殿ならまだしも、おぬし如きの、しかも妻子ある身となれば、その妻になど法化党が納得するかよ」
「心配召さるな。身分の高い貴姫君を嫡妻にして、今の妻はただの妾に致すこと故。あはははは」
と、なお笑っている。
「殿。入道に姫君を下さるというなら、某に下され」
俊幸が大真面目にそう言ったものだから、入道ばかりか全員吹き出す。
「何と、ご老体。確かに貴公の細君は既に他界しておわそうがの。だが、その歳で、あのような若い娘をかよ。ははは、まだまだお若い」
と、入道が言えば、
「老いらくの恋にて候や」
と、政氏も言う。
俊幸は、
「失敬な!」
と、本気で怒りだした。
「まあまあ、そう怒るな。俊幸の心までをも奪う、あの貴姫君の妖香がいけないのだ。かく言うこの身も、あの姫君なれば、嫌ではない」
時有はそう宥めた。
「殿が権北ノ方とされるのが望ましきことです」
房清が真面目にそう言うのを、俊幸は目の隅で睨んだ。
房清は信時の乳父のくせに、何も気づいていない。俊幸は、もしも自分が貴姫君をもらったなら、信時に与えようと思ったのだ。
時有が信時と同じ心であるのなら、時有のことも応援したい。だが、時有の心はどうか。どの程度か。
俊幸は胸が苦しかった。
時有は焦っていた。
一刻も早く、貴姫君を妻としなければ。法化党が大乘党と手を結ぶ前に。
そう焦って、翌日、もう東殿に貴姫君を訪ねていた。
姫は傍らに乳母の松枝を侍かせていた。御簾越しなので、時有からは二人の姿は見えない。
「珍しきこともあるものですね」
松枝がこそと言った。
時有が訪ねてきたことは一度もなかった。
だから、何かとてつもない大事があったに違いない。姫は処刑さえ覚悟した。
「姫君は人質です」
時有はこう切り出した。
「みどもは姫君の兄君を畏れ、尊敬しております。みどもが都より下向したは、盗賊を滅ぼし、荘園を守り、民を守るため。大乘党は何としても討ち果たさねばなりませぬ。そのためには法化党のお力が不可欠です。我等は正義。また、法化党も正義。正義同士、共に手を携えて邪に立ち向かいたいのです。みどもは姫君の兄君と和睦したい。そこでです、姫君」
そこで一度、時有は唾を飲んだ。
「姫君に、和睦の縁を結んで頂たい」
「……私に?」
時有の次の言葉で、姫の人生が決定付けられてしまうことを、彼女自身悟った。
「姫君……あなたはこの時有が妻となるのです」
時有は少しも感情の伴わない声、表情だった。
「よいですか。姫君は人質です」
異を唱えることは許されない身だ。
人質の姫が異を唱えれば、姫は殺される──だから、思わず叫び声を飲み込んで、松枝は血が滲むほど激しく唇を噛み、堪え続けた。
一方、傍らの貴姫君は淡々と、
「かしこまりました」
と返答している。
「よし」
それで終いであった。
時有はすぐに席を起って、出て行った。
信時はそのことを知った。
彼の胸の内たるや──
信時は、胸の奥深くの経の巻物を、潰れるほどに握り締め続けていた。




