正声・十六拍──菖蒲王丸と碣石調幽蘭(伍)
東国で時有達が戦に明け暮れていた頃、都の清花の姫君は、平穏平凡な日々を過ごしていた。
その日、姫君が休んでいると、幼い者の声で碣石調『幽蘭』らしき節を歌っているのを耳にした。
びっくりして見てみると、菖蒲王丸である。
「まあ、どうしたの?その歌は?」
姫君は尋ねた。
菖蒲王丸は無邪気に、
「よくはわかりませんけど、どこかで聴きました」
と答えた。
「聴いただけで覚えたの?」
何だか、散位政任の幼少の頃の話を聞いているようである。
政任も三つ四つの頃に『幽蘭』を聴き覚えて、全て諳んじて歌っていたという。
菖蒲王丸のはほんの一部分だが、それでも聴いただけで『幽蘭』のような複雑な旋律を歌えるのである。
父の房雄が弾いていたのを覚えたものか。房雄も琴を嗜んだ人。『幽蘭』を弾くとは、よほど達者だったのだろう。
「菖蒲王丸、琴を習いたいですか?」
姫君は、以前兼保が弟子を持てと言っていたことを思い出していた。
この子を弟子にする覚悟をようやく決めた。
菖蒲王丸はこくりと頷いた。
「わかりました。では、あなたを私の琴の弟子にしましょう」
「はいっ」
菖蒲王丸は大喜びで返事した。
「あなたには呉楚派を教えなければなりません。必ず呉楚派の灌頂を授けますから、そのおつもりで精進なさい」
「はい」
「呉楚派の方を伝授しますが、南唐派も比較しながら教えます。今度の中秋節に、南唐派の会合があります。それに連れて行きますから、それまでに基本的なことは全て身につけておくように。いえ、阮籍の『酒狂』くらいは弾けるようにしましょう」
厳しい稽古が始まろうとしていた。
姫君はこれは宿命だと思った。何が何でも、灌頂を授けなければならない。
近頃、暫く前まで体じゅうに漲っていた元気が、嘘のように消えていた。反動で、かえってだるく、重苦しいくらいだ。讃岐が戻った頃からである。
しかし、そんな体の不調などはね返し、どうにかしてこの幼子を、ひとかどの上手に育てなければならない。
清花の姫君の、菖蒲王丸への琴の稽古が開始された。
姫君は琴卓を二つ用意させ、向かい合わせに置かせると、その上に一張ずつ琴を載せる。
その琴卓を前に菖蒲王丸と向かい合って座り、上局には母の讃岐だけを召していた。
菖蒲王丸の琴卓には、開元十一年の雷氏製無銘琴が置いてある。いつも姫君が、練習用に愛用しているものだ。
姫君側の琴卓には、秋声があった。
「こなたの前にあるものは、開元無銘雷氏琴と俗に呼ばれている琴です。唐琴で、開元十一年の刻字のある雷氏が製作したもの。呉楚派の流祖・大学頭行実朝臣が唐より持ち帰った琴で、その後、我が師の政任朝臣に伝えられました。政任朝臣は弟子の帥殿にこれを譲りましたが、帥殿は早世だったので、再び政任朝臣の手元に戻ったのです。その後、広仲の君に受け継がれ、広仲の君から私に伝えられました。私は日々、この琴で練習してきましたが、今日よりはこなたのものです。この琴で、毎日練習しなさい」
開元無銘雷氏琴を、いきなり下賜されると聞いて、驚いたのは菖蒲王丸ではなく、上局の讃岐だった。
だが幼児は他愛ない。
「有難うございます」
礼儀正しく笑顔で言った。
「では、始めましょう」
姫君はそう言うと、両手を前に出した。
「琴はこの両手を使って弾きますが、左右四指ずつ、八指で弾きます」
そして、右の人差し指で左の親指を差し、
「これは大指」
と言い、次に人差し指を差して、
「食指」
中指を、
「中指」
薬指を、
「名指」
と言った。
「普通、無名指と言うものですが、琴では名指と呼びます。そして」
と、小指を差して、
「これは禁指と称して、この指では弾きません。この指は不動。決してこの指を使ってはなりません。人間の汚れたもの、煩悩を全てこの指に封じ込めるのです。そして、残りの四指だけで弾く。左右同じことです」
と言った。
菖蒲王丸も己の両手を見て、ふうんと思った。
幼いながら、琴学の奥深さを、指一つのことでもう感じ取っている。
「琴は半ば学問ですからね。楽として楽しむ以前に、色々面倒な喧しい決まりごとがありますから、厄介だと思うかもしれません。でも、そのうち慣れるでしょう。頑張りましょうね」
「はい!」
やる気は十分。素直なよい子であると、姫君は目を細めた。
「琴をご覧なさい。広い方は琴首、狭い方は琴尾。必ず琴首を右に置きます。絃は七本。遠い方から手前に向かって、順に絃が細くなっているでしょう?一番遠い太い絃を宮絃、その隣は商絃、次は角絃、次は徴絃、その次を羽絃と称します。手前の細い絃は文絃、武絃と言います。宮から羽までの称は五声に等しく、文武が異質であるのは、琴の成り立ちと関係があります。琴は元々は五絃の楽器であったのです。それを、周の文王と武王が二絃加えて、七絃の楽器になったというのです」
菖蒲王丸は太い宮絃から順に、武絃までをかき鳴らしてみる。
「実は呉楚派は宮、商、角、徴、羽、文、武と称しているのですが、南唐派は宮絃を第一絃、商絃を第二絃と称し、順に第三絃、四絃、五、六、七絃と称しており、譜にも数字で絃名が記されています。呉楚派の譜には宮とか商とか書いてありますが、南唐派は新しい流儀なので、簡潔にする工夫を施したのでしょうね」
「へえ。そうなんですか。数字の方がわかりやすくてよいですね」
「ところがそうでもないのです。第一絃、宮絃のすぐ外をご覧なさい」
「丸い点がついていますね。さっきから気になってたんです。数えたら十三あるけど、これは何ですか?」
「徽といいます。琴首、つまり右側から順に第一徽、第二徽、第三徽……琴尾・左端のが第十三徽となります。譜に、この一から十三までの数字を書き込みます。呉楚派の場合はよいのですが、南唐派だと、この数字が絃なのか徽なのか、慣れるまで判断が面倒かもしれません」
なるほど、確かにややこしいかもしれない。
菖蒲王丸は宮絃の第一徽を押さえてみた。左手で押し、右手で絃を弾く。随分高い音が鳴る。神仙が鳴っている。
そのまま手を滑らせ、第二徽を押さえる。六律下の音が鳴る。双調である。
飛ばして、第五徽を按ずれば、丁度その下の双調。
第十徽はずっと低い勝絶。
最後に左手を離してどこも押さえず、開放絃にしてみると、さらに六律下の神仙が鳴った。
「宮絃を神仙になるように調絃すると、どこも按じない時(開放絃)──これを散音といいますが──当然これは神仙になります。七徽五分、四徽、一徽で神仙が鳴ります」
菖蒲王丸は、言われた通りに散音で神仙を奏でる。次に七徽五分の辺りで、散音より上(十二律上)の神仙。四徽でさらにその上の神仙。一徽でもう一つ上の神仙が鳴った。
「話は少し戻りますが、琴は筝のように、地に置いて弾くことはありません。膝の上に載せてもよいのですが、このような卓等、台の上に置いて弾きます。理由は。琴首をご覧なさい。琴首の端を額と称しますが、その左側の僅かに高くなった部分を承露と称します。承露の上に七つの孔がありますね。これを絃眼と称し、絨剅というものを通して、七本の絃それぞれと結びます。絨剅というのは、軫に巻きとめているそれ、その淡緑の紐です。軫をまわすと調絃ができます。琴を弾く時、軫が台の右端から外へ出るようにします。こうすると、軫を回すのによいし、絨剅を下に垂らせるので、これが地につくことがありません。琴を置く時、楽器全体を完全に台の上には置かないように。必ず右端の琴首をやや台の外に出し、絨剅を垂らすように」
「はい」
「では琴の奏法に移りましょう。座る位置は、身体の中心が第五徽の前にくるように。禁指、つまり小指は左右どちらも使いませんが、曲げてはなりません。だからといって、余計な力が入らないように、腕は楽に、脱力して。琴の音には三種あります。一つは散音、つまり開放絃。一つは按音、徽を左手でおさえて出す音。いま一つは泛音(倍音)、徽の上の絃を軽く触れて鳴らす音。この泛音というのは、一徽と十三徽で同じ音が鳴ります。二徽と十二徽、三徽と十一徽、四徽と十徽、五徽と九徽、六徽と八徽が同じ音です。徽の丁度上でなければ、泛音は出ません。しかも、軽く触れること。按音とは別物ですから。右手も軽く弾くこと」
言われて菖蒲王丸は試してみた。何だかとても面白い。
いつまでも弾いていた。
「だいたい基本的な琴の構造はわかったようですね。左右の指法や譜の読み方は次回にして、今日はここまでにしましょう。琴の各部位のことや、徽と絃の関係をしっかり覚えるように」
と姫君は言って、一冊の草紙を差し出した。
「それに書いてあることを、よく覚えておきなさい」
「はい」
「難しい字もありますが、大丈夫でしょう」
「はい、これくらいは平気です」
「宜しい。ところで、次までに少し爪を伸ばしておいた方がよいですね。琴は指の腹の音がしてもよくないし、爪だけの音でもよくない。右指を弾いた時、指の腹と爪とが丁度よい具合に絃に触れるのがよいとされています。あまり伸ばし過ぎてはよくありませんが、少し爪を伸ばしましょう」
菖蒲王丸は、実に真面目な優秀な弟子。
言われたことは、次回の稽古までに必ず身につけてくる。
姫君は次々に右手指法、左手指法を教え、譜の読み方などを呉楚派南唐派比較しながら伝授していった。
菖蒲王丸が大分琴という楽器に慣れた頃。
亡き新院の女御の一人である洞院中納言殿の御女の昭子が、難産の末にやっと七の宮を出産した。この女御、清花の姫君の母方の叔母君である。
長い間、新院の寵愛を受け、五度も懐妊した。だが、不幸にもいつも死産や流産で、これまで一人もこの女御の皇子はこの世になかった。
初めて健やかな皇子を産み、女御は、
「亡き新院のご加護。この宮はみ仏にお仕えさせましょう」
と言って、宮成長後は寺院に入れる心づもりのようである。




