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正声・十六拍──菖蒲王丸と碣石調幽蘭(弐)

 久々に、六条西洞院第に讃岐が帰って来た。


「ああ、やっと会えました」


 姫君の喜びようは、はかり知れない。


 姫君でなくても、皆その帰りを嬉しく思うのであった。讃岐はどの女房からも笑顔で迎えられた。皆、彼女を案じていたから。


 養子に出したとはいえ、弟である者を罪人に持つ身の讃岐は、主家に迷惑がかかっては困ると、自ら身を引いて、しばらく里下がりをしていたのだった。


 内大臣殿は、


「何も気にすることはない。戻ってこい」


と、再三使いを出し、讃岐に女房仕えを続けるよう言ったが、讃岐は生国に帰ってしばらく考えたいと返事していた。


 だが、烏丸左大臣も死んだし、特に憂えるべきこともなくなったので、内大臣殿からの再度のお召しにようやく応じて帰参したというわけであった。


 讃岐のことは皆好きだった。


 だから、戻ってきた讃岐を、皆は喜んで迎えたのだ。それでも、一番嬉しく思っていたのは他でもない、清花の姫君である。


 讃岐が戻った晩のことであった。姫君は久しぶりの讃岐とゆっくり話したいと思って、


「二人だけにして頂いてもよいですか?」


と、他の女房達を下がらせた。


「わらわも姫君に申し上げたき大事がございます」


 讃岐も姫君と二人きりになりたかったのであった。


 何事かあるらしい。


 姫君の方は別に用があるわけではなく、ただ讃岐と談笑したいだけであったから、


「何事ですか?」


と問い、彼女の話を聞こうとした。


 讃岐は神妙な面持ちで、持参した大きな荷を解き始めた。


 流石は大商人・五条の刀自の姪の持ち物である。実に見事な深紅の錦が掛けてある箱には、蒔絵が一面に施され、きらきらと輝いている。


 讃岐はその大きな眩い箱を姫君に差し出した。


「どうぞ、中をご覧下さい」


「何です?」


 言わるるままに、姫君は蓋を開けた。中にはさらに、紫地の錦の袋が入っている。


 袋を取り出すと、手の感触で、その中身が琴であることがわかった。


 袋の紐を解き、取り出す。


「こ、これはっ……」


 驚愕の声をあげた。


「龍舌のおん琴にございます」


 讃岐の言う通り、間違いなく龍舌であった。


 姫君はただただ驚き。


「いったい、どうしたのです?これは」


「はい。実は」


と言いかけて、讃岐は周りを見回した。


 さっき人払いはしたが、改めて人の気配が遠くにしかないことを確かめると、続ける。


「実は先日、行方をくらましていた前判官時憲が、わらわのもとを密かに訪ねて来たのでございます。その折、姫君にそっとお渡しするよう頼まれまして」


「時憲判官が?」


「はい。ご合点がゆきましたか?」


「……龍舌は消失したと──朝廷も必死になって探しています。唐の曹大人、行実の朝臣、政任朝臣と伝わり、政任朝臣は何大人に贈られ。何大人は亡くなる折に、呉楚派に返すと仰有って、広仲の君に渡され。広仲の君の後は三位殿がお持ちであったのです。件の変事あって、三位殿の物は皆没収され、当然この龍舌も宮中にあるべきであるのに、何故か見つからず──」


「実は三位殿が捕らえられた時、御邸にも武者どもが押し寄せると察した時憲判官が、下男をすぐに御邸に向かわせ、武者どもが御邸に到着する前に、密かに持ち出させていたのでございます。判官の下男は、他のものも持ち出そうとしたそうですが、この龍舌一張がやっとのことであったと。何しろ、武者どもの到着が思いの外早く、しかも大勢で、判官の下男が運び出すのが見つかれば、捕らえられてしまうという状況下でした故」


「……」


「で、密かに持ち出した龍舌を、下男は判官と落ち合って届けまして。逃亡中の判官は、わらわを訪ねて預けて行ったのでございます。姫君にお渡し下さいと言って──」


「私に」


 姫君は龍舌を見下ろした。


 困ったことになった。


 これは、呉楚派、南唐派、どちらにとっても宝物に違いない。だが、今帝はこれを必死になって探している。


 それを密かに渡されても……


 時憲の思いを汲んで、隠し持つべきか。朝廷に差し出すべきか。


「公にすれば、姫君にも謀反に加担したという疑いがかけられるやもしれませぬが──」


 姫君の迷いを察して、讃岐は脅す。


「確かに、私が持っていたことが公になれば、どうやって手に入れたのかと詰問されましょう。私は知っていることを、包み隠さず申し上げなければなりません。こなたが時憲判官と密かに会い、手に入れたのだと──。お尋ね者の判官に会っていながら、その由を届け出ることもなく、それどころか、逃がしたとなれば……それが明らかになれば、こなたもただでは済みますまい。いえ、この身も、父君の大臣にまで累が及ぶかもしれません」


 姫君は色にも出して、案じている。


 すかさず讃岐は。


「ですから、ここは判官の思いを汲んで、姫君がお持ち下さいませ」


「私が持つということは、判官の逃亡を助けたこなたと、共犯ということになるのですが」


「されど、これは南唐派、呉楚派どちらにとっても宝物。宮中に没収されるのは惜しゅうございましょう。それに、三位殿の御形見でもございますれば、この件は姫君お一人の御胸におさめて、ご秘蔵下さりませ。お願い申し上げます」


 讃岐は深々と平伏した。


 困ったと、姫君は大きな溜め息をつく。


 やがて、不承不承に、


「……わかりました」


と言った。


「是非もないことです。確かに、こなたを守るためには私が隠し持つしかないのでしょう。ですが。どういうことですか、判官と会ったとは?」


「……はい」


 讃岐は厄介なことに巻き込まれているのではないか。姫君はそう直感した。いかに内大臣の娘とはいえ、力になってやれることにも限りがある。


「今はおそらく坂東の……どこら辺まで落ちましたことか……」


「坂東?」


「西国へ行くとか申しておりました。でも、結局は陸奥へ行くような気が致します。陸奥には従兄弟の在庁・則顕もおられますから。常陸には法化党もあり、これは烏丸殿と敵で、烏丸殿一派と戦を繰り広げております。則顕とも親族ですし、判官に手を貸してくれるでしょう。また、則顕が保護している大乘党も、烏丸殿一派と戦を繰り返しました。様々考えれば、判官は則顕に身を寄せるつもりかもしれませぬ」


 陸奥の則顕と聞いて、姫君は不吉な予感がした。


「確か、こなたとその則顕という人は、親戚ではありませんでしたか?」


「はい。関東の相模水軍の我が従姉妹が則顕の妻」


「水軍?では、こなたの伯父の水軍の棟梁というのは──」


「則顕が妻の父。水軍の長たる我が伯父は、則顕の岳父ということになります。また、我が実弟の聖海は、則顕の父君の養子でもございますれば、則顕と聖海とは、義理とはいえ兄弟にございます」


「何と……」


 姫君は目眩を覚えた。


 その讃岐とは他人でない則顕というのが、時憲判官にとっても従兄弟とは──。


「讃岐。こなた、いったい何を考えているのです。何を企んで……」


「別に、何も企んではおりませぬが」


「どうして判官を陸奥になど行かせたのです。こなた、まさか伯父の水軍を使って、何かしようというのではないでしょうね。弟を殺された恨みに、判官と結託して……」


「姫君!」


 讃岐は物凄い形相で姫君を見やった。


 無礼は承知。


「わらわは復讐なぞは考えておりませぬ。されど、姫君。恨みは捨てられませぬ故、判官が西国や東国で何をやろうと、止めるつもりはございませぬ。それ故、わざと逃がしました、判官を」


 打ち明けてしまった以上は、姫君も同じ秘密を分かち合う同志。


 姫君は讃岐の帰還を手放しで喜んではいられないことを知る。この先、何かが起こるかもしれない。


 厄介な龍舌を前に、姫君はただならぬ企みに片足を突っ込んだことを実感する。


 一方讃岐は思い直していた。


 時憲判官はやはり、西国で挙兵するのではないかと。とりあえずは則顕を頼ったとしても、挙兵は西国で。そんな気もする。


 東国では、則顕や法化党といつでも挙兵できよう。だが、それだと、真っ先に異母弟達と戦をすることになる。


 兄弟という意識はあまりないだろうが、それでも、気分のよいものではあるまい。


 それに西国で第三の勢力を築く方が、朝廷への自己顕示もはっきりとできるのではないか。


 何れ朝廷を攻めるつもりならば、東の則顕と法化、西の時憲が呼応して、東と西で同時に挙兵した方がよい。


 東西の兵に囲まれる京。朝廷。想像しただけで、ぞっと讃岐は身震いした。


 姫君にはとても言えない。


 世も末だ。

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