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正声・十五拍──御物狂い(肆)

 翌日は、前日の嵐が嘘のように快晴となった。


 その夜。


 かの烏丸左大臣邸では、産養(うぶやしない)が行われていた。


 烏丸殿の嫡子の、新任の大理卿(検非違使別当)に、男子が誕生していたのだった。その三日の産養なのである。


 これには皇太后宮も出席し、烏丸殿自らがその行啓を出迎えていた。


「この殿には夜泣きし給う姫君やおわします」


「この殿には夜泣きし給う姫君も、これより東に谷七つ峯七つ越えてこそ夜泣きし給う姫君はおわしますなれ。この殿には、命長くつかさ位高く、大臣公卿になり給うべき若君ぞおわします」


「さらば甲斐の国鶴の郡につくりちょう永産の稲の粥、永くすすらむ」


 三返唱え、粥をすする。


 沢山の粥を前に、泣きもせず抱かれている生まれたての赤子を見ていると、烏丸殿でも朗らかになる。


 産養が恙無く終了すると、烏丸殿は別席を設けてそちらに皇太后宮を移し、丁重に接待を始めた。


 多くの女房達が群れて、華やかな夜宴となった。左大臣家の者達は、国母(皇太后宮)の御前(おまえ)で失敗せぬようにと、緊張しながら侍っていた。


 烏丸殿もいつになく陽気に話し、皇太后宮へも下手な冗談を言ったりしていた。だが、周囲の女房達が揃って笑い転げているのに、皇太后宮だけはつまらなそうにしている。


 やがて、


「左府と二人にして給れ」


と命じた。


 接待がお気に召さなかったのかと、烏丸殿以下、皆が冷や汗を覚えた。


 皇太后宮は無表情なままに、


「姉と弟人(しょうと)で余人を交えず、久々にゆっくり語り合いたいもの。皆、気を利かせて下がって給れ」


と言った。


「いかにも、いかにもさなり。皆下がれ」


 慌てて烏丸殿もそう命じた。


 皆退出して、皇太后宮と二人きりになってしまうと、烏丸殿は努めて柔らかな笑みを浮かべようとしていた。その笑顔のまま、国母のお小言を待っている。やや小首を傾げ、姉に甘える弟の瞳をして見せた。


 しかし、皇太后宮は何も言わない。ずっと弟を見下ろしたままである。


 烏丸殿も少し不安を覚えた。


 さしもの烏丸左大臣にも、弱点はある。


 唯一頭が上がらないのが、この姉君の国母であったのだ。


「……何か、今日のおもてなしに不備な点がございましたでしょうか?」


 恐る恐る声をかけてみる。


「もしも妾が気に入らぬと言えば、今日の舞人、楽人をはじめ、台盤所の者から参上せし女房どもまで、果ては米を献じたる田舎にまで出向き、全ての者の首を刎ねるのでありましょうな、こなたは」


「……は……?」


 すると、急に国母ははらはらと涙を落として、


「院が日増しに弱られておいでや。このまま儚くおなり遊ばすのではないかと、妾は気が気でない。こなたにはお分かりか。大切な人を失う気持ちを……」


と言う。


「院のご危篤、私も心痛めております。ましてや姉君のみ心を思いますれば……」


「おだまりっ!」


 皇太后宮は、きっと赤い眼を烏丸殿に向ける。


「院の御病はみ心を痛めておわす故のこと。こなたの横暴を嘆かれ、心労で病まれておわすのや」


「おん気の病なりと仰せられますか」


「それもこれも、全てこなたのせいであろ。帝までもがお苦しみの御有り様。妾はこなたの姉であるのかと思うと、あまりに申し訳なく、いっそ死んでしまいたいわ」


「何がいったいそんなにお気に障ったのでしょうや?」


「なんという……」


 国母は大袈裟に呆れている。


 身を仰け反らせ、口を開き、けれど眼は烏丸殿を睨めつけていた。


「姉君にはもしや、周忠の奴めの孫を盗賊の子ということにして斬ったることを、お責めになっておわしますのか」


「……それだけではあるまい。四辻内府の血に繋がる幼き者どもを見つけ出しては、皆殺しにしておるではないか。あれらは皆、こなたの仕業であろ。何の罪もない幼子に手を出す鬼!世間の噂に(たが)わず、内府や風香中納言らを殺めたのは、こなたであろう、悪鬼め!」


「あれ、姉君には、この弟人が殺められてもよいと仰せですか。先程は身内を失うことの辛さを述べておわしたのに」


 この話題になると、いくら頭の上がらぬ姉君とはいえ、一言申し上げないわけにはいかない。


「何故、こなたが殺められるとお言いやるか」


「今は何の力も持たぬ幼子です。しかし、十年も経てば、意思も宿り判断能力も備わる。人を恋うる心も知れば、憎む心も覚うる。大人になった時、己が父、祖父が、流刑の果てに不遇のうちに死んだと知れば、処分した者を敵と思うようになりましょう。己が父が処分されたは、国家呪詛の大罪を犯したが故だということも忘れ、処分を下した者をあべこべに逆恨みし、第二の謀反を企てるに違いありませぬ。この私のことも、親の敵と勝手に思い込んで、私を殺そうとするに違いありませぬ。いや、私なぞはどうでも宜しい。主上を害し奉らむとて、再び謀反が起こるこそ一大事。また、当人はどうでも、それを担ぎ上げようとする輩も出て参りましょう。故に、十年後、二十年後の平和のため、何も知らぬ幼子のうちに、内府の血に繋がる者はその根を絶っておかなければなりませぬ」


「こ、こなたはっ!国のためと言うのか、忠臣ぶって……」


 院や帝の病をつくりたることが、何の忠義か、和漢の間に比類なき不忠者なりと叱責しようと、腹に力を込めた時、大理卿がばたばた走り込んできて。


「院が。たった今、崩御遊ばされました!!」





 新院崩御。


 今上は悲しさ故に、心ががらがらと音を立てて崩れるのを感じた。


 新院の御前に寛子という女が現れてからというもの、御父の院と御子の今上とは、あまりしっくりいっていなかった。


 院が寛子を愛するようになってから、二人は疎遠になり、そればかりか、今上は院を疑うようにさえなった。六の宮誕生後は、どこか、敵視さえしていたかもしれない。


 その院が崩御した。今上と烏丸左大臣の暴走に心を痛めた末に。


 院と帝の溝は埋められるどころか、ますます深くなっていた。そのまま、父院は逝ってしまったのだ。父と子、分かり合えないままに。


 今上にとっては、ただ一人の御父。憎みもし、恨んでもいるが、慕っていた分だけ、疑いも憎しみも深かったのだ。


 崩御を知って、帝の心が壊れたのだとしても、仕方のないことだったのかもしれない。


 新院の崩御からそう経たぬうちから、しばしば今上の奇行が見られるようになる。


 先ず、帝の気に障ったのが、前判官時憲が行方をくらましたということであった。


 時憲は、過日病没した備中前司の弟であり、三位殿の腹心であった。


 これも呪詛に連座した疑いで解官され、幽閉されていたのだった。それが、厳しい監視の網を破って、どこかへ消え失せたというのだ。


 これはいったい、どういうことだ。


「監視の者は何をやっていたのか!何という失態よ。その者らを遠国に追放してしまえ!」


 帝は激昂して、そう命じた。


 さらに。


 不幸。


 帝にとっての最大の不幸。父院を失ったことの、百倍は痛手となったに違いない。


 これで完全に帝は狂った。


 烏丸左大臣の姫君・皇后宮明子との間に授かった、今上最愛の東宮が、前触れもなく突然夭折してしまったのである。


「な、何故だ……」


 まだ、新院の喪も明けないうちに、こんな悲しみに襲われようとは。


 とても元気な、玉のような皇子だったのに。


 まだ六つの幼き君。


 いつもにこにこ笑い、毎日外に出て走り回り……悪戯が過ぎて、御乳母達の手を焼かせていた程であったのに。


 帝はさんざん物笑いの種にしていた前大理卿と、だんだん似てきていた。前後の見境ない。烏丸左大臣以上の凶暴性。


 だが、政治は見事で、その采配ぶりには左大臣殿も舌を巻くほどであった。これほど為政者としての才能に恵まれていたなら、今までどれほど窮屈でじれったかったことだろう。


 これほどの善政だと、退位を迫ることもできない。いかに奇行の帝とはいえ──。


 で、帝はなおもおかしなままに、御位に座していたのであった。






 その帝も、なおまだ六条内大臣棟成公の御女への執着は消えてはいなかった。


 ある時、故・三位殿から没収した琴譜を見て、それが全く解読できなかったので、


「これを棟成の娘に与えようか」


と考えたのであった。


 だが、


「いや。あれが入内したら、くれてやろう。これを餌に入内を促すのだ」


と、やはり一人で勝手に決めてしまった。


 当の棟成公は、やはり烏丸殿が恐ろしい。


 棟成公の北ノ方は四辻殿の姪だ。烏丸殿の気に障ることがあったら、自分の身も危うい。


 それに、棟成公は帝の三の宮を預かっている。その三の宮の御母は、棟成公の姪だ。


 東宮が亡くなった今、次の東宮は、自然に行けばその三の宮ということになる。


 みくしげ殿御腹の二の宮は、左大臣の策略で、すでに寺に入れられてしまっている。今上には現在、俗世にある男皇子は三の宮ただ一人しかいない。だから、この三の宮が東宮に立つ可能性が濃厚になってきた。


 左大臣は東宮の外祖父であったのに、肝心の東宮は亡くなってしまって、帝以上に憔悴している。そんな時に、棟成公が新たに娘を入内させるのは危険だ。何をされるかわかったものではない。


 娘は暗殺され、自分も失脚させられるかもしれない。


 そう思うと、迂闊に帝の餌に食いつくわけにもいかなかった。


 帝はしびれを切らしていたが、棟成公はじっと堪えるしかない。


 ところがである。


 またまた事態は怖ろしいほど急転した。


「あり得ぬぞ、そんなこと」


「なんと……!」


 皆、言葉を失った。


 あの、絶対最後まで生き延びそうな、殺しても死ななそうな天下の烏丸左大臣殿が、突然死してしまったのである。


「まさか!」


 誰もが仰天した。


 誰も信じない。


 だが、事実だと判明すると、公卿ばかりか京童達までもが、たちまち噂し合った。


「たった一ヶ月の間だぞ。新院、東宮、そして左大臣と次々に──」


「いや、絶対あり得ぬことだ」


「あやしや」


「怖ろしや。これや、怨霊の仕業ではないのか?」


 無念の死を遂げた四辻殿が、一族皆殺しに遭って怨み、怨霊となって呪い殺したのだというのである。


「普通は怨霊を恐れて、斬首された人の子は、斬首した方が丁重に世話して育てるものだが、烏丸殿のは正反対だ。言わぬことはない。やはり怨霊の恨みをかった」


 中には、こんなことを言う者までいた。


「縦目坊が天狗になって空を飛んでいるところを見た」


「いや、儂は縦目坊主殿が悪霊となって、卷属を率いて空を飛び、左大臣家の屋根の上で舞い遊んでいたのを見た」


「四辻殿が法真阿闍梨に荼枳尼天の力を貸してくれるよう頼んでおられたのを見たぞ。四辻殿は怨霊となり、縦目阿闍梨の呪力を得て、呪いをかけておわすのだ」


 とかいうとんでもない話まで飛び交う始末だ。


 兎に角、あの烏丸左大臣でも死ぬのだ。怨霊の力には勝てぬと皆恐れ、また四辻殿一族への哀れを新たにした。


 だが、帝一人は違う。神も仏も怨霊も恐れはせぬ帝である。


「何が怨霊か、馬鹿らしい」


 だが、公卿殿上人、蔵人挙って怨霊の祟りを信じているので、次第に帝も本当に怨霊が存在するように思うようになった。


「自分達で朕を呪詛しておきながら、反省することもなく、罰せられたことを逆恨みする怨霊どもの肝の小ささよ。朕が宝の東宮を奪って、楽しいか?ふん、朕は貴様らなぞ、ちっとも恐ろしうはない。度量の狭い怨霊ども。見てみろ、朕はこうぞ!」


 前大理卿の北ノ方、つまり四辻殿の中の君に死を賜ったのであった。彼女に何の罪があったのか、誰も知らない。烏丸殿でさえ女性の命は奪わなかったのに、帝はこの人を殺してしまった。


 これには怨霊どもも仰天してか、以後、不審な死者は出なくなった。

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