正声・十五拍──御物狂い(弐)
夜盗に身をやつした信時等三人。
簀子であの激情の限りを琴にぶつけた三位殿の姿。あの音。あの曲。
烏丸殿から三位殿と忠兼を暗殺するよう密命を受けた信時。武蔵にいた彼は、大事な密命故に、他人には任せられないと、自らそれを実行したのだ。それに、相手は貴人。殺すのが信時の臣下では、失礼だろう。賤しい者ではなく、自分が──それが害する相手への礼儀だと思った。
「……あの曲。あれこそが『広陵止息』であると……」
安友が言った。
あの時。三位殿を真っ先に斬った後。茫然として。自らの太刀の刃に流れる血潮を見るともなしに眺めながら、楽人安友はそう言った。謀叛の曲、復讐の曲、『広陵止息』だと──。
「何?」
烏丸殿は急に険しい表情となった。
信時は思い出す。それでも、弾き終えて覚悟の表情で西方に合掌した三位殿の顔。諦めと覚悟の。静かな顔。
やはり、三位殿は無実だったのではないか。それなのに、流罪になり、さらに暗殺されようとしている。『広陵止息』はそんな間違いをした帝王への、苦言。やりきれない怒り。
信時はそう感じた。
だが、烏丸殿は顔に怒りと達成感とを滲ませながら、
「やはり殺して正解だった。罪に問われてなお、反省せず、主上への叛意を抱いていたとは。死ぬ瞬間まで、謀反の心であったとは」
と言った。このまま機嫌も直りそうにない。
信時は早々に退出しようと、
「ご報告申し上げることは以上です」
と腰を浮かせかけたが、
「ようやった。して、他の二人はどうしておるな?」
と烏丸殿が問う。
仕方ないので、信時はもう一度座り直し、
「はっ。一人は私の郎党にございますれば、都まで供して参っております。いま一人は、もとは楽所におりました六位の官人にございます」
と答えた。
「ほう。その二人にも褒美をやらねばの。直接会うて労うてやろう。明日にでも二人を連れて来るがよい」
すると、途端に信時は顔を曇らせた。
「申し訳ございませぬ。それは無理かと存じます」
「何故」
「我が郎党はお連れできましょうが、友の楽人は……彼は周雅卿を斬った直後から、行方知れずになりまして……親友ですから、心配で心配で。探したのですが、どこに行ってしまったのか……」
そうなのだ。
親友の安友は、三位殿を斬った後、姿を消した。
もともと安友の事は何も知らなかった。
都の楽人であったのを捨ててきたという彼。何かあったことは確かだろうが、敢えてそれを訊いたことはなかった。
それだけに心配だ。三位殿を斬って、突然いなくなったことが。
安友に何があったというのか。
「そうか。それは残念だ」
本当に心からそう思っているのか知らないが、烏丸殿はそう言った。
「はっ」
暗い面持ちのままに信時はそう返事して、
「では、私はこれにて」
と、今度こそ退出しようとした。
しかし、
「そうだ!」
急に大声を出し、烏丸殿が呼びかけた。
「その七賢の子だがの。どこへ行きよったか、未だ見つからぬのよ。全く役立たずばかりでの。誰も見つけられずにおる。だが、おことは優秀だ」
「……」
「おこと、先頭に立って、皆を指揮してくれぬか?」
少し機嫌が直ったか、頬の皮膚の下に薄ら笑いが潜んでいるような顔をした。
信時、言い澱んでしまう。
烏丸殿はたたみかける。
「頼んだぞ、信時。おことの父が隠したのではないとは思うが」
「え……」
信時は全身を冷や汗に濡らした。
烏丸殿はいよいよ笑顔を取り戻す。眼まで笑っている。
その瞳を正視できずに、信時はがばっとひれ伏した。
「はっ。畏まりました……」
つまり。青海波の君を見つけ出さなければ、若君を隠したのは信時の父であるとして、父を処罰するということだろう。
信時はそういう意味だと判断した。
「よう言うた!流石は信時よ。期待しておる。おお!そうじゃ。こわっぱめを見つけ出してきたら、褒美に我が娘をやろう。あの七賢にやろうと思うていた、それはそれは天女のような姫ぞ。おことにやるなら、惜しくはないわ。おほほほほほ!」
「……」
それから数日経ってのことだ。
烏丸殿は件の美女の所で、信時の噂をしていた。
「信時なんて嫌!あんな賤しい者!人を殺した汚れた者。ご存知?戦をすると、修羅道に落ちるのよ。私を悪鬼の餌にくれてやろうなんて。父上なんて嫌い!」
姫君がそう言って、そっぽを向いた時、家司が足をもつれさせながら吹っ飛んできた。
「申し上げますっ!上野介殿が遂にやりました!」
信時が青海波の君を捜し出したというのだ。
烏丸殿は膝を打って喜んだ。
「信時め、やりおったわ!」
姫君は明らかに嫌そうに顔を歪める。
「まあ。なんて野蛮な」
「何を言う。これでこなたは信時のものよな」
「死にます」
「約束は大事や」
「結構!信時が来たら、奴の小太刀を奪って、殺してやるまで」
つんけんと姫君が言い放つと、烏丸殿は、やれやれさも困ったといわんばかりの表情を家司にしてみせた。
そして、顎で向こうを差し、家司を渡殿の方へ促すと、もう一度姫君へ、
「信時は可愛い奴よ、会うたらわかるわ。父はああいう息子が欲しいのよ」
と言い残すと、渡殿へ向かった。
残された美姫。
「絶対嫌!これなら、死んだ悪い七賢の方が余程よいわ」
烏丸殿が渡殿へ行くと、先程の家司が控えていた。
「で?どういう状況だったのだ?」
「はい。乳母とご一緒に潜んでおられたようで。それを引き剥がして捕まえましたそうで」
「ようやくか、ようやく捕まえたのよのう。逃げ足の速いこわっぱよ。幾つだ?」
しみじみと捕らえた喜びに浸り、そして舌なめずりした。
「はい。されば、今年は六つになるとかいうことでございまする」
「ふうむ。どうやって殺すかのう」
すると、家司は名案があるらしく、目を細めてにじりよってきた。
「畏れながら、近頃、大臣が四辻殿一族を暗殺しているようだと、噂する不埒者がおるのでございますよ。ですから、我等の手で処分するのは、そろそろやめた方がよいやもしれませぬ。検非違使にやらせましょう」
「ふむ」
怒る様子はなく、烏丸殿はかえって乗り気らしい。
「で、我等の手は汚さず、どうやって検非違使にやらせるのだ?」
「はい。近頃都を騒がす盗賊の頭の子ということにするのです。見せしめに頭の子を殺すという名目は如何で。これで恐れをなして盗賊も来なくなると、民も喜びましょう」
「ふむ。しかし、盗賊どもがあんな子は知らんと言い回ったら、何とする?」
「ふふふ。ご心配なく。盗賊どもには手を打っておきましょうて」
「なるほど。では、こわっぱを五条河原で斬って捨てろ」
「かしこまりました」
検非違使の手を借りて、青海波の君の処刑が行われた。
「この頃都を騒がす盗賊の子なり。盗賊どもはこの子の死を見て、朝廷の威光を畏れるがいい。二度と都へ乱入すな。もし再び都を襲えば、次は必ず頭の首がこうなる!」
五条河原で武者どもが声高に喚いた後、眼光鋭い大男が、その幼い首を刎ねたのだという。
処刑には大理卿も立ち会って、太政官への報告も行ったらしい。
また、私的に上野介信時も見物し、烏丸殿へ報告していた。
「如何であった?」
「はっ……」
幼き子ということで、見物の庶民は皆泣いていた。中には、どうしてわかってしまったのか、烏丸殿の悪行だと叫ぶ者もあった。
信時はうまく答えられない。
「処刑は首尾よく……」
「ふむ、ふむ」
「若君の首が打ち捨てられ、検非違使も去りました後、一人の女人が走り出て、首を抱いて悶絶していましたが……突然、わけのわからぬ言葉を絶叫し、皆が驚愕している間もなく、小太刀を抜いて、首を持ったまま自害してしまいました……」
「母か?」
「いえ……乳母らしうございます……すなわち……」
信時の異母兄・時憲の妻ではないのか?
信時は今までになく暗く、戦場でもこんな顔はしたことがなかった。しかし、烏丸殿は上機嫌である。
「やれやれ、せいせいしたわ。やっと終わったのう。全て。あんなに手こずっておったのに、おことが戻った途端、あっという間に片付いた。これは余程たんまり褒美をせねばのう」
にんまりする。多分、美女をくれようと、半分ひやかす心があるのだろう。
「何が欲しい?欲しいものは何でもやるぞ。願いを聞いてやる」
わざともったいぶる。
信時は辞を低くして言った。
「では、父の命だけはお救い下さい。どんな惨めな暮らしをさせられても構いませぬ。洛内に住めなくても、以前のようにお側にお仕えできなくても構いませぬ。ただ命だけ、保証して頂ければ」
「あ?」
信時は頭を上げた。じっと真っ直ぐ烏丸殿を見つめる。
「願いを何でも聞いて下さると、仰せ下さいました」
何となく気圧されて、
「わかったわ」
と、烏丸殿は笑みを繕った。
「畏れ入ります。いま一つ。上野に帰らせて頂きとうございます。東国、未だ平定できず、兄と共に大臣のために力を尽くしたく存じます。お暇を」
信時は褒美らしい褒美も受けとらず、美女さえも貰わず、上野に帰って行った。
裏切り者は絶対に許さない。徹底して始末する。そういう烏丸殿ではあるが、信時への褒美代わりの約定であるから、その父の命は辛くも保証されたのであった。
さて。近頃新院は、心労からすっかり玉体を壊してしまっていた。衰弱著しい。
呪詛事件による近臣達の除籍、解官。
最愛の皇子・六の宮は、同じく皇子である今上によって寺に入れられ。
その六の宮の生母の寛子女御は恙無いが、父・四辻殿をはじめ、一族皆果てて、彼女のその涙を見るのは新院には辛い。
自分がこの人を愛したから、こんな残酷な大事になったのだと、責任を痛感する。
非情な烏丸殿は四辻狩りなぞという蛮行に遊び、どんなに幼い子とて、容赦なく殺す。暗殺された幼い人々が皆、烏丸殿の手によって害されたのだということは、新院も察していた。
その憎き烏丸殿の姉なる人が、他でもない、新院自身の后宮、皇太后宮であるのだから、悩みのやり場がない。
しかも、烏丸殿のために悪化している新院の病状を心底案じて、日々、看護を申し出ている皇太后宮なのである。
院としては、寛子女御に看て欲しいというのが本音だ。だが、どうして皇太后宮の申し出を断れようか。
嫌でも毎日皇太后宮の看病を受けなければならず、それがかえって病状を悪くしている。皇太后宮自身は、心から院の病状を案じているのだから、皮肉な話である。




