表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
40/85

正声・十二拍──發怒(下)

「俊幸!!」


 遠き東の地、上野の牧邸に、今日も響き渡る絶叫。


 時有は邸じゅうに聞こえる程の大声を響かせていた。


「そんなに大声出されずとも、聞こえまするよ。だいたいここは戦場ではありますまいに」


 耳聡いらしい老人は、さも迷惑そうに、頬と口をねじ曲げさせた。


「そもそもですな」


 そう言ってまた小言を始める。


「その御歳で未だお独りとは、異常なことですぞ。まるでかの政任朝臣ではございませぬか」


「よいのだ。放っておけ!」


 信時、早く帰って来てくれと、時有は心の中で叫んでいた。


 もう、こんな爺のお守りは御免だ。


 武蔵で所領争いが起きた。その仲裁に信時は出掛けていて、留守である。安友も同伴していた。


 信時と安友がいないから、俊幸と大上のお守りが時有に回ってきてしまった。


「殿!源四郎の妻の姪は、それはそれは気立てのよい娘にございまするぞ!あのようなよき娘は二人とおりませぬ」


「嫌じゃ、空っ風にあたった頬の真っ赤な田舎娘なぞ」


「何と!あの娘は稀に見る美人にございまするぞ。都にもなかなかおりますまい」


「そんなに気に入ったのならば、おぬしが妾にすればよかろう」


「はあ?それがしが……いやはや、殿がお子を儲けられなければ、意味はないのに」


「俊幸、源四郎から何を貰ったのだ?」


 時有は盛大に溜め息をついた。


 俊幸は、実は素敵な所領を源四郎から贈られていた。


「我が姪を是非、殿の御側に──」


 そう頼まれて。


「いや、何と情けなきことを。殿はお子を儲けられることが何より大事だと、何故ご理解下さいませぬ」


 しどろもどろになりそうなのを、頑張って胸を張る老人。


「わかっておるわ!しかし、この身とて好いた女の一人くらい……」


「叔父御、いい加減になさいよ!」


 その時、時有の母の春日の大上が廊に現れて、そう言った。


「時有には、烏丸の大臣が特別に妻を下さるそうですよ」


 言いながら、中へ入って来る。


「え。母上?」


「大臣の北ノ方の御姪を下さるのですって。よかったわね」


 時有は先の功績が認められ、この秋、正五位上を与えられていた。信時も叙爵して、今は大夫(たいふ)である。


「大臣はようやくこなた達をお認め下さったのね。春になったら、女君をこちらへお送り下さるそうよ」


 大上はゆっくり腰を下ろした。


 時有は呆気にとられている。


「……ええと。……婿に行くのではないので?」


「そうよ。こなたは此処にいるのに、妻が都では大変でしょう。だから、女君の方が来て下さるのよ」


 すなわち、世にも稀なる嫁入り婚ということになる。


「もう決まっていることだから、断れないのよ」


「はあ」


「大臣のお決めになったことですからね。覚悟をしておきなさい。そういうこと故、叔父御、その話は無理」


 大上は何故かにっかと笑っている。


 時有も俊幸も言い返せず。特に俊幸は複雑そうにしている。


「これで時有も安心ね。さて、女君を迎える支度をしなくては。北の対にお入り頂くために、私は北の対を出ます。叔父御、この邸の隣に私と貴姫君が住める程度の家を用意して頂戴」


「あ、は」


「源四郎からの貢ぎ物で、それくらい賄えるでしょう?」


「いっ!?」


「冗談!」


 くかかと大上は笑った。


 俊幸の顔の汗といったらない。


「冗談よ。それは牧が用意してくれるから。でも、叔父御、所領はきっちり返しなさいよ」


「……あ、あまり年寄りを苛めんで下され……死ぬかと思うた」


「おほほ。何なら、そのままにしておく?源四郎の姪を、時有の側女にすればよいわけだし」


「母上!」


 今後は時有が卒倒しそうだった。本当に、一刻も早く信時は帰って来ないだろうか。


 信時が留守になったものだから、俊幸の鍾愛の的が時有に集中した。暇なのだろう。四六時中やってきては、時有の世話を焼き、そして、必ずいつも彼の幼い頃の話になるのだ。


「いや、誠にご立派になられましたな。美丈夫にていらせられて。しかしながら、殿はお小さい頃からお元気で活発な和子(わこ)でしたなあ。赤子(やや)でいらした時、それがしが抱いてあやして差し上げると、よく御小便を盛大に……」


「俊幸!!」


 真っ赤になって時有は遮る。


 一方の俊幸は、懐かしさに目を潤ませて、全くお構いなしだ。


 周囲の侍女達は笑いさざめく。


 このような話、時有の好い男の印象が壊れるではないか。


「いや殿はお小さい頃からお健やかでご立派でした。若君(信時)は抱き上げる度に、お熱があって……いつも心配でしたから」


 時有にとっては恥ずかしい話でも、俊幸は誉めているのである。大真面目に本気だから質が悪い。


 さらにこの母。


 時有は扱いに一苦労。それは信時も同じのようだが。


 だが、二人いれば、被害も半分で済むのにと思う。


 さらに、烏丸左大臣が妻を送って寄越すというのだから、考えただけで時有はげんなりした。


「妻か……」






 大上と俊幸の被害者は時有だけではなかった。


 貴姫君もである。


 元々、大上は姫のもとを訪れていたが、最近、俊幸までもが来るようになってしまったのだ。


「変な翁」


 三亥御前は笑っていた。


 従順を装わなければ、本懐を遂げることなど出来ない。


 姫にそう言われてからは、すっかり和やかになった三亥御前であった。


 近頃は、その笑顔が装いか本物かさえわからない。


「今日も来るでしょうかね」


 三亥御前がそう言った時、侍女が大上の来訪を告げた。


「今日は大上でしたか」


 時有の所からの帰りらしい。


 御簾は巻き上げたまま。女同士、隔ても要るまい。


 すぐに大上が現れた。


 出された円座に腰を下ろし、


「お二人とも、お変わりないようで」


と、にっこりした。息子達には見せない淑女の微笑みである。


 大上の真向かいに貴姫君、その斜め左に三亥御前が座っている。


「いつ拝見しても綺麗な姫君。あ!三亥御前も綺麗よ」


 付け足して言うのを、三亥御前はくすくす笑う。


「無理して褒めなくてもいいのに」


 遂には声を立てて笑い出した。


 それを見て、ふと大上は真顔になり、


「よかった。秋の頃は少しも心を開いて下さらなかったから。そうやって笑い転げて下さるとは……」


と、ちょっと目を瞬かせた。


「ああ……」


 三亥御前も笑いをおさめ、何と言おうか迷う。


 すると、貴姫君が静かに言った。


「お恨み申し上げてはおりませぬ。いいえ、恨んではならないのだと思います。私達は負けました。負けたのが悪いのです。勝った人を恨むのは筋違い。逆恨み以外の何ものでもありません。逆恨んで復讐するなぞ、恥です。何かに挑んで失敗し、再挑戦するのでさえ、失敗したものに対して逆恨みはしないでしょう」


 恨むまい、恨むは恥と己を律しても、それでも恨む心が沸き起こってくるのが人の不思議、悲しい性というものだろう。


 大上は姫の本心がわかっているつもりである。


「恨むまいとする心があるかなきかで大いに違います。恨んで下さってもよいですよ。いいえ、恨むなと言う方が無理。恨まれても、姫君を愚かだとも間違っているとも思いません」


 違う。


 大上の言葉に、三亥御前はそう思った。


 姫も首を横に振る。


「戦に負ける度に相手を恨んでいては、永遠に復讐の連鎖は続いてしまいます。敵を討ち、いつか必ず勝つと誓うのが、勝つまで恨み、勝つまで戦うのが、本来正しき武門の生き方なのでしょう。戦に負け、その恨みを忘れて生きるこそ、最大の恥に違いありませぬ。でも、私は考えずにはいられませぬ。領主の立場、領主の存在意義というもの。領主とは、そこの土地と民を守るべき者。戦はそれらを守るべき手段です。だから、負けたからと言って、相手を逆恨みし、復讐の戦をするのはいけないことです。左様な戦で最も迷惑するのは敵ではなく、民です。私は恨まない。それが、戦に負けた領主の妹の責任だと思うからです」


 違う。


 それにも三亥御前はそう思った。


 領主は民のためを考える。民に不利益なら、戦で負かされた相手を恨んではならない。


 それには胸が疼いたが、「違う!」という言葉で、その疼きを上から激しく覆い潰す。


「ご立派ね!」


 大上は頗る驚き、ただただ感嘆するばかりだった。


「姉がよく言っていましたから」


 姫はそう言って目を伏せた。


「……私は質ですが……だからこそこの身は和議の架け橋となりたい」


 姫の言葉は、大上と三亥御前を驚かせるものであった。


 だがこれは昨日、俊幸が訪ねてきた時にも言ったことだ。その場に三亥御前はいなかったが。


 昨日、俊幸は干柿を持ってやってきた。いつものように飄々とした様子で。


「美味ですぞ。美味過ぎて腹が痛いですわい」


 何故美味な干柿は腹が痛くなるのかと、姫は一瞬わからなかったが、「ああ!」と、わかったらおかしくて堪らない。


 食べ過ぎはよくない。年寄りは、美味だと際限なく食べるから。


 気遣った後、姫は。


()を知り己を知れば、と申しますが、子を知らずに敵として刃を交えるは恐ろしきことかなと、改めて思います」


「ほあ?」


 俊幸は首を傾げた。


 姫はくすっと笑う。


「敵は憎いものと決まっております。私も当たり前のように、こなた達を憎んでおりました。時有の君も、その家の子、郎党、一兵卒に至るまで、皆一人残らず。でも、考えてみたら、私はこの皆全てと会ったことがなく、話したこともなかった。敵は全員悪い人だと決めつけていた。我等は善人、敵は悪人だと━━でも、実際会ってみたら、憎むべき悪人ではなかった。こなたも大上も、皆良い人でした。今、こうしてこなたの人柄に触れて、思うことです。もしも昔からこなたを知っていたら、敵だからとて、単純に憎みはしなかったでしょう。敵の人柄も知らずに戦う。戦とは何でしょう。敵とて、味方と同じ、善人なのに」


「昔から知っていたら?」


 俊幸は身を乗り出した。何か言いたいらしい。口を開いてぱくぱくとさせる。しかし、声に出そうとして、やめてしまった。口を閉じ、感情を鎮めている。


 何度か唾を飲み下した。喉が上下に動いている。


「何か?」


「……い、いいえ。何でもありませぬ」


 戦場で敵と刃を交える瞬間、ふと頭を掠めることがある──姉の希姫君が言った言葉だ。


 今、自分の目の前にいて、自分と刃を交えている男は、初めて会った人間だ。この男に、自分が殺すほどの思いをさせられたことがあったか。殺すほどの憎しみを、この目の前の男に持っているのか。


 姉はそう言った。


 戦は謎めいたものだ、と。なるべくなら、謎なものには近づきたくないと。


 戦にならずに解決することが最善の道だとは、古人も述べていることではないか。


 だから、貴姫君は言った。


「善良な者が善良な者を殺す。負けた方の善良な者は、勝った方の善良な者に報復の戦をする。そして、また負けた方が──善良な者同士の戦が続くのは、悲しきこと。私は和議を望みます」


 俊幸に和議を求めたように、大上にも和議を願った。


 姫の心理がわからない。三亥御前はひたすら心の中で、「違う」と繰り返していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ