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大序・二拍──散位政任のこと

 大学頭行実の後継者は明法博士伊定(これさだ)であった。


 行実が灌頂を授けた弟子は、永らくこの伊定一人だけだったが、行実七十六歳の時、神童が現れた。


 この童子、僅か四歳ながら、碣石調けっせきちょう『幽蘭』を覚えて、全て諳んじて正確に歌うことができた。


 明法博士伊定は大学寮で多数の弟子を持っていたのだが、この童子の身内もその中の一人だった。童子はその者の稽古についてきていたが、伊定の弾く琴に強い感銘を受けていた。


 伊定も童子に琴を弾いて聴かせていたが、そのうち自然に伊定の『幽蘭』を聴き覚えてしまったのだった。


 伊定は驚いて、師に、


「素晴らしい幼子がおります」


と言って、童子と引き合わせた。


「歌ってみなさい」


 行実が言うと、童子は『幽蘭』をとても上手に歌った。


「なるほど」


 行実は強く興味を引かれて、この子を琴の前に座らせてみた。すると、この子は巧みに弾き始めた。


 とても器用な、よく動く指。自然に脱力できる腕。柔軟な手首。


 行実は大いに喜んで、この子を弟子入りさせたのであった。


 それが、散位政任(さんにまさとう)である。


 ところが、政任が九歳の時、行実は亡くなってしまった。灌頂はまだであった。


 それで、伊定に師事することになった。


 だが、伊定がこの童に教えることは何もなかった。本当に天才的な童だったからである。


 伊定は、三十余年の間に、師より数百の曲を伝授されていたが、それをただ淡々と政任に伝え続けた。


 全ての曲を伝え、最後に秘曲『広陵止息』(広陵散)を伝授し、灌頂。


 伊定には生涯に、十六人の弟子があった。だが、大成し、灌頂を授けた者は、政任以外には伝燈法師妙禅(でんとうほっしみょうぜん)のみであった。


 妙禅は三人だけ弟子を持ったが、何れも大成せず、その流れはそこで途絶えてしまった。


 曹倫、行実、伊定の流れは、政任によって後世に受け継がれる。


 伊定が亡くなった時、政任は二十三歳だった。若年ではあったが、すでに灌頂は授けられていたし、何しろ、琴を弾くためだけに生まれてきたような人間であったから、あまり困らなかったようだ。


 政任は、はっきり言うと変人であった。


 生涯妻帯しなかった。


 父の危篤の時には『広陵止息』を演奏中だというので、呼ばれたのに行かず、看取らなかったという。


「親か恋か、財か栄誉か才能か。どれか選べと言われたら、才能だけを選ぶ。才能さえあるなら、それでいい。他は要らない」


 そう言い放ったそうである。


 そして、いつも人間を煩わしく思っていた。家人も女房も、政任の居間のある寝殿には、足を踏み入れることは許されなかったので、政任宅の寝殿は、散らかり放題、塵と埃に塗れ、長押も柱も風化して、御簾は破れてどこかに吹き飛び、大床(廂)は穴だらけ、簀の子など跡形もなく壊れていた。


 こんな荒れ放題では。客も訪れぬ。


 だが、大の人間嫌いの政任には、それが幸せだったのであり、彼の寝殿は極楽浄土だったのである。


 そのような政任であるから、若い頃から山奥に隠栖することを夢見ていた。


 代々宮廷人である。


 政任も雲上に昇り、四位の少将にまで至った。だが、他人に会うのが嫌なために出仕せず、家にばかり籠もっていたから、すぐに除籍されて地下(じげ)に落ち、さらに失職してしまった。


 ところで、政任の所には、琴の入門を乞う者があとを絶たなかった。だが、それは彼には迷惑なことだった。とはいえ、後継者が必要だということは、彼もわかっていた。


 入門希望者が現れた時には、必ず変な試験を行った。


 入門希望者は、政任宅の東の渡殿で、琴を弾かなくてはならなかった。曲は自由。


 その演奏試験中、肝心の政任は姿を見せない。寝殿の東端に、幾重にも几帳を廻らせ、その中にふんぞり返って、受験者の演奏を聴くのである。琴の音は幽かなれど、才能ある者の音色はどこか違って響き、几帳の内にも届く。


 この試験に合格した者だけが入門できるわけだが、そんな者、めったにいるわけがない。


 その音色によって、五色の雲を呼び、星々を会合させ、晴天に霰を降らせることよりも、政任の心を動かすことの方が難しいと言われていた。


 天地を動かし、霞だけ食らう政任の理を動かすことができた者は七人。政任九十六年の生涯の中で、七人だけであった。


 公卿、地下人、僧、女房と様々だったが、この七人は流石、厳選された人だけはあって、全員琴灌頂を遂げ、血脉けちみゃくに名を記されることが叶った。


 祐盛阿闍梨(ゆうじょうあじゃり)


 帥殿大納言(そちどのだいなごん)


 長橋局(ながはしのつぼね)


 近衛将監広仲(このえのしょうげんひろなか)


 伊賀守為長(いがのかみためなが)


 韶徳三位周雅卿(しょうとくさんみちかまさきょう)


 清花の姫君(さやはなのひめぎみ・准后瓊子)。


 この七人である。


 後に、曹倫、行実、政任を「琴三聖」、政任の七人の弟子は「七絃七賢」と称されることになる。






 祐盛阿闍梨は政任の最初の弟子である。


 祐盛は和歌にも優れ、多くの歌合(うたあわせ)に出詠して、歌人として活躍していた。


 又、箏の(そうのこと)にも優れ、多くの弟子を持っていた。祐盛はこの弟子達に、琴の(きんのこと)も奨励したが、(きん)はややこしくて雑多、面倒がって、誰もやりたがらない。それで、箏の弟子は増えるばかりだったが、琴の弟子は三人だけという有り様だった。


 本朝の人間が雑多を嫌い、簡潔を好むことを痛感した祐盛は、減字譜の使用をやめた。文字譜は真名さえ読めれば、誰にでも理解できる。一音に十数字も要するため、初見で弾くのは厄介だが、複雑さはない。


 この祐盛の娘であろうか、参川尼(みかわあま)という人がいた。


 祐盛の三人の弟子のうち、唯一大成した人物である。


 だが、この尼は実は弾琴を嫌った。祐盛は、生きながらにして鬼に変化(へんげ)したかの如き厳しさだった。尼はとにかく祐盛に苦しめられた。政任でも、ここまで厳しくはない。


 その厳しさのお陰で、灌頂が叶ったのではあった。だが、よほど苦しかったのであろう。祐盛の死後はやめてしまったらしい。後継者もないようだ。






 政任二人目の弟子は帥殿である。


 右府の子息で、大納言にまで至った。母は修理大夫(しゅりのだいぶ)の娘。父の右府には、降嫁した女宮が正妻としており、父は権力を掌握していた。


 帥殿が入門を許可されたのは七歳の時。初め、別な人に師事していた。初心者だったが、普通でないことを師は悟って、政任の入門試験を受けさせたのである。


 試験に弾いたのは『酒狂』。阮籍がへべれけに酔い、よれよれになる様を見事に表現した。それでいて、猩猩が舞い遊ぶ様を思わせるような、絶妙な拍節感であった。政任は大変にそれを気に入り、この名家の初心者の入門を許可したのだという。


 この帥殿は、長じてからも、その独特の拍子感覚を持ち続けており、それが何とも魅力的であった。鞨鼓かっこの名手としても名高く、その妙技でいつも人々を魅了したという。


 帥殿は上達部(かんだちめ)なので、弟子も高貴な人が多く、親王さえもいた。だが、惜しむらくは、この人、短命であったことだ。


 短い生涯に、弟子は公卿、殿上人ら十人。そのうち、灌頂を授けた弟子は済平朝臣(なりひらあそん)一人だった。


 この済平朝臣も早世したので、その後は絶えてしまった。






 散位政任、三人目の弟子は女房。長橋局である。


 女は真名など、あまり使わない。この女房も、初めは仮名しか読めなかった。


 しかし、大変に賢い人で、どんなに難しく厄介なことでも、すぐ理解して覚えてしまう。又、音楽の才能があった。それで、琴楽を繁栄させむと欲した帝が、長橋局に琴を学ぶよう命じたのである。


 彼女は努力した。真名が読めなければ、琴譜は理解できない。長橋局は二十一歳にして、初めて真名を学んだ。同時に弾琴も始めた。


 大学寮には、多数の琴数寄者が存在した。かつて明法博士伊定が、ここで幾人もの弟子を育てたことから、広まったのだ。名手とまでは至らなくても、それなりに弾きこなす者はいて、長橋局はそうした数寄者に師事して、めきめきと上達していった。


 三年後、如何なる漢籍でも読みこなすようになり、琴の達者にもなった彼女は、君命により、政任の門下となった。


 しばらくすると、彼女は周囲のどの男よりも琴が上手くなった。漢籍もすらすら読めた。


 そんな自分が次第に気恥ずかしく思えてきたらしい。帝師の話が出たのをきっかけに、宮中を退出してしまったのだという。





 地下人の中にも、政任の弟子はいた。近衛将監広仲である。


 広仲は奈良の重代楽家の子。母の縁で、京の楽家の養子となり、楽所召人になった。


 姿も美しく、舞の達者であった彼は、若い頃から大変な人気者であった。


 その上、大変な美声家で、朗詠の名手でもあった。普通の人では、高過ぎて出せないような高音を、とても美しく響かせる。この世で最も二の句を上手く歌う人と言われていた。


 その美しい歌声を聴くと、御簾内の女房達が心乱して卒倒するという。


 又、賀茂臨時祭の時であったろうか、石清水であったろうか、何かの時に、広仲が陪従(べいじゅう)であったことがあったが、彼を見て、ある歌人の宮が恋をしたということもあった。後年、この宮も年をとり、広仲もすでに故人となっていた時、ある所の歌合で、『はじめての恋』という出題があった。宮は、広仲への秘めたる初恋を詠み、勝、となった。若き日の、宮の思いつめた心がよく表現されている、と判者は評価した。


「あの頃は、相手に思いを告げることもならず、相手に自分の存在を知ってもらうことさえできずにつらかった。己の身分を呪った。でも、今となっては、よき思い出かな」


 宮は、笑い話に述懐したという。


 そのような話もあるほど、艶やかな男である。政任が広仲の入門を許可したのは、実はこの姿のよさに惹かれてのことなのだ、なぞという陰口もある。


 元々声がよいので、政任は広仲には専ら琴歌をやらせた。


 琴は独奏曲もあるが、歌いながら弾く曲もけっこうある。歌詞は、唐土の言葉のままに歌うのが美しい。政任は、広仲を留学帰りの天台僧につかせて、唐の音を学ばせた。


 政任の七人の弟子の中でも、広仲に敵う琴歌の名手はいない。琴歌は、広仲のためにあるようなものだった。


 広仲は、殿上人一人、下級役人二人、それに呪師と猿楽師の弟子を持った。庶民にも琴を広めたいという、広仲には夢があったのだ。だが、やはり身分の低い者たちには、このような難解なものは流布しなかった。





 伊賀守為長は、中・下級貴族の子である。


 謎の多い人物ではあるが、非常に怜悧であったらしい。


「我が家に毛色違いの子ができた」


 父は喜び呆れていたという。


 幼少時は算術を得意とし、長じてからは論理的なことを好んだ。


 このような者にとって、楽の理論というものは、興味を惹かれる分野であるらしい。ある時から、為長はこれに熱中するようになった。


 我が国の楽理は、唐の雅楽律と燕楽二十八調とを折衷したものである。しかし、その理論と矛盾する楽律や調子もあり、楽理の整理が成されているとはとてもいえなかった。


 この混沌たる楽理を整えることが、いつしか為長の専らの興味となっていた。


 だが、彼は出逢ってしまったのだ、琴に。


 七声十二律八十四調の理論など、唐土の楽理を調べるうち、必然的に琴の楽理とも出会った。当然、これも調べたが、琴の理論は、他のどの楽理よりも正確に整えられたものであることが判明した。


 世間では、複雑難解と信じられている琴だが、為長にとっては、こんなにわかりやすいものはない。為長には、本朝の楽理の方がよほど難解だった。


 こうして、琴の理論と運命の出会いを果たした為長は、さらにこれを深めるために、弾琴も始めた。


 運命というしかあるまい。弾いてみると、こちらの方が楽しくなってしまったのだ。彼は夢中で琴を弾き続けた。


 この為長は、意外にも強く豊かな感情を秘めていたらしい。彼の弾く琴は、魅力的で感動的だった。


 それで、政任から入門を許されたのだった。


 ところで、為長には摩利御前(まりごぜ)という姉がいた。彼女の夫は、烏丸殿という権力者に睨まれて、何の罪か、遠流に処せられていた。


 正月の除目(じもく)で伊賀守に任ぜられた為長は、この姉とその子達を連れて任国に下った。


 だがその後、彼は伊賀で消息がわからなくなった。生きてか死んでか。


 謎に満ちた人物である。





 政任六人目の弟子は、韶徳三位殿こと正三位周雅卿。この三位殿は、花も恥じらうほどの優雅な美男で、琵琶の名手としても名高かった。


 政任最後の弟子・清花の姫君とともに、呉楚派最後の名手といってもよい。





 清花の姫君は、絶世と冠される美人で、高貴な生まれでもあった。大変な才媛で、博学多才。琴は四歳で始め、その天才ぶりから、政任の弟子となることを許された。


 だが、問題は師の政任にあった。


 政任、六十六歳の時。突然発心(ほっしん)、逐電した。法名は浄玖。


 深山のさらに奥の光も届かないような所で、法体の仙人となって、以後三十年余りを、霞だけ食らって生きていた。


 この突然の発心によって、清花の姫君は、七歳にして師を失うという災難に見舞われた。だが、この時既に、秘曲『広陵止息』を伝授され、つまり、灌頂を授けられており、どの琴の名手よりも上手かったといわれている。


 政任の突然の発心の理由は明らかではないが、この姫君の天才ぶりに驚き呆れ、妬んで絶望した故だという説もある。

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