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正声・十二拍──發怒(中)

 罪人達の身柄は、それぞれ公卿の邸などに預けられることが多かった。


 忠兼朝臣と三位殿の兄弟は、たまたま一つ邸に閉じ込められた。その家は堀川大臣(ほりかわのおとど)と呼ばれた人の邸であった。


 堀川大臣はもと王で、源姓を賜って臣籍に下った貴人。既に亡くなっているが、その孫が、三位殿を捕らえた有能なる十八歳、兵衛佐である。


 兵衛佐は、母が家女房で身分が低いため、他の兄弟達より不利な立場だった。だが、頭脳明晰で真面目であり、将来は間違いなく大臣にまで昇進するであろう。


 三位殿と忠兼は、この兵衛佐の父で、この家の主の堀川亜相(あしょう)の厳しい監視下に置かれていた。


 三位殿は忠兼と離されており、牢獄のように造られた一間に押し込められている。その外には、検非違使から遣わされた武門出身の役人どもが数人、常に眼を光らせて立っていた。


 三位殿は隙間から見える空を眺め、その様子が変わるのを楽しみ、静かに暮らしていた。


 また、兵衛佐がここを訪れることは容易で、毎日朝と夕の二回、面会に来る。何か不自由はしていないか、欲しいものはないかと、とても気を遣ってくれていた。


 兵衛佐は、三位殿の望むことはできる限り叶えてあげようと、足繁く通っている。それについて、文句をつける者もない。


 彼は三位殿を尊敬していた。


 三位殿を捕らえるよう命じられた時は、謀叛を企んだのだと聞かされ、考える間もなく出動したから、頭に血が上っていた。だが、しばらく経って冷静になってみると、彼が帝を呪詛したとは……非現実的だ。


「三位殿、これを持参しました」


 三位殿が自分の家に連行されてきた日、兵衛佐は直ぐに獄の三位殿を訪ねて、琴と譜とを返していた。兵衛佐が三位殿を捕らえた時、三位殿から託されたものである。


「この中では、何をなさるのも自由ですから」


 兵衛佐はそう言って、三位殿が琴を弾くことを許した。


 三位殿は有り難く、毎日秋声を弾いていた。


 本当は他人に贈る予定だった秋声だが、なお今も手元に置いて愛で続けている。運命とは何だろう。


「三位殿、とても苦労したのですが、幾つかお望みの品を手に入れることができました」


 その夕、訪ねてきた兵衛佐はそう言って、何やら茶色の包みを獄中へ入れた。


 三位殿はその中をあらため。


「これは!」


 息を呑んだ。


 三位殿が大切にしていた琴二張。楽書が数冊に琴譜が数巻あった。


「申し訳ありません。ご愛用の琵琶は既に没収されていて、どうやっても手に入れることはできませんでした」


 誠に申し訳なさそうに詫びる兵衛佐に、三位殿は心から感謝する。


「こんなに沢山の品を。一体どうやって集めて下さったのですか。さぞ、ご尽力下さったのでしょうね。我が家の琴や譜の数々は、何れも流祖から伝わる名品。私の所有物というより、流祖からの預かり物と申すべきでしょう。歴代の帝はこれらを御物(ぎょぶつ)となさむと望まれたとか。故にこの度、全て没収され、大内に収められたとか。それなのにあなたは、一体どうやってこれらの品々を集めてきて下さったのですか?」


 兵衛佐が持ってきた琴は、二張とも行実以来の品であり、譜も全て行実が唐から持ち帰ったものであった。


 これらは皆、三位殿の邸から持ち出され、宮中に没収されたと聞く。


 三位殿が捕らえられた時、その邸におびただしい数の役人、武人が押しかけ、貴重な琴などを全て持ち去ったのだ。


 今では、全て宮中にあるのに、どんな手を使ってこれらを入手したのだろう。


 これらは、莫大な数の貴重品の中のほんの一握りに過ぎないが、それでもこれらを手に入れたというのは……兵衛佐は相当危ない橋を渡ったに違いない。


「かような無茶はなさらないで下さい。もしもあなたの御身に何かあったら……」


「よいのです。気になさらないで下さい。どんな手を使ったかは内緒です」


 くすっと兵衛佐は笑って見せた。


「本当は琵琶も取り返してあげたかったのですが……」


「とんでもない。もう、こんな危険なことはなさらないで下さい」


 三位殿はそれ以外に言いようがない。


 もしも、この公達にまで累が及んだりしたら──。


「他に何かご希望はありませんか?」


「充分です。あなたには本当によくして頂いて、御礼の言葉もありませぬ」


 三位殿は心の底から頭を下げた。


「三位殿……」


 若い兵衛佐は、ふいに顔を曇らせる。


 三位殿を捕らえた夜のことを思い出さずにはいられない。


「私は……信じていますから」


 無実を。


「……」


 三位殿を信じている。


 けれど──。兵衛佐の葛藤は続く。


 捕らえた夜、少しでも三位殿を疑った自分が嫌になる。さりとて、はっきりとした弁明もしない三位殿を、信じようとは、いや、信じてはいるが──。


 せめて、信じているという自分への証にも、何か三位殿の力になろうとした。けれど、権力を持たぬ若い兵衛佐にできることは、毎日獄の三位殿を訪ねて、話し相手をすることくらいだった。


 三位殿には痛いほど兵衛佐の思いがわかる。


 兵衛佐は思考を振り払うように、顔を上げた。


「何か欲しいものがあるのでしたら、遠慮なさらず仰って下さいませぬか?」


 なおもそう言って。


「そうですね……」


 三位殿は秋声と、兵衛佐が新たに持ってきた二張の琴とを等分に眺めた。


「……人に、会いたい」


「何方に?」


宰相中将頼周(よりちか)卿」


「宰相中将の卿ですか。わかりました」


「いつも申し訳ありません」


 三位殿は頭を下げた。そして、ゆっくり面を上げると、


「御礼できる物を何も持たぬ身ではありますが……それ故、御礼に琴を弾きましょう」


と微笑んだ。


 兵衛佐はぱっと顔を輝かせて頷いた。その頬から、先程までの陰は消えていた。


 兵衛佐の親切と、その友情に感謝して。


 三位殿は秋声を手にする。知音の友、伯牙と鍾子期の曲・『流水』を弾く。


 兵衛佐はその妙技に感嘆し、改めて尊敬の念を抱く。


 外の役人達も、驚愕と感動の入り混じった溜め息を漏らした。


 三位殿は弾きながら、嵯峨の山の情景を思い浮かべていた。


 山の中の静寂に響き渡る『流水』。遠くでもう一つ重なる『流水』の琴の音。


 三位殿の知音。


 あの夜の不思議な知音の夢。


 姫君に渡すつもりだった秋声は、今もなお三位殿の手の中で、その指に操られて知音の曲を奏でている。まるで、知音を呼び求めるように。


 三位殿は姫君の兄・宰相中将殿との面会を求めている。


 しかし、今のこの状況でそれは難しい。


 三位殿を訪ねれば、中将殿さえ疑われよう。それでなくとも、中将殿の母君は三位殿の親類だ。


 中将殿の立場の難しさはわかっている。


 だが、一日も早く会いたい。


 親友に。


 知音の兄に。


「天よ。友に会わせ給え」


 そう念じながら、『流水』を弾いていた。

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