正声・十一拍──呪詛(下)
同じ日の夜。
清涼殿の二間。
今上は季龍の琵琶を弾くでもなく、ただ抱いていた。御気色は麗しくない。
護持僧の東寺の長者・顕明が、そんな今上へ慌ただしく奏上した。
「主上。恐れながら、日頃主上のみ心を悩ませ給うる御事について、ある確証を得ました。一刻も早く謀叛人を処罰なされませ」
帝は仰天して、がたんと大きな音とともに、季龍を膝から床に落とし、
「謀叛人、とな?」
と、身を仰け反らせた。
今上は、父院が六の宮を愛することを気に病んでいるのだが、流石に謀叛とは唐突である。
「主上のご炯眼、はやお察しのことと存じまするが」
「すわ、院司どもか?とうとう彼奴めらが朕を万乗の位より引きずりおろし、東宮を廃し、そのあとに六の宮を据えると──?」
「御意」
顕明長者は臆することもなく、きっぱりと答えた。
「何と……ご、ご坊は何を根拠に……?根も葉もなき痴言、いかに左府の縁者とて……」
と言ってはみたものの、顕明の真っ直ぐな瞳と会うと、帝も龍顔を俯かせてしまう。
「思い当たらない筈がございますまい」
それもそうなのだ。だが、この護持僧の発言を鵜呑みにはできない。
自分の護持僧ながら、完全に信用しきることができないのだ。他の護持僧達よりも、その修法は遥かに優れ、呪術にも秀でているというのに。
顕明は左大弁の子息。祖父は右府(うふ・右大臣)であった者で、父が早世したので、父の異母兄弟の右大将の養子となったのだった。
右大将殿は宮腹で、同腹の姉が一人いたが、これが烏丸左大臣の母である。
又、顕明の実父の左大弁や養父の右大将の兄にあたる人に、七絃七賢の帥殿大納言がいた。
帥殿の母は修理大夫の娘。
帥殿は早世だったが、それ以上に左大弁や右大将は短命だった。故に、顕明は幼くして実父を失い、さらに養父にまで早死にされて、寺に入ることになったのであった。
その折、世話をしたのが伯父の帥殿で、琴の同門である祐盛阿闍梨を、顕明の東密の師としたのである。顕明は祐盛阿闍梨から、琴の伝授はされなかったものの、密教の伝法灌頂を授けられた。
その後も着々と力をつけ、ついに東寺の長者にまで上り詰めたのであった。
無論、親類の烏丸左大臣に引き立てられてのことではあるが、実力だけでも帝の護持僧になり得る器だったのである。
しかし、顕明はあまりに烏丸左大臣と親し過ぎた。
そのことが、帝を信用させぬ要因だったのである。もし、顕明が左大臣と無関係だったならば、きっと帝はこの僧を心から信じ、頼りとしたことだろう。
顕明はなおも言うのである。
「私が護摩を焚いておりますと、彼方に大黒天の姿がうつりました。大黒天は宇宙の中にあって、荼枳尼を操り、何やら呪法を施しております。その呪力の凄まじさに、思わずたじろいでおりますと、ふと邪悪なあやしい薫風が吹いて、大黒天の周囲に漂いました。すると大黒天の姿がゆらゆらと揺らぎ、別の人の姿が見えたり、また一つに重なったり。目を凝らしてよく見てみると、それは縦目の鬼の面でございました。法真阿闍梨が……やがて、法真は大黒天から離れて、もとの人の身に戻り、何やら唱えておるではございませんか」
「……国家を呪詛する文言だったとでも言うのか?」
「御意にございまする。荼枳尼天神変不可思議秘法。主上と東宮の呪詛を行っておりました。恐ろしやと身を縮めますと、眼前の護摩が雷となって発光し、刹那、火が消え果ててしまったのでございます」
「護摩の炎に法真の異形を見たか」
「法真、人に見つかったと知り、慌ててその火を消したに違いありませぬ。お急ぎ下さい。露見したと知った謀叛人どもが逃げ失せてしまわぬうちに!」
その折の火傷の生々しい火ぶくれを帝に示す。
帝が、その顕明の右手の火傷に思わず顔をしかめたその時、
「主上、主上っ!」
と騒がしく、外から幾人もの足音が響いてきた。
宿直の内殿上人と蔵人数人が、足音もばたばたと、いかにも大事らしく参って、
「主上!」
と、中へ叫んだ。
「何事か?」
「烏丸の左の大臣が、日雲僧都をしょっ引かれて……」
「しょっ引く?」
と言っている間に、もう烏丸左大臣が清涼殿の東面に推参して、
「主上っ!謀叛にございます!」
と、怒鳴りあげる。
「何だ何だ?」
帝が姿を現して見れば、河竹の辺りに烏丸左大臣が仁王立ちし、その手には縄が握られてい、その先にはその縄でぐるぐる巻きにされた日雲僧都が付いていた。
帝、呆気にとられて立ち尽くしている所へ現れた殿上人ども、左大臣へ何か言わんと口々を開きかけるが、左大臣、
「下がっておれ!下がりおろう!!」
と、怒鳴りつける。
殿上人達は、左大臣があまりにも恐ろしい形相なので、自分達まで殺されるのではと直感した。で、恐れをなし、帝を残して皆退出してしまった。
帝は、
「待て」
と止めたが、左大臣の眼光に奇声をあげて、全員逃亡してしまったのである。
帝の御意さえ無視される。それが烏丸左大臣である。
「主上、謀叛にございまする」
人々が彼方に消えると、庭に立ったまま左大臣は言った。
「この日雲めが全てを白状しました」
「……」
「四辻内大臣、ついにご謀叛!」
左大臣、胸を張って奏上するには。
今夕のこと。
烏丸左大臣が皇后のご機嫌伺いをして、その帰り道。
その牛車に向かって走り寄ってくる無礼者がいる。
皆で取り押さえてよく見てみれば、かの台密の賢僧・日雲僧都ではないか。
驚いて左大臣は、自ら僧都の手をとって、牛車の中に招き入れた。が、入るなり僧都はいきなり口走るではないか。
「謀叛、謀叛にございまする!」
と。左大臣の袖が引きちぎられるのではないかと思われる程激しく握りしめ。
「満願の時が迫っております。そうなる前に、お早く、お早くっ!」
「謀叛とは?ご坊、わかりやすいようにお話しくだされ」
左大臣は宥めて、僧都の肩をさすってやると、少し落ちついたのか、僧都は息を整えて言うのだった。
「予てより、四辻の大臣の中の君はご懐妊とて、安産の祈願が行われておりました。私や法真阿闍梨をはじめ、多くの僧が護摩を焚き、日々安産を願っておりました」
「知っている。したが、それが何とした?」
「実はそれは全くの偽りにございます。安産祈願などではございませぬ。安産を願うと見せかけて、実は調伏の秘法を日夜行うていたのでございます」
「調伏とな!?」
左大臣は仰天して、思わず僧都の手を握り返した。
「私は四辻殿の母君の縁者にて、中の君のご無事のご出産を心から願うものでした。安産のために護摩を焚いてくれと言われたからこそ、快く受けたのでございます。ですが、実際引き受けてみれば、呪詛をせよと命じられまして……」
「誰に?」
「風香殿……」
「四辻の大臣の兄君の?」
「はい、風香中納言周忠卿でございます」
「して、呪詛の相手は?」
「……」
僧都は恐ろしさに震えた。
「誰だというのかっ!?」
癇癪を起こして、左大臣が雷鳴のように怒鳴った。
縮みあがって僧都は、
「……み……」
歯ががちがちと強張り、物言えなくなってしまった。
すると、何か悟ったように左大臣、大きく頷いて。
「国家呪詛だな」
僧都、ただこくこくと首を縦に振る。
左大臣、すると、
「よく知らせてくれた」
とは言わずに、
「おぬしも呪詛したのだな!」
と怒鳴り、
「おいっ、この者に縄をかけよ!!」
と、従者どもに命じた。
左大臣の邸に近い所まで来ていたので、そのまま邸までしょっ引いてきて、その庭に転がし、
「やいっ」
と、僧都を乱暴に問い詰めた。
「呪詛に加わった坊主どもは、誰と誰だ?」
と問い、さらに呪詛を指示した者の名、中の君の出産の日に集いし者ども全員の名を聞き出したのである。
日雲僧都は全てを白状した。
で、左大臣はこれを縄にかけたまま内裏にまで推参したのだという。
「国家の一大事ゆえ。検非違使にもまだ伝えておりませぬ。いち早く主上に申し上げねばと、真っ先にこちらへ参ったる次第」
左大臣はこう奏上した。
すると、いつの間にか帝の傍らに来ていた護持僧の顕明が、
「やあ、検非違使はよくありませんな。別当自身が謀叛に加担しておりましょうて」
と発言し、検非違使にまだ連絡していなかった左大臣の判断を評価した。
別当は中の君の夫。すなわち四辻内大臣の婿である。
帝はやはり呆気にとられていたのだが、徐々に頭は整理されてゆく。
「のう」
と、突然、猿回しの猿みたいに左大臣の持つ縄に引っ張られている坊主に話しかけた。
「日雲よ。内大臣の縁者でありながら、何故密告などしたか」
縄に繋がれて項垂れている日雲僧都は。
「縁者なればこそ。主上への反逆、あってはならぬこと。それを我が血縁が起こそうと企てているのです。この身に謀叛の疑いがかかっても、大臣の罪を暴き、大臣を止めなければならぬと決意したのでございます。法真は荼枳尼の大神通を得ております。法真が呪えば、必ず成就致しましょう。満願の時は間もなくです。その前にと……」
「……誠なのだろうか。誠に朕と東宮を内大臣と院司達が、こなた達に呪詛させようとしたのか?」
「誠でございましょうとも」
と、顕明が口をはさむ。
「それ故、近頃の主上はご気力は萎え、日々鬱々と病み渡らせられているのではございませぬか。若い時から山野を駆け巡り、修験を立て、仙術をさえ修めた超人法真が荼枳尼天の秘法を行い続けている故のこと。私が見た幻は幻にあらず。誠に法真が……」
「わかったわかった」
帝はうるさいと言うかわりに、手を払った。そして、改めて日雲を見た。
「今一度尋ねる。こなたに呪詛を命じたは、周忠か?」
「いかにも。周忠卿にございます」
日雲はそこははっきりと言う。四辻殿ではなく、あくまで風香殿だという。
四辻殿も連座しているが、首謀者は風香殿ということなのだろう。
帝は龍顔を曇らせた。
烏丸左大臣の政敵は四辻内大臣だ。だが、四辻殿の兄である風香中納言が、院の別当として院司どもをまとめ、左大臣を糾弾する急先鋒だった。
左大臣にとって、本当の敵は四辻殿でも、それ以上に鬱陶しいのは風香殿だろう。
日雲僧都は、四辻殿の母の縁者。四辻殿と風香殿は異母兄弟だ。日雲は四辻殿とは縁者でも、風香殿とは他人である。
それに、日雲は風香殿を逆恨みしていると言われている。
「日雲。こなたは請雨経法の一件で、周忠に恨みを抱いておるとか聞くが、そのこととは無関係だろうな?」
帝の言葉に、さっと日雲の顔色が変わった。
同時に左大臣と顕明の表情にも変化があらわれたことを感じる。核心をついたのか。
「早速なるご決断を。主上、謀叛人どもを捕らえましょう!」
左大臣がさらに言い募った。
日雲。
台密を極めた高僧。天文学、占星術、書にも優れ、殊に請雨経法に秀でていた。
ある時、夏の日照りのため水も涸れ、続々と死者の出たことがあった。そこで日雲、神泉苑にて請雨経法を行った。
果たして、請雨を始めてから二日後に大嵐となり、豪雨が三日も続いた。水は秋の分まで足りる。
人々はこの僧の奇瑞を褒め称えた。
ところが。ある殿上人数名が噂を始めた。
「我等が日照りを憂えているところへ、天文に通じたる風香殿がやってきた。『案ずるには及ばぬ。この二日、三日のうちに雨は降る。しかも要らぬ程に。川は溢れ、雨なぞ迷惑と感じるであろ』と悠然と仰せになった。日雲が請雨を始める前日のことであったわ」
「では、風香殿はこの大雨を予知しておわしたのか?」
「左様。なれど、予言でも何でものうて、天文を見た上でのご判断とのことであったが」
「なれば、日雲のは奇瑞でも何でもない。日雲は天文に通じたるその道の達者。雨は請雨経法の法力によるものではあるまい。二、三日のうちに雨が降ることを知っていて、その上で請雨を行ったに過ぎぬ」
日雲の霊験は、すっかり失墜してしまった。
風香殿は日雲の請雨に対して、日雲の不名誉になるようなことは一言も口にしていない。
だが、日雲は逆恨みせずにはいられなかった。
密かに憎んでいた。




