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正声・十拍──知音(参)

 清花の姫君の三位殿への思いは、より深く、強くなるばかりであった。


 その姫君に興味津々の今上は、姫君の入内を楽しみにしていて、時折、


「まだか?いつになる?」


と、姫君の父君の六条大納言殿に打診していた。


 今上は日々鬱々としている。その気持ちを、清花の姫君ならば癒やしてくれるのではないか、そう思うのだ。会ったことはないが、そんな気がする。


 姫君の琴の琴を聴いて、心穏やかになりたい。


 今上のこの暗い物思いは、弟宮である六の宮の御五十日(いか)以後、強くなっていた。


 御五十日に、東の市の(もちい)を喜んだ御父・新院が、院司達を前にして、


「腹は違えども、主上とこの若宮とは、面差しがそっくりだ。不思議や。他の宮達はこれほど似てはいないがなあ。主上は生まれた時から帝王の相をしていて、尊き品ある(やや)であったが、見よ、この六の宮の気品」


と言ったというのだ。


「つまりは、六の宮は帝王の相なりと仰せなのでございましょう」


 烏丸左大臣は院の仰せごとと共に、そのように奏上したのだった。


 それで、今上は新院のみ心をいよいよ疑ったのである。


 東宮は廃位され、自分のあとには六の宮が即位するのだろうか。院は寵姫の腹の六の宮のために、自分と東宮とを追うのだろうか。そう今上は思った。


 そろそろ五節(ごせち)で、今年の舞姫達は、例年になく美少女揃いだと聞いても、ちっとも楽しみだとは思えなかった。


 ところで、男と女の情と、そこから生じる子というものの問題の難しさは、何も今上に限ったことではない。


 六の宮を出産した新院の寵姫・寛子には、大宮中納言の娘・二条殿が仕えていた。この二条殿は身重のために退出して、現在は実家(さと)に下がっていた。


 二条殿は三位殿の北ノ方であった時に、その兄・忠兼と通じて忠兼の子を身ごもり、三位殿とは離縁していた。


 しかし、忠兼の妻の朽葉の上は嫉妬深い女性で、決して忠兼と二条殿のことを許さなかった。


 勿論、忠兼とは離縁しない。そして、二条殿が新たに閨室に加わることを、強烈に拒んだ。


 忠兼は仕方なく、二条殿とは結婚しないという道を選んだ。


 忠兼は妻に頭が上がらなかったが、それ以上に弟の三位殿に気兼ねしていた。


 三位殿との関係は、表面上は以前と変わっていない。


 三位殿の心の奥底の怒りを恐れ、忠兼は極力二条殿の話題を避けていた。


 三位殿も、兄が自分に対して後ろめたい気持ちがあることはわかっていたので、敢えてその話題には触れなかった。だが、一つだけ気になることがあった。


 二条殿はもう身二つになっている頃ではなかろうか。疾うに出産している筈だ。


「何もお隠しになることもありませんでしょうに。初養(うぶやしない)もなさらなかったのではございませんか?私にそこまで遠慮なさらなくても宜しいのに。私はもう二条殿とは無関係な人間なのですから、気になさることはないですよ」


 三位殿はついに忠兼へ言った。


 二条殿の子は、三位殿が育てている青海波の君の異父弟か異父妹なのだから、やはり気になる。二条殿の事はともかく、生まれた子のことは知りたいと思った。


「それに、上とのお約束もあるのでしょう。生まれたお子は、兄君と上のお子としてお育てになると──」


 すると忠兼は、実に具合悪そうに自嘲した。


「実は、あなたのお察しの通り、二条殿はとうに出産なさいました。法真に加持祈祷を頼みまして、そのおかげでしょう、陣痛(しきり)も軽く、安産でしたよ」


「それはよかった」


 三位殿は心からそう思った。


 だが、忠兼の顔は冴えない。


「……実は。二条殿は無事身二つになられたと申し上げたいところだが……実を言うと、二条殿は身二つではのうて、身三つになられたのです……」


「へ?」


 身三つとは何だ?


「いや、だから、つまり……双子(ふたつご)だったのですよ」


「……は?」


「……双子。それも男と女の……」


「っえっ!?」


 三位殿はようやく理解できたらしく、驚愕したかと思うと、そのまま絶句した。


「……妻との約束があります。双子ということは秘め事です。妻にも世間にも男君が生まれたと言うつもりです。来月になったら、約束通り男君を妻に渡す予定でおります」


「……女君は?」


 三位殿はやっと言った。


 すると、忠兼はやや俯いた。


「捨てるしかありますまい」


「ですが。それは。二条殿に育てさせてもよいのではありませんか?」


「何を仰っているのです」


 忠兼はびっくりして、顔を上げた。この弟は何を考えているのだ。やや語気を強める。


「女君はもうさる者に預けてしまいました。二条殿は男子を一人出産したのです」


 二条殿は忠兼と結婚できないばかりか、男女の双子を産み、女君は捨てられ、しかも残った男君の方もすぐに引き剥がされて、恋敵の朽葉の上にとられてしまうのである。


 三位殿は、ふと病中の備中前司の家庭を思った。


 備中前司も、妾の悪相御前がどこぞの呪師と密通して、女の双子を産んでいた。


「いい気味だ」


と前司は笑っていたが、やはり妾のことは許せなかったらしく、女児は二人とも捨ててしまった。


 悪相御前は双子を産んで、しかもその子をすっかり取り上げられてしまって、心を病んでしまったのだという。


 自業自得だし、愚かで憎むべき悪女だが、何だか哀れにも思える。


 悪相御前も、そして二条殿も。


 二条殿も壊れてしまうのではなかろうか。


 二条殿の運命に、やや同情を覚える三位殿であった。


 そして、何となく忠兼をかわいそうにも思う気持ちが涌いてくるのは、何なのだろうか。


 三位殿は検非違使大尉時憲を召して、密命した。


「二条殿の姫君を探して欲しい」


 時憲は驚いた。だが、主の性情を知る彼は、二条殿の安産の祈祷をした法真の験力を借りて、すぐに姫君を見つけ出してきたのであった。


 その子を前にした時、三位殿は不思議な思いを覚えた。


 これは妻だった女が兄と通じて、生まれてきた子。兄の子だから、自分の姪なのだ。だが、妻だった女が産んだ。同じ女が産んだ青海波の君は我が子だというのに、この子は自分の子ではない。だが、青海波の君と同じ腹から生まれたのだから、妹であるのだ、我が子の──。


「……青海波の君の妹か……」


 三位殿の複雑な響きを含む声に、時憲は思わず俯く。


「この姫君を経王御前(きょうおうごぜ)と名付けよう」


「経王御前……。どうなさるのですか?まさか、我が殿には、お育てになるおつもりではございますまいな?」


 時憲は案じ顔に言う。


「いや。それは兄君にもご都合の悪いことだ。二条殿もそれと知ったら、気を悪くなさるだろう。かと言って、この姫君に気の毒な思いはさせたくない」


 何故、三位殿はここまでお人好しなのだろうかと時憲は思った。時憲なら、この経王御前を殺すかもしれない。


「悪相御前に預けよう」


「はあ?」


 耳を疑った。


「前司と悪相御前に育てさせる」


「……」


 主が何を考えているのか、時憲にはさっぱりわからない。


 兎も角。


 経王御前──忠兼と二条殿の娘は、備中前司に預けられる事になった。


 忠兼の娘である証として、三位殿は笛一管をこの姫君に持たせた。


 この笛は榎葉(えのは)といい、以前忠兼が、


「よい笛を手に入れたので、三位に──。私は楽は下手だし、楽の名手たる御身に使われる方が、榎葉も喜ぶだろうから」


と言って、三位殿に預けた物であった。


 忠兼は、前司に預けられたこの女児(やや)が、我が子であることを知らない。


 経王御前。


 罪の子ながら、青海波の君の妹である。





 紅葉は美しく色づき、見る者の心を妖しくときめかせる。


 一本の木から、燃えるような紅、薄い朱、黄、緑と、様々な色を目にすることができる。下の方は、まだ紅葉(もみ)づいていないのだ。


 経王御前を前司に預けた数日後、三位殿は友の宰相中将殿と連れ立って、紅葉を見に嵯峨に遊びにやってきていた。


 二人、親しげに歩いていると、ひらと散った黄色の葉が夕日に照らされて金色に輝き、中将殿の袖の中に落ちた。それを指でつまみ上げ、日に翳すと、きらきらと星のように光るので、興が涌き、中将殿は笛など吹き始めた。


「よいですね。笛は小さいから懐に忍ばせて、好きな時にいつでも吹ける。琵琶や琴はそうはいかない」


 三位殿が言うと、中将殿はくっくっと笑って、何故か、


「あなたが人前ではあまり吹物をなさらないのは、やはりあれですか、見苦しいからですか?」


と言う。


「え?」


「父がよく言うのです。『こなたが笛に巧みなのは認めるが、やはり弾き物を学ぶ気にはならないのか?笛なんて、みっともない』とね。笛を吹く姿は見苦しい。まして篳篥など、頬をぱんぱんに膨らませて、その醜いことといったらない。先日、家で吹いていた時、幼い弟に泣かれてしまって。私の顔が余程醜く、恐ろしかったのでしょうね。弟は幼いながらも楽才に恵まれていると思うのですが、弟は人前では絶対に吹き物はしないと決意したらしいです」


と、中将殿は目一杯頬を膨らませて見せた。


「何をなさる、せっかくの綺麗なお顔が台無しだ」


 三位殿は呆れつつも、おかしくて笑ってしまった。


「ほら。つい吹き出してしまうくらい変な顔でしょう?清暑堂の御遊に、篳篥吹く人の顔がおかしくて、つい笑ってしまいそうになったのを必死に我慢して、大層辛かったのですよ。もうじき五節だ。試楽やら何やらで、ああ、またあの顔を笑いを堪えながら見なければならない。憂鬱だなあ」


 わはははは、と端正な面を完全に崩して、中将殿は笑い転げる。


 すましていれば、清花の姫君の面影も垣間見える顔なのに、この崩れに崩れた顔はどうだろう。性格は姫君とはまるで違う。これで、平然と秘楽の『師子』なんかを吹くのだから。


 そうやって、野山で二人、遊んでいるうちにすっかり夜になってしまった。


 月が皓々と照り、闇の中の朱の紅葉を、よりあでやかに浮かび上がらせる。


 すぐれて美しい月である。それを珍しく真顔で見つめる中将殿の面も、青白く美しい。三位殿とはまた別の優雅さを持つ公達である。


 いつもそうやって大人しくしていればよいのにと、三位殿は思った。


 大人しくなった中将殿と、評判の美男の三位殿が並んで立っていると、まるで絵巻の世界だ。目の前の紅葉も、この二人に恥じらいを見せているようだ。その木の真上には月がある。


「美しいですね」


 三位殿がうっとりと吐息を洩らす。甘美な宵、の筈だった。


 が、中将殿はやってくれた。


 いきなり目の前の赤るんだ紅葉を一枚、ぶちっとむしりとると、何か面白いことを思いついたらしく、突然吹き出したかと思うと、悪戯っぽい表情を浮かべて、


「美しいとあなたに言われて、自分のことだと勘違いした緑の葉が、赤くなって恥じらっていますよ。ほら。初々しい、愛らしいことです」


と言って、朱になりかけの葉を、三位殿の顔の前でひらひらさせる。


 三位殿、呆れて。


「あなたときたら……雰囲気がぶち壊しだ。だいたいふざけているのだか、雅びているのだか、よくわからない」


 すると、中将殿は口を尖らせた。雀みたいな顔である。


 妹君の前でもいつもこんな調子なのだろうか。だが、姫君には呆れられて、相手にされないのだろうと思って、おかしくて三位殿も笑い出した。


 日常の嫌な事を忘れさせ、三位殿をすっかり笑顔にさせた、中将殿とのひとときであった。

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