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正声・九拍──常棣の華(参)

 父・羽林殿と母・摩利御前と。都で幸せに暮らしていた幼い頃。名家らしく、瀟洒で庭の見事な邸には、素晴らしい山桜の木があった。それはとても有名な木で。花の季節はいつも、優雅な歌人達が集い、詩歌管絃に興じていた。


 一つ違いの兄妹のもとには、叔父の為長もしばしば遊びに来て。それはそれは楽しかった。七絃七賢の叔父は、二人の自慢で。


 やがて、もう一人妹が生まれて。とても幸せな家族だったのだ。


 そんな一家を突然襲った悲劇。それが全ての始まりだった。


 父の羽林殿の突然の流罪。何の罪なのか兄妹は知らない。烏丸殿が命じたことだということは明らかだった。


 どうして父は流罪になるのか。どうして烏丸殿はそんなことをしたのか。


 幼い兄妹は、ただただ泣くことしかできなかった。


 父が流された後、母と三人の兄妹は、叔父の為長に引き取られた。


 山桜の邸は烏丸殿に奪われた。


 それから間もなくのことだった。正月の除目(じもく)で、為長は伊賀守になった。


 為長は任国に赴くことにした。


 摩利御前と子供達を都に残して行くのは心配だったので、為長は彼等も連れて下向した。


 伊賀での暮らしは、決して悪いものではなかった。病弱な経実でさえ、外で遊ぶことも多かったくらいだ。都にいた時よりも自由で伸び伸びとでき、子供にはかえってよかったのかもしれない。


 それでも兄妹は、烏丸殿に奪われた山桜の邸に帰りたいと思っていた。


 伊賀に来てから、そう日も経っていない頃。ようやくその生活に慣れた頃のことだった。


 幼い兄妹は、未曽有の恐怖を味わった。


 その日、いつものように為長は政務に勤しんでいた。


 兄妹は母と共にたどたどしく琴を弾いていた。経実が弾いて、母が教える。


 母は素人だったが、多少は弾けないこともない。そうして、母に教えられながら、経実が四苦八苦し、妹二人が傍らでその手元を見守っていた時のことだった。


 それは何の前触れもなく突然やってきた。


 びんっ、と経実の手元に何かが飛んできて、突き刺さった。


「きゃあっ!」


 希姫君はびっくりして大声上げた。


 とっさに避ける隙さえない速さで琴に刺さったそれは、矢であった。


「怪我はっ?」


 血相変えて摩利御前は経実の両手を掴み、その全身を見回す。幸い経実に怪我はなく、摩利御前は次いで、娘達の怪我の有無を確認しようと──刹那、周囲で鬨が上がった。直後に土煙が上がり、何が起きたのか理解できない間に、はつぶり侍が雪崩れ入ってきた。


 賊と女房と官人達と入り乱れて、それは地獄絵図の有様だった。


 家の者達が、摩利御前と子供達を守ろうと駆け寄るが、途中で賊に斬られたり、恐怖で逃げ出したり──ようやく雲門が駆けつけた。


 雲門が経実を抱き寄せ、妹達にも手を伸ばした時だ。


 飛び込んできた一人の賊が、躍りかかって太刀を振り落とした。


 間に合わなかった。子供達を守りながらでは。雲門の応戦の刃は、一瞬遅かった。


 たちまち摩利御前の血しぶきに、白い几帳は赤く塗れ、


「母君!!」


 子供達の絶叫がこだまする。


 母に縋ろうとする子供達を引き離して、雲門は鬼の如く引き離して──


 羽交い締めに三人を抱く。


「やあだ、離してよ!母君!!」


 もがく子供達を無理やり引きずって行く。


 そこに、雲門率いる十二安という組織の者達が追いついて、それぞれが子供達を一人ずつ抱いて守り、残りは賊を斬りながら退路を確保していった。


 斬っては逃げ、斬っては逃げ。そうして、いつしか賊から完全に逃れて、辛くも兄妹は命をとどめることができた。


 この混乱で国守為長は行方不明となり、摩利御前は落命。幼い兄妹は為長とはぐれたまま、十二安に連れられて、常陸に落ちのびた。


 常陸は、そう、兄妹の父が流されている所だからだ。


 十二安は役行者を信仰する者達で構成されていた。皆、山岳修行を果たしてきた僧だ。


 雲門は為長の一族の者だが、たまたま行者となり、仲間を集めて十二安を作り、為長に仕えていたのだった。


 十二安は、はじめ山奥に逃げようと考えた。襲撃が、ただの盗賊の仕業でなかったとしたら、危険だと思ったからだ。


 もしや、烏丸殿が?


 そういう可能性も考えた。


 だが、子供達があまりに母を恋しがって泣くので、気の毒で、せめて父に逢わせてやろうと思ったのだった。


「烏丸殿の仕業なら、常陸の羽林殿のことも手にかける筈。羽林殿がご無事なら、あれは烏丸殿の仕業ではなく、たまたま盗賊に襲われただけなのかもしれない」


 十二安はそう考え、子供達を羽林殿のもとへ送り届けても大丈夫だろうと判断した。


 命からがら逃げて来た兄妹が、常陸に到着した時、彼等が手に携えていたものは、琴一張のみだった。


 法化。


 そういう名の琴。


 それだけ。


 幼い三人の兄妹が父と再会した時、父はすでに放免の身だった。しかし、帰京せず、何故かその地に留まることにし、それまでいた所からかなり北東の、海の近くに居を移していた。


 そこで三人は懐かしい父に迎えられ、以後、父の愛情を受けながら、育っていく。


 幸い一度も烏丸殿から狙われることなく──。


 羽林は邸に山桜を植えた。


 子供達は皆、都の邸に帰りたかった。


 父もその筈だ。だから山桜を植えたのだろう。それなのに、どうして帰ろうとしないのか。


 希姫君は訊いた。


「どうして父君(ててき)は都のお家に帰らないのですか?姫、帰りたい。お家の山桜を見たい、こんな小さな木は嫌です。都のお家の木みたいに、立派なのがいいの」


 羽林は姫の髪を撫でながら、悲しそうな、でも憤るような、複雑な目をして見せた。


「都の家には帰れないのだよ。あれはもう父君の家ではないのだ。取り戻したかったら……」


「烏丸殿という人のなの?」


「そうだよ。取り戻すには、烏丸殿を討たなければならない。だが、烏丸殿は帝のお味方だ。烏丸殿を討つのは、朝敵になることなのだ」


「取り戻せないの?」


 すると、羽林は、まるで叔父の為長が話してくれた『広陵散』の聶政みたいに、別人のような恐ろしい顔になり、


「易姓革命って知っているか?」


と言った。


 その時の父の顔。


 希姫君は今でも忘れられない。


「唐土ではよくあることだ。されど、この国には……その発想を持つ者は天才だ」


「それをしたら、都のお家に帰れますか?」


「……うむ。だが、準備が要る。唐土でも、多くの兵と民を持つ者が成し得たことだ。沢山、兵を集めなくてはならぬ」


「準備?父君は準備しているの?ここで準備するの?だからまだ帰らないの?」


「……」


 幼かった希姫君には、何のことやらわかりはしない。


 だが、武芸を身に付けなくてはならないのだと、幼心にそう思って、その頃からだ、姫は男子顔負けの訓練を始めた。


 才能があったのだ。


 いつしか、姫はどの男よりも強くなり、皆から「希姫君」と呼ばれるようになった。


 対する妹の姫は気品ある淑やかな美少女で、「(あて)姫君」と呼ばれた。


 希姫君も綺麗だが、人それぞれ美的感覚は異なる。鳥肌を覚える程美しいと思う者もいれば、そうでもないと感じる者もいよう。


 だが、貴姫君は万人が美しいと感嘆しうる美少女だった。いかなる感性の者からも、美しいと認められる。


 貴姫君は法化の琴をよく弾いて過ごし、武芸はあまり嗜まず、都の姫君と余り変わらぬ生活をしていた。


 病弱な経実は寝込むばかりで、希姫君ばかりが強くなった。


 やがて、羽林も亡くなって。兄妹三人だけになった。


 庭の山桜は大分大きくなり──しかし、兄妹はなお、都の邸の山桜を諦めていなかった。


 いつか。いつか三人で都に帰ろう。あの邸を烏丸殿から取り返そう。


 父の心をどこまで理解していたかは知れぬが、兄妹は、いつか必ず都の邸を奪い返す事を誓い、そのための準備をこの地で進めることにした。


 こうして土着の道を選び、武装し、着々と領地、兵の拡大を進めているのである。


 常陸の海側を制圧し、さらに南へ、下総と領地を広げていった。


 父の甥らしい陸奥の在庁とも手を結び、上総の領主達とは不交戦の約定を交わした。


 さらに、父が三亥御前(みいごぜ)とて、関東一の水軍の棟梁の養女を後妻にしていた。父は将来のために大事なことだと言っていたが、確かに今、その関東水軍長行の軍は、経実を主と仰いでいる。


 法化党──経実は、今や関東水軍さえ間接的に支配する立場になっていたのだ。


 戦には、経実自らが陣頭に立って指揮をとらなければならない。だが、彼の体ではそれは叶わない。


 だからといって、いくら一騎当千でも、女人である希姫君を総大将とするわけにはいかない。


 だから、希姫君が男装して、経実として陣頭に立った。家臣達はその秘密を知っているが、周辺の領主達も敵も知るまい。幸い、姫は経実に似ていた。


 自分が経実の役をやる──そう言ったのは姫だった。姫が最初にやると言ったのだ。


 当然、家臣達は反対した。女人にそのような無茶はさせられない。


 だが姫の決意は強く、経実も又それを望んだ。で、家臣達もそれに従うことになって、今日に至るのである。


 最初のうちは、姫も嬉々としてやっていた。経実は心からすまないと思い、会う度、礼と詫びの言葉を口にした。家臣達は気を遣った。


 だが、だんだん慣れてくると、それを忘れる。


 経実は、いつしか希姫君が戦場で闘うことを当然とするようになり、病床で口やかましく命令ばかりするようになった。


 家臣達も姫が女であることをつい忘れた。


 姫は障りが他人よりひどく、その期間はとても外に出られないのに、そんな彼女に戦場は非情だった。過酷だった。だのに、いったい誰がその苦痛をわかってくれるというのか。


 次第に姫は、こういう戦のやり方が正しいのかと、疑問を持つようになった。すなわち、戦をして領地を広げる一方で、貧しくなっていく。


 農民は疲弊している。


 もっと別なやり方があるのではないか。


 そう感じるようになった頃。


 兄の命で戦に行き、凱旋したある時のことだ。


 帰ったばかりの姫に、経実は言った。


「すぐに出陣しろ」


「いやです」


 姫はつい反射的にそう答えていた。


 日頃から、貴姫君といい、女房どもといい、口を揃えて戦は嫌いだ、戦は怖いだと言っていた。


 女に何がわかる。経実はその度にいらいらした。


 希姫君までもが嫌だと言うので、経実は何故かむっとした。


「女はいつもそれだな。どうして女は皆口を揃えて戦はならぬと説教するのか。よりによって、希姫君までもが反戦論者とは、驚くよ」


 病床に起き上がって、馬鹿にしたように言ったのだった。


 姫はかっとなった。


「ええ、女は戦は嫌いです。いえ、女だけではありません。農民は、男も女も老人も子供も、皆戦は嫌いですよ。戦を好むのは武門の男だけです。どうして民が戦を嫌うかご存知か?」


「知らん」


「戦が起きたら、田畑を放り出して、戦場に行かなければならないからです。豊作は期待できませぬ」


「なるほど、屁理屈だな」


 くくくと経実は笑った。


「屁理屈だ?」


「そうだよ。田畑を放り出すのが嫌だなぞ。本当は戦が怖いだけだろう」


「そうですね。民は弱いですから。女も子供もそう。弱き者故、戦は嫌なのです、いいえ、怖いのです。何故か。それは死ぬからです。傷を負うからです。痛い、苦しい。人間、誰も痛い思いなぞしたくありません。死ぬのが恐ろしいから、傷の痛みが辛いから、だから皆戦が嫌なのです。弱き者は。それの何が悪いのですか」


 この時の希姫君はどうかしていたようで、思いが溢れ出して止まらなかった。


「それに。武門の男も本能では死ぬのが嫌で、怪我も嫌な筈です。戦せずに済むなら、これ以上のことはないと思うから。だから、古来より唐土では兵法なるものが重宝されているのではないのですか?」


「……」


「武門の男だって、まことは死ぬのが怖いくせに、女子供のような弱い者だけを、臆病だと笑わないで下さい」


「……だがな、戦がないと、誰もついては来ぬ。戦に勝ち、褒美を与える。それで、家臣どもはついてくるのだ。家臣というものはな、しばしば甘い汁を吸わせてやらぬと、忠誠心が揺らぐという危うきものなのよ」


 戦で指揮するだけの姫にはわかるまいとでも言いたげな態度に、姫は余計腹が立った。


 主君だか政だか知らないが、戦場で指揮したこともない人に、戦の何がわかるか。


「戦で負けぬ方法は戦をせぬことです。なんでもかんでも戦で決着付けようとしないで、先ず話し合ってみたら如何ですか。何の戦略も持たず、いきなり戦など、野蛮な。これでは盗賊ではないか」


「なんだと!?」


「とにかく、私は戦に同意できません。私は兄上が馬鹿にする、女ですから。か弱く臆病な女故、戦は致しません。どうしても攻めると仰せなら、兄上おん自ら兵を率いて出陣なさいませ。私、兄上の替え玉はごめんです」


「なに!?」


「兄上には私の苦痛なんておわかりにはならぬ!兄上がぬくぬくと粥を召し上がっている時、私は戦場で食べた干飯(かれいい)を全て吐いてしまっているのです。首が飛び、腕だけが転がっている。血のにおい……おぞましい!誰とも知らぬ初めて会う者の、吹き出す血しぶきを浴び、その生ぬるい血に体温をあたため……どこの誰とも知らぬ者の血で顔も髪も手も真っ赤に染めて。その粘り気のある感触、におい……女の私に堪えよと?何も食べられぬ。あんなおぞましき地獄。私は弱い、愚か、臆病な、兄上のおん目には馬鹿としか映らない女でございまする故、あんな所はもう嫌です。兄上は男なのだから、平気でしょうから、兄上が行けばよいでしょう!」


 そのようなことを、言ってしまったこともあった。


 兄の体のことがあるというのに。言ってはならないことだというのに。


 姫は後で謝ったが、経実も無茶をさせていたことに気付いて、やはり同様に謝った。


 希姫君の心が傷ついていたことに、兄も心を痛め、以後、無理な攻略はしなくなった。


 姫の方も、都に帰るのだ、烏丸殿を討つのだと決意を改め、経実になることに努めている。


 それでも、不安になることもなおある。先程のように。雲門や三郎に言ったように。


 それでも、彼女は今後も戦場に赴くだろう。


──


 経実の病床に呼ばれた理由はわかっている。


「禅円、気遣い無用」


 姫は言った。


 寂意入道の件で、四辻内大臣から協力の依頼があった。勿論、経実は承諾した。


「いよいよ出陣ですか」


 姫は経実に確認するように尋ねた。


「うむ。桜町館に向けて、敵が出陣した。桜町館を囮にしよう。敵がそこを攻めている間に、我等は下野に入り、寂意入道の所領を奪い返す」


「かしこまりました」

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