表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/85

正声・九拍──常棣の華(弐)

 小高い丘の上。


 眼下には一面、見事な田。果てしなく続く。広い平野全てを埋め尽くしているかのように。


 騎馬の人が四、五人ばかり、その丘から田の緑を眺めていた。


 稲からは穂が出ていて、今年も豊作だろう。


 騎馬の人々は、皆満足そうに笑顔を浮かべている。


 その中に一人、他とは明らかに雰囲気の異なる人がいた。


 まだうら若い、紅顔に背丈より長い黒髪。凛とした白い顔は、男とも女ともつかない。なんとも中性的な不思議な色香が漂っている。


 紅という色鮮やかな水干を着ている。水干だから男装だが、果たして男なのだろうか。


 長い髪を一つに束ね、颯爽と馬に跨る姿は、とてつもなく美しかった。


 その人は言った。


「のう、三郎」


 澄んだ美しい、女性の声だった。


「はい、希姫君(まれひめぎみ)


 三郎と呼ばれた荒夷(あらえびす)は、かしこまって返事した。


 希姫君と呼ばれたうら若き人は、眼下の稲穂に目を向けながら、ぼんやりとした調子で言う。


「版図を広げ、領地を豊かにするには、どうするべきだと思う?」


「……は……」


 三郎は困って、隣の入道の顔を見る。


「兵を養い、強き力で周辺の弱小な地を攻めまする」


 答えたのは入道だった。


「まあ、そうだな。普通はそうするだろう。だが、それでは我等は貧しくなるばかりだ。確かに、兵力があれば、弱い所に攻め込んで、容易くそれを手に入れられる。領地は広がる。だが、軍事力が増せば増す程、金がかかって貧しくなるのだ。年貢は高くなる。兵の数も要る。農民からも兵を集めなくてはならぬ。田も畑も耕す人が減り、収穫量は減るだろう。それなのに、年貢は高い。領民は疲弊するな。強き軍とは貧乏なる軍なのだ。戦では領土は広くなっても、決して豊かにはならぬ」


 希姫君の言葉に、入道達は青くなる。


「姫は法化党は間違えていると仰せか?殿の御意には従いかねると?」


「まあ、な。兄の経実は戦場に行ったこともなければ、軍事訓練もしたことがない。領地を見回ったこともなく、ただ机上の策……」


「姫!」


 入道が遮る。


 姫は肩をすくめ、入道の方を振り返った。


「すまぬ雲門。別に私は兄が嫌いなわけではない。この身の扱われ方に不満があるわけでもない。ただ、我等の戦に間違いはないのかと不安になっただけだ」


 そう言って、ちろっと舌を出す。


 そんなふうに無邪気に振る舞われては、叱る気も失せる。雲門入道は、ふうっと息を吐き出した。


 姫は悪びれることもなく、さらに重ねて言うのだ。


「戦をしなければ、豊かになるだろう?領民には兵役もなく、耕作に専念できるから、収穫量は上がる。国庫も、戦がなければ、集めた年貢を使わず貯めておけるから」


「しかし、領地は広がりませぬぞ」


 すると、姫はくすっと笑った。


「なあ。主というものに、代わりはあると思うか?」


 突然話が変わって、入道も三郎も目を白黒させた。


「領民から見たら、領主のかわりなんか幾らでもいるな。それまでの領主が敵に滅ぼされ、敵将が新たにその領主となれば、領民はその新しい主に従うしかない。──新しい主は敵だった者だが、どうしてどうして、年貢は少なくて大助かりだと、先主のことなど忘れて、新しい主を受け入れるだろう」


「何と仰せか、主にかわりなど!」


 入道はつい憤慨する。


「家臣達はそうだろう」


 姫は笑う。


「だが、民には家臣達のような忠誠心はない。民にとっては主なぞ、いくらでもかわりはいるのだ。年貢が安く、兵役のない、楽しく豊かな暮らしをさせてくれる主こそ、民にとって歓迎すべき主だ」


「……」


「もし、そんな都合のよい領主がいたら、領民は喜ぶこと間違いない。だが、それだけでない。周辺の領地の民とて、そこの民になりたい、その領主に治めてもらいたいと思うのではないか?放っておいても、土地が民を伴って押し寄せてくるようになる。『我等もあなたに治められたい!』とな。戦せずとも、領地は広げられるのだ」


 入道も三郎も激しく心を動かされたようだ。


 三郎は、


「そうか!領地を広げるには、戦をしないことが最良の道なのか!」


 熱く叫ぶ。


 その大音声に迷惑そうな顔で、姫は、


「いや、これは間違いだ」


と言った。


「なんでですか!?」


 三郎はやはり大声だ。しかも甲高い。


「どうしてこうも常陸の人間は甲高く大きな声なんだ」


 言ったのは入道だった。


「うっせえな、都がら来だからってえ、気取ってんなあ」


 つい訛りが出て怒るのを、まあまあと姫はたしなめる。で、


「何ですか、希姫君、何故間違いなのですか?」


と三郎は顔を赤めて俯き加減に、言葉を探し探しそう言って、話を本題に戻した。


 姫は頷く。


「普通は力ずくで、領土を広げるものだ。そうやって広い領地を手に入れてきた者には強大な軍事力がある。そこに、豊かで広大な地があったら、彼等は欲しがるだろう。しかも、その地に兵はない。兵がないなら、軍を持つ者は容易く攻め込める。こうして兵を持たない豊かな地は、野蛮な奴らに呆気なく滅ぼされる」


「……」


「ま、要は均衡だな。領地を守るだけの兵は必要だ。もし、それまでの主が滅ぼされ、新しい暴君が領民を奴としてこき使ったら……年貢を高くしたら、領民は気の毒だ。領土を奪われず、領民を守ることは、領主の責任だ。侵略者から守るだけの兵力は必要だな。盗賊だらけの今の世には」


 それから、希姫君は再び眼下に目をやった。


 彼方の田では、農民がせっせと野良稼ぎをしている。


「そろそろ戻るか」


 姫は呟くようにそう言うと、手綱を操り、馬を歩かせ始めた。雲門入道らもそれに続く。


 やがて、田の中の道に至り、そこをさらに進んで行くと、農民達が休憩中なのか、三人ばかり集まって話に興じているのが見えた。だが、希姫君達に気付くと、途端に口をつぐんでしまう。


 姫はできるだけやわらかい笑顔を作って、彼等に話し掛けた。


「よい。楽にしなさい」


 けれど、彼等は畏まったままである。まあ仕方のないことだろう。


 姫は明るく、そして優しく、


「何か変わったことはないか?不便なことは?望みは?もしあるのなら、遠慮なく言って欲しい。何か質問は?」


と尋ねる。


 農民達は地に両手をつけたまま、互いの顔を見合った。何か言いたそうである。


 浅葱色の衣を着た者に三郎が言った。


「何だ?おぎぎしたいこどがあんなら、遠慮しねえで言え。その方が、姫のためにもなんだぞ。おめえ言え」


 指名されて、浅葱衣の男はぺこぺこ地に頭をつけた。


 男はその姿態のまま、やっと言った。


「……ち近頃、下野の方から、大軍が攻めできるって噂があんので……きないっていう噂もあっけども……もしもきっちゃったら、おら達なじょうしべと思っで」


「案ずるな。ここまでは来ぬ」


 姫は笑顔である。


「それに、万が一我等が敗れ、滅びるような事になっても、こなたたちは何も困ることはない。我等が滅んでも、地面は残る。もっと大きな話をすれば、譬え国家は滅びても、国土さえ消えなければ、人は生きてゆけるのだ。遠き唐土に目を向けてみろ。かの地、幾度国滅びたか知れぬ。新しい国が生まれては滅び──それを繰り返しているが、幾度国滅びようとも、異民族の支配下に置かれようとも、民には関係ないことであった。この国とて、仮に海の向こうから攻められ、滅び、異国の占領下となろうとも、こなた等は滅びぬ。人間、食物を作る地面と雨風を防ぐ家さえあれば、生きられる。我等は立場上、責を負うて死なねばならぬが、こなた等は新しい主の下、何一つ変わらず生きてゆける。地面さえ消えねば。……民はいかなる時も生きてゆける。誠の勝者は民だな」


 余りなことに、農民達も入道も三郎も皆、二の句が継げない。


 白けてしまったので、姫は跋が悪そうに、ふいにからから笑い出した。


 つられて皆も同様に笑う。


 姫は、


「すまぬ。先程と矛盾したことを言ったか、私は」


と言った。


 丁度その時、向こうから館の者が飛んで来た。


「姫!殿がお召しです。疾くお戻りを!」


 館に帰ると、希姫君は着替えて髪を梳いた。化粧も直す。


 五衣(いつつぎぬ)に身を包んだ彼女は、どこから見ても女人だった。ただ、普通の女人よりは、やはり凛としていて、なお中性的な美が匂い立っている。


 衣服を整えると、希姫君は兄の病室へ向かった。


 そう、常陸から下総を領する法化党の棟梁・経実は、殆ど毎日床に臥していなければならない程の病人であった。


「兄上、お加減は如何ですか?」


 そう言って、病室に入って来た希姫君の若い健康が、経実には眩しかった。


「ほう。今日は今頃の百合の花みたいに女らしいな。珍しいこともあるものだ」


 そう言ってからかう経実は、まるで男装した時の希姫君のように、面差しがそっくりだった。


「何ですか、兄上、中年男みたいに」


 姫は恥じたのか、ちょっと俯いて、経実の枕元に座った。


 経実はくすくす笑う。


「おもとでも、やはり、女らしいと言われれば嬉しいよなあ」


「兄上は女のように美しいと言われて、嬉しいのですか?」


「いや」


「だったら、聞くまでもないでしょう。私は男ではありません、女なのですから。父上に、男ならよかったのにと言われる度に悲しかった」


「そらま、儂も父上から淑やかだと言われるのは嫌だったわな。あははははは」


 兄妹そろって、声を立てて笑う。


 大床に控えていた重臣の禅円が、


「姫君は男も敵わぬ大力。その辺の猛者より、お強うござる。男より武に秀でておわす故、女人であるということを、つい置き忘れて考えてしまいまするが……そう、御心は淑女でいらせられましたなあ。乙女の御心を傷つけ──」


とそこで言葉を切った。


 兄妹は笑いをおさめた。


「兄上の替え玉になって戦場を駆け抜ける、それは自ら選んだこと」


 希姫君は笑顔の名残を留めたまま、そう言った。


 そう。経実は子供の頃から病弱で、一度も戦場に出たことはなかった。


 戦場で見る、颯爽たる法化党棟梁の勇姿の正体は、希姫君だったのだ。


 希姫君が経実として、獅子奮迅の働きをしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ