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正声・七拍──輪台青海波(下)

 さて。青海波の君を産んだ人の腹は、徐々に大きくなってきていた。


 だが、忠兼少将は未だこの人を妻にすることができずにいた。どうしても、朽葉の上を説得できなかったのである。


 それに、やはり三位殿が恐ろしかったのだ。


 あれ以来、忠兼朝臣には、以前と変わらず丁寧に接してきたつもりの三位殿であった。だが、忠兼朝臣の方は、三位殿が気の毒に思ってしまうくらいおどおどしていた。


「二条殿の婿にはなりません。子が生まれたら、私が引き取り、妻との子として私が育てます」


 ある日、忠兼朝臣は恐る恐るそう言った。


 軒近くの花橘の香に誘われて、琵琶を抱いていた三位殿はむしろびっくりして、


「えっ。お二人は、とうに夫婦となられたのだと思っておりましたが、まだだったのですか?と言うより、お二人は夫婦にならないと?」


 何をやっているのだろうと、恐妻家の忠兼朝臣を不憫に思ってしまったくらいである。


 朽葉の上は離縁は決して許さなかった。そして、新たに自分以外に妻という存在が加わわることも、許さなかったのだ。


 家女房の(げん)のような愛妾と、二条殿とでは立場が違う。自分が正妻(こなみ)の地位を奪われるなど、断じてあってはならぬことだ。


 ただ、朽葉の上には子がなかったものの、意外にも夫が別の女に産ませた子でも、自分の子として育てるのは構わないという。


 それで、ある意味ものわかりのよい女なのかもしれない朽葉の上には逆らえず、二条殿との結婚は諦め、生まれてくる子は忠兼朝臣が引き取り、朽葉の上に育てさせることにしたのだという。


 青海波の君の異父弟か異父妹は、朽葉の上の子になるのだ。


 何だか馬鹿らしくなってきた三位殿だったが、一番損をしたのは自分ではなくて二条殿だと思うことにして、ゑまひてうの女君と青海波の君の養育に専念することにした。


 同じようなことはあるものだ。


 怒り悶える男がいた。


 病前司。


 ゑまひてうの女君の実父、備中前司である。


 彼が病床で怒り狂ったのは、妻の侍従(青海波の君乳母)ではなくて、妾の(さが)である。嵯峨に住んでいたことがあったので、「相」と呼んでいたのだが、これに「悪」の字をつけて、「悪相」と呼ぶことにした。


 この悪相御前(ごぜ)、小右京(三位殿腹心)の実姉で、弁(時憲室・青海波の君乳母)の従姉妹にあたる。


 悪相御前には子がない。だから、前司に軽んじられるのだろうと思っていた。何かと侍従と自分を比べては、引け目に感じていた。


 そんな彼女の楽しみは呪師(じゅし)猿楽(さるがく)だった。


 呪師とは、色鮮やかな美しい装いをした人が、走りという機敏な舞を見せる芸能である。


 その呪師の中に、義晴(よしはる)という美青年がいた。


 何かは知らぬが、いつしか彼女はこの呪師と、そういう仲になってしまった。


 悪相には子を産まない理由があった。それは、妹の小右京も同じである。小右京が未だに人妻とならないのは、この姉妹の中に流れるその血が理由である。


 だが、悪相御前は子が欲しかった。


 身分のない呪師ならば、憚りあるまい。そう思ったのだろうか。


 悪相は義晴と密通し、ついに子を産んだ。果たして、生まれたのは双子(ふたつご)だった。


 それみたことかと前司はほくそ笑んだ。双子は忌み嫌われる。


 前司は、


「世間体が悪いから。おもとは子なぞ産まなかったことにしよう」


 そう言って、生まれた子を二人とも捨てさせた。


 さらに、義晴を追放した。


 そうしてみると、すっきりしたのか、前司の怒りはややおさまった。悪相を捨てることもせず、そのまま屋敷に置いている。


 だが。


 双子なるものを産んだ衝撃故か、子を奪われた悲しみか、恋人が消えた苦しみか、悪相は激しい気鬱に襲われ、半狂乱状態に陥っていた。


 だから、前司を憎いとも気づかず、屋敷に置いておかれるままになっている。


 前司は大笑いしながらも、決して許してはいない。





 上野の、前司の異母弟達は、大乘党の残党狩りに勝利していた。信濃から上野に入った信時と、越後から直接上野に入った時有に挟み撃ちされ、盗賊どもは死滅したのだ。


 その直後から変化が起きた。


 快進撃を聞きつけた地元の武士団が、続々と兄弟のもとに馳せ参じるようになったのだ。


「大乘党には散々な目に遭わされてきました。田畑は荒らされ、人はさらわれて売られ、長年苦しめられたのです。我等、盗賊どもに立ち向かうも、なかなか討ち果たせず。お恥ずかしいお話ですが。それを見事、滅ぼして下さった。御礼の言葉もありませぬ」


 武士達は皆そう挨拶する。


 時有は来てくれたことに礼を述べた後で、こう続けた。


「だが、大乘党は生きている。陸奥の地で、大きく成長しながら。いつか必ず攻撃してくるだろう。戦いは終わってはおらぬ」


「はい。ですから、我等を麾下にお加え下さい。典厩殿、大進殿の下で、我等も大乘党と戦います。御身方だけに戦って頂き、守って頂くのは心苦しゅうございます。戦わせて下さい、共に!」


 こういう輩が急激に増えた。


 上野全土から集まってきて、さらに信濃、下野からも続々駆けつけてきている。


「兄上」


 信時は言った。


「これは願ってもなきことです。我等はこの地に根差してこの地の武士団をまとめ、束ねて、大臣の軍を作らなくてはなりませぬ。この度の盗賊との戦いで悟りました。これからは武力が必要であると。話し合いに応じようとせず、力で攻めてくる相手に必死に呼びかけても、怒鳴る側からその喉かっ斬られるだけです。大乘党に降伏を呼びかけても、馬鹿にされるだけ。和議を求めても、使者の首が返されるだけ。いかなる呼びかけにも応じますまい。戦は避けられませぬ。大乘党に勝つためにも、この地を治め、武士団を統率致しましょう」


「都には帰らぬということか?」


 時有は既に覚悟している。だが、信時はどうか。あんなに帰りたがっていたではないか。


 信時は眉をつりあげ、


「はい。都には戻れませぬ」


と答えた。


「それでよいのか?」


 そう尋ねる時有からは弟への気遣いが感じられる。


 信時は必死に涙をこらえているようだ。


「はい」


と言う声が、震えているように兄は感じた。


 時有は目を瞑り、ふうっとゆっくり息を吐き出す。


「わかった。そうするとしよう。では、我等はどこに居を構えればよいか?」


 時有は目を開ける。


 信時が俯き加減に、


「越後、信濃、上野、下野、それぞれに必要でしょう」


と言うのを、


「それやそうであろうがの」


と時有は、ふいにからから明るい声を上げて笑い出した。


「下野との国境の辺りに、邸を用意してくれるという者がある。奇特なと感心しておったら、敵対する武士団を討ってくれとぬかすのよ。なあ、信時。どうしたものかなあ。盗賊征伐のためにやって来た我等が、大臣以外の者のために戦うのは。今まで、まっとうな者には手出しはしなかった我等だ。武士同士のくだらぬ勢力争いに、加わるのか、邸を与えてもらう見返りに?どうしたらよいかな?」


 尋ねるような口ぶりであるのに、既に彼は決めてしまっているようである。信時が口を開ける前に言った。


「相手は四辻の大臣の荘園の者達だそうな。せっかく自ら配下に加わってくれて、尚且つ邸までくれるというのに、恩を返さぬわけにもいかんだろう?」


「……はい。こうして勢力争いにも首を突っ込むことで、武士団の信頼を得、兵を増やすことに繋がるかと……」


「そうだ。そうやって勝利して得た領土も兵も、そ奴のものだが、そ奴は我が配下なのだから、それは我がものということになる。我等もこれからは勢力争いの日々となるぞ」


 時有は満足げに頷きながら、そう言った。そして、急に優しい目になると、まだ下を向いている信時の額に向かって、


「邸は我等のものだな。都に使いを出し、母上をお迎えしよう」


と言うのだった。


「えっ」


と、信時は驚いて顔を上げ、兄の目を見た。


「母上を?」


「そうだ。都では、父上のことで辛い思いをしておわそう。針のむしろの筈だ。たったお一人で、お心細かろう。都で生まれ育ち、都しか知らぬ母上。都には親戚も友達も多いが、その別離が辛い筈の人々から異端視され、冷たくされているのだから。それならば、恐ろしき荒夷の住まう坂東の地でも、息子と暮らす方がお幸せだろうと思ってな」


 そう言っている間にも、信時の目はみるみる涙で一杯になり、ついに堪えきれずに、ぽろりとこぼした。


「兄上……」


「泣くなよ、馬鹿だなあ」


 時有はもっと優しく笑った。

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