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乱声・三拍──一切法自性清浄(参)

 翌朝、ただならぬ気配に目を覚ました。牢の見張りは眠り込んでいる。


 敏平、庭に目を凝らすと、梅の木の横に確かに人影がある。目が合った。


 侵入者は一瞬ぎくっとしたようだが、中の人が敏平と知って、急に緊張を解くと歩み始めた。


 十歩前で立ち止まる。その人は。


「か、覚……」


 覚如だった。


 どうやって、この邸奥まで忍び込んだというのか。


 この法師はかつて呪師であったから身軽だが、それとて、ここまでうかうか通してしまう、当家の警護には問題がある。


「驚くな。幽霊でも見るように見るな。築地を跳び越えただけだわ」


 覚如は仏頂面でぶっきらぼうに言った。


「おぬし、若君をどこへ隠した?」


 覚如、挨拶もなしにいきなり用件を言い始める。


 敏平はただ面食らって、言葉も見つからない。


 それを覚如は苛立ち見て、なお五歩ばかり前に出た。そしてもう一度。


「若君をどこへやった?」


「……わ、若君、とは?」


 敏平は呆気にとられつつ、ようやくそれだけ言った。


「何をすっとぼけおって!若君と言うたら、輪台の尼公の若君に決まっておる」


「輪台?」


「おうよ」


 それはもしや、自分の恋人の尼公のことかと、敏平はようやく悟った。


「輪台というのですか。若君とは何故?私のような者の子を」


 敏平、内心どぎまぎしている。昨日、自分の出生を知ったばかりだ。


 真実の身分の自分であれば、その子は若君と呼ばれるに相応しい。まさか、覚如がこの秘密を知っている筈がないが……


 しかし、覚如は、


「おぬしの子だからといって、どうということはない。尼公のお子故に若君なのだ。尼公は我が娘ではないからな」


と、苦虫を噛み潰したような表情になった。


「おぬし、あの若君をどうした?」


「い、いなくなったのですか?」


 我が子故に心配である。


「尼公亡き今、私が手元に置いて育てようとしていたのに、こちらの方が聞きたい。私の子をどこになくしたのです?」


「おぬしも知らんのか。なれば、小右京だな。あの女、若君を連れて何処へともなく逃げおったな。我が娘の福生まで盗んで行きよった。くそっ、必ず見つけ出してくれるわ」


 覚如、そう言うと、はやくも踵を返して跳び去ろうと身構えた。が、


「お待ち下さい!」


との敏平の凄い声に、膝は挫け、


「何だ!?番人が起きようぞ」


と言って、振り返った。


「尼公がご坊の御娘でなかったとは、誠ですか?いったいどなたの御子だったのです……り、輪台とは?」


 言っているうちに、敏平、よからぬ直感が働く。


 覚如、なおまだ尼公を我が子同然に思い、自害した理由を敏平のせいだと思って恨んでいる。尼公の出生は、覚如の誇りでもある。


 覚如、胸を反らして言った。


「尼公は二条殿の、輪台青海波のご兄妹。母君の二条殿は太皇太后宮の姪君。そのような高貴な御方の御腹の姫君だ。父君は風香中納言殿の御子の忠兼少将殿。尼公は貴種であったのだ。それを、おぬしの如き卑しい者と通じたことを恥じて、自害なされたのだ。おぬしに害された!」


 すると、その最後の部分の叫び声に、牢の番人が目を覚ました。覚如、風よりも疾く逃げ去った。


「今、誰かいたか、敏平の君?」


 番人、真っ青な敏平へ問う。けれど、敏平は何も答えず、その青い顔に冷や汗を流していた。


 朝も早くから敏平が倒れたというので、右大将殿は夕方、朝参より帰宅すると、すぐに獄中の敏平を見舞った。


 敏平はもう意識も取り戻し、起きていたが、なお顔色が死人のようにひどい。ただ、眼だけが、長年怨み続けた宿敵と対峙した時のもののようであった。頬が痩けているだけに、それが余計に異様に見える。


 右大将殿が思わず背筋を寒くすると、敏平の方が口を開いた。


「何故私が獄に入れられたのか、その本当の理由がわかりましたよ」


「……え?」


「私が真実を知ったら、必ず自害すると思ったからでしょう。自害させて下さらないのですか、どうしても?残酷ですね、あなた方は本当に残酷だ」


 右大将殿を射殺さむとするような眼。


「と、敏平……真実は昨日話したが」


「いいえ、全てではないでしょう。私に輪台尼の秘密は隠しましたね?」


「な、何故……それを……」


「尼公を、どこの馬の骨とも知れぬなどと仰有って!尼公は風香殿の御孫!忠兼少将殿の御娘!貴人ではありませんか……私と尼公は、父は違えども、母を同じくする兄と妹だったのですね。こんなひどい現実を知りながら、私に隠していたのですか」


「……話せると思うのか。知ったら、こなたがどんなに苦しむかと思って」


 慌てふためいた直後には、もうこのように開き直る。いや、開き直ったと敏平には見えた。


「知ったら、死ぬに違いないと思ったのでしょう?どうしても死なせないつもりですか、残酷な。こんな真実のあるこの世に、いつまでも私を生かしておくおつもりでしたか。お慈悲のないことです。この受け入れ難き真実。尼公の自害の真相はこれだったのですね。ようやく合点がいきましたよ」


「敏平……」


「もう何も包み隠さず仰有って下さい。小右京の君はどちらへ行ったのです?」


「小右京が何方へ行ったのかは知らぬ。ただ、尼公の遺児を連れて都を出た。遠い国へ行くと言うて去ったわ」


「教えて下さい。私は誰です?尼公はいったい何者なのですか?」


「……こなたの敏平という名には秘密がある」


 右大将殿は急に何を思ったか、問われていることとは全く関係のない、敏平の名前について語り始めた。右大将殿もかなり動揺しているのに違いない。


「こなたの実父の韶徳三位殿には一人、猶子がいた。いとこの備中前司の娘だ。これを猶子として、(いみな)重子(しげこ)と名付けた。こなたにとっては義理の姉君だ。そして、二条局との間に実子のこなたが生まれた。その後、二条局とは離縁なさって、二条局は三位殿の兄君・忠兼朝臣との間に姫君を儲けられた。これが尼公だ。三位殿にとっては姪君だが、こなたにとっては、父は違えど妹。故に、怒りを捨てて、三位殿は尼公の世話をなさった。経王御前と名付けての」


 ここまで話すと、右大将殿は一呼吸おいた。


 敏平は先を促すような眼。


「時に、こなたは何故敏平という名なのか、考えたことはあるか?」


「亡き姫君が付けて下さった名ですが?」


「そうだ。姫君は我が妹ながら、流石に察しのよい人であった。長姉(このかみ)の姫は重子。仲のこなたに何と名付けるつもりでいたか、三位殿は。こなたの妹に経王御前と付けたのだから。三位殿のお考えを読み取って、亡き姫君はこなたに敏平と名付けるよう、私に遺言したのだ」


「……?」


「重、経は宮、角に同じだとか。つまり、重とは宮であり、経とは角である。重子と経王御前という名は、五声に由来するのだ。とすると、仲のこなたは何と名付けられるべきか」


「宮と角の間ですから、商です。宮、商、角、徴、羽が五声ですから」


「だから、こなたは商なのだ。商は敏に同じ。宮、商、角は、重、敏、経と申すこともあるとか。三位殿の命名の意図を我が妹が察して、こなたを敏平と命名したのだ」


「私は恐ろしうございます。経王御前つまり尼公は、紛れもなく我が妹であったのですね。名前からもそれが明らかなのですね。その間に子ができたなぞ!小右京の君が連れ去ったとはいえ、世にこのことが知れ渡ったら……!いえ、その子そのものが恐ろしい。殿、お願いです。見つけ出して殺して下さい。そんな得体の知れないものを、大人に成長させてはなりません。……私、この先どうやって生きて行けばよいのですか?」


 そう言われてしまうと、右大将殿もどうしてよいやらわからなくなってしまう。ただひたすら敏平の身が案じられた。このまま牢に入れておいたら、心を病み、体力次第に衰え、遂には病魔に蝕まれてしまうだろう。


「獄から出してやる。まずは養生せよ」


 ようやく敏平は解放されたのであった。


 それから讃岐の局に忍び込む。


 讃岐は大北ノ方に呼ばれていて不在らしい。局の中はがらんとしていた。


 敏平は屏風の前に忍び寄る。その裏の讃岐が執着する太刀に、すっと手を伸ばした。太刀を手に取り、腕の中に抱く。


 尼公は狡いと思った。現実から逃れる道を選んだ。いくら受け入れ難い真実だからとて。酷い。敏平にだけ責任を押し付けて。


 ぎりと手の中の太刀を絞り上げれる。


 その時、


「何していやる?」


と、背後から声を掛けられた。紛れもなく讃岐の声。


「母上」


 敏平は振り返りもせず、太刀を両の袖でくるむようにした。


 讃岐は戸口より中に進んできて、目敏くそれを見つける。


「太刀をどうするつもりか?」


「いえ、何でも……」


「それで死ぬ気か?」


 讃岐は眼を尖らせた。


「まさか!」


 敏平、内心ぎくりとする。


「誤魔化しても、母にはわかるわ!」


 讃岐はそう怒鳴ったが、敏平、それで急に彼の中の何かに火が点いた。


「母上っ!」


と、急に語気を荒げると、


「いや、母と呼ぶべきか」


と、言い改めた。


 讃岐はその一言で、全てを悟った。気を鎮めようと努めながら、


「何もかも、お知りになったのか……」


と問うでもなく、ぽつりと呟く。


「母上。この敏平はいったい何者なのか?」


 相変わらず魄霊のように覚束ない様の彼だが、その意志薄弱そうな姿に反して、鋭い声と語気であった。


 讃岐は責め立てられているような心地がして、眉根を強く寄せる。


「申し訳ありません。貴人(あてびと)としてお育ち遊ばす筈の御身を、二十一になる今の今まで、卑しい者の子と偽ってお育て申してしまいました。如何に御身の御命を助け参らせんがためとは申せ、誠に恐ろしい罪を犯してしまいました」


「母上」


「卑しい者とて、今まで幾度となく口惜しい思いを遊ばしたことでしょう。身分が欲しやと思われたこと、これまでに何度となくあったことと推察……」


「母上っ!」


 綿々と詫びる讃岐の、讃岐らしからぬ態度を見ているうちに悲しくなってきて、ついその言葉を遮った。


「あなたは。あなたにだけは、否定して欲しかった、母上。あなたを他人ではないかと疑ったことは、これまでに一度もない。今でもあなたを母以外の者だとは信じられない。なのに!どうしてどうして否定して下さらないのです。どうして、大臣のお話は全て嘘で、真実おことは我が子よと仰有らない!?」


「敏平、の……君」


「母上!!」


 激昂する。胸が苦しい。痛い。


 肉親の情そのままの絆で結ばれていた愛する母が、母ではないとは。この人との絆が、肉親の情愛ではなかったとは。


 敏平の幽鬼のような体に、強い悲しみの魂が宿った。散々に泣き腫らした眼を再び涙でいっぱいにする。


 讃岐もいつの間にか泣いていた。床の上に手をついて、ただ、


「許し給え、許し給え」


と繰り返す。


 讃岐とて、敏平を実の子と思わぬ日はなかった。本当は貴人なのだという思いもいつしか消えて、本当に腹を痛めた子だと信じるようになって、今日まで育ててきたのだ。いつかは真実を告げねばならぬ日がくる。そう不意に思い出し、我が子でなかったことを確認する時も、ままあった。その度に、永遠にその日が来ぬようにと願い、その日の訪れを恐れた。その日が訪れ、そして、その後のことを考えると、空恐ろしくなった。今までの関係が崩れてしまう。いや、その日の訪れた後のことなど考えたくなかった、考えられなかった、考えなかった。


 その思いのたけを、讃岐は全て敏平にぶつけたかった。だが、怜悧で冷静で、正しき判断をしなければならぬ。讃岐は母としての思いを無理矢理胸に押し込んで、泣く泣くこう言うしかなかった。


「御身は確かに韶徳三位殿の御子。母君は二条殿にて、我が腹痛めし実の子にあらず。御身をお預かりして、我が子としてお育て申し上げました。偽りましたは、御身をお守りせんがため。御身は勅勘の人のお子なれば、処刑される恐れがあったのです。故に、我が子として、卑しい身分に落としてお育て致しました。なれど、父君の御技のみはお伝えしようと、亡き姫君が御身を弟子とされ、琴呉楚派の灌頂をお授けになられたのでございます」


「あなたまでもが、私の生母が二条殿だと仰るか」


「そうです!」


 きっぱり言い切る。


 敏平は、今までとはまた別の、苦い表情になる。


「では、私が青海波の君だというのか。山階の尼公は輪台の君だという。二条殿の御腹の姫君なのだと……父は違えど、同じ人の腹から生まれた私と尼公。尼公は私の妹だと仰るのかっ!!」


 敏平の絶叫に、讃岐は嗚呼と泣き伏し──。


「輪台尼は私の妹。私は妹と通じ、妹は兄の子を産んで死んだ」


「──確かに、死んだら楽でしょう」


 袂を涙で濡らしながら、讃岐は言う。


「母の心情としては、御身に尼公の後を追わせて差し上げたい気も致します。あの世へ行けば、実のご家族とも再会できましょう。なれど、生きて頂かなくてはなりません。慈悲のない仕打ちと思し召すやと存じますが、御身は死ぬことを許されぬ身なれば」


 敏平、眉を吊り上げた。


「それは、どういうことです?」


「申し上げるまいと思っておりました。死ぬまでこのことは隠し通そうと誓うておりました。御身が余りにお可哀想で。なれど、四辻狩りが行われたのに、どうして無事に生きられたのか、御身も疑問に思っておいででしょうから、思いきって申し上げます。それに、そうすれば、二度と死ぬなぞと情けないことは仰有いますまい。ただ、本当の厳しい現実をお教えせねばなりませぬ」


 讃岐は自らを奮い立たせるためか、いつもの彼女らしく凄んだ。


 太刀を敏平の手から奪い取り、それをぎゅっと握りしめたまま、敏平を睨めつけるようにして見つめる。


 敏平も真っ正面から讃岐を見返す。


「よいですか。これからお話しすることは、御身のご出生の事実よりも恐ろしきこと。覚悟して聞かれよ。なれど、この話を聞けば、どんなに堪え難く思おうとも、死ぬことが許されぬことを悟られるでしょう」


 讃岐、もはや慈悲は完璧に捨てきって、長々と昔語りを始めたのであった。

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