やっぱり侍女がお好き
アン・ブーリンは1533年にエリザベス(後のエリザベス1世)を産んだ。
男子誕生を切望していたヘンリー8世は落胆した。
「女子かっ!
男子でなければ世継ぎに出来ぬ。
男子は一人しかおらぬではないか。
神など居らぬのではないか?
我が願いを聞き給わぬ。」
「陛下……次こそは王子を産みます。」
「そうであれば良いが、な。」
「陛下。」
王妃キャサリンは涙で枕を濡らした夜を幾夜も過ごした。
メアリー・ブーリンとアン・ブーリン姉妹の母エリザベス・ハワードはかつてヘンリー8世の愛妾だった。
それでも、キャサリンは洗練されたフランス宮廷で育ったアンが、イングランドに馴染めずにいることを気にかけ、側近として厚遇したのだ。
1523年頃、アンは、ヘンリー8世とウルジーによってヘンリー・パーシー卿(後の第6代ノーサンバランド伯)との恋愛を引き裂かれた。
キャサリンは狂乱状態にあるアンを義姉マルグリットの統治下にあるネーデルラントのメヘレンに預けるよう配慮した。
しかし1525年、イングランドと神聖ローマ皇帝の関係悪化に伴い、アンはイングランドに帰国する。
同年夏頃、25歳のアンはヘンリー8世の心を捉えてしまったのだ。
そして、アン・ブーリンはヘンリー8世に「王妃として迎えて欲しい。」と懇願したことをキャサリンは知った。
そのアン・ブーリンが子を成したのだ。
王妃キャサリンの心は千々に乱れたのも無理からぬことだった。
ヘンリー8世は王妃の元を訪れなくなって久しい。
キャサリン・オブ・アラゴンは、打ち捨てられた王妃になってしまったのだ。
ただ、アン・ブーリンも願いは叶わなかった。
生まれたのはエリザベスだけだったのだ。
アンは贅沢を好み、部屋の改装や家具・衣装・宝石などに浪費した。
一方、ヘンリー8世はアンの侍女の一人ジェーン・シーモアへと心移りし、次第にアンへの愛情は薄れていった。
1536年1月、王妃キャサリン・オブ・アラゴンが崩御した。
葬儀は王妃の葬儀に相応しいものだった。
そして、キャサリンを慕う住民たちは進んで葬列に加わり、行列は500人にも及び、ピーターバラ修道院まで代わる代わる棺を担いだ。
⦅やはりキャサリンと離婚せずに居て良かった。
これほど民から慕われておるキャサリンを王妃から降ろすなど……。
無謀なことよ。
アン・ブーリンは女子しか産んでおらぬ。
王妃に迎えるまでも無かった。
これで良かった。
賢婦の王妃、愛妾は賢婦でなくても良い。
良いが、アン・ブーリンは頂けぬな。
浪費の限りを尽くしておる。
キャサリンとは違い過ぎる。
男子が産めなければ、終わりで良かろう。⦆
王妃キャサリンの葬儀の日、アン・ブーリンは男児を死産し、ヘンリー8世の寵愛を失うことが決定的になった。
アン・ブーリンは男子を産めず、流産を繰り返すアンから王の寵愛が離れたのだ。
「アン、其方は大きなことを言うた。
世継ぎとなる男子を産むと、な。」
「……はい。」
「産めたか?」
「……いいえ……でも、私はまだ産めます。」
「いいや、流産を繰り返しておる其方を見ておると王妃キャサリンを思い出す。」
「陛下っ!」
「もう産むことは叶うまい。」
「陛下……お情けを頂戴できれば産めます。」
「余が其方を望まぬのじゃ。」
「陛下っ! 私をお捨てになられるのですかっ!
陛下は私の侍女の元へ行かれるのですかっ!」
「其方もキャサリンの侍女であったではないか?」
「陛下……お願いでございます。どうか私にお情けを……。」
「其方は其方の幸せを見つけよ。」
「陛下っ!……お待ちくださいませ。
陛下!……陛下っ!」
アン・ブーリンは、もうヘンリー8世の姿さえも見れなくなってしまった。
⦅良いものよ。
王妃が居て、愛妾が居る。
まるでハーレムだ。
ハーレム? それはイングランドの言葉ではない。
オスマン帝国の言葉ではなかったか?
頭の中で、時々、急に言葉が出て来る。
これは何故であろう、な。
……………………………このイングランドの王妃が……。
…………王妃が亡くなった。
もう愛情を感ずることは無かったが、良き王妃であった。
次の王妃もキャサリンのような賢婦であれば良いが……。⦆
史実では王妃キャサリンと離婚するために宗教改革を行い、アン・ブーリンを王妃に迎えた。
ヘンリー8世は、当初アン・ブーリンを愛妾の一人にするつもりだった。
アン・ブーリンが「王妃に迎えてくれなければ肉体関係は結ばない。」と強硬に王妃の座を要求したからである。
そして、アン・ブーリンは1536年5月1日、結婚から2年後、国王暗殺の容疑、および不義密通を行ったとして、反逆罪に問われた。
5人の男性と姦通したとされたが、うち1人は実の兄弟ジョージ・ブーリンだったとされる。(Wikipediaより引用)




