男子を望む理由
ヘンリー8世が強力な王位継承者は自分の子を望むという単純な理由だけではなかった。
当時は戦争の時に国王が自ら兵を率いて戦うのが当たり前だったからでもあった。
ヘンリー8世自身も幾度も戦場へ赴いた。
⦅まるで戦国時代の織田信長みたいだな……。
うん? 余は何を思ったのだ?
織田信長?
誰ぞ? 織田信長とは……。⦆
愛妾だったエリザベス・プラントが産んだ庶子、ヘンリー・フィッツロイに、生まれてすぐに王の庶子であることを示すフィッツロイ姓を与えたのは、可能であれば嫡出子とすることであった。
だが、そのためには教皇の承認を必要とし、相続の正統性への疑義を招く可能性があった。
ヘンリー8世は男子誕生を望んだが、世継ぎとなる嫡出の王子が生まれないために、王妃キャサリンへの愛が冷めてしまった。
⦅やはり若い方が子を望める。
キャサリンは……子を望めないが、王妃としての民から慕われている。
王妃を別の誰かに替えて、新しい王妃が王子を産む。
それが一番容易い。
だが、その王妃が王子を産まなんだら……。
幾度も王妃が替わってしまう。
……うぅ~~ん、キャサリンが産んだメアリーが居るが……。
あの子は成長が遅く子を産めぬやもしれぬ。
ヘンリー・フィッツロイを王太子に出来れば良いのだ。
だが、教皇が許さぬ。
……変だな……何故、結婚も王位継承も余の思うままに出来ぬのだ。
全くだ! やはり、教皇の思うままでは駄目だ。⦆
1525年6月16日、ヘンリー8世は庶子ヘンリー・フィッツロイに対し爵位と官位を与え、キャサリンも式典に同席させた。
キャサリンがメアリー王女の正統性を主張した結果、メアリーは王位継承者としてラドロー城に赴任することとなった。
ヘンリー8世が新しく愛妾に!と思っている女性は、またもや王妃の侍女だ。
それも愛妾のメアリー・ブーリンの妹であるアン・ブーリンである。
「アン、余は其方が愛い。
余の情けを受けぬか?」
「姉上のように私を愛妾としてお召しになるのでございますか?」
「ならぬか?」
「はい。」
「何故じゃ?」
「愛妾では嫌でございます。」
「では、何を望む。」
「王妃。」
「何? 王妃?」
「はい。」
「其方では王妃には成れぬ。」
「何故に?」
「王妃キャサリンはアラゴン王の王女であるぞ。
其方とは違う。」
「でも、王子様をお産みではございません。」
「では、其方なら王子を産めるとでも?」
「産んで御覧に入れます。」
「其方が男子を産めたら、王妃として迎えることも考慮しよう。」
「誠でございますか?」
「産めたらよ。
産めなんだら、其方の姉と同じ愛妾じゃ。
良いか?」
「はい。」
「アン、こちらへ参れ。」
「陛下………。」
この頃から、ヘンリー8世はローマ教皇庁から離れて、イングランド独自の教皇にヘンリー8世自身がなる為に動き始めた。
教皇クレメンス7世と対立し、イングランド国教会を分離成立させてイングランドにおける宗教改革を始めることになった。
ヘンリー8世は宗教改革議会を召集、側近であるトマス・クロムウェルの補佐を受けて、1533年には上告禁止法を発布し、イングランドは「帝国」であると宣言した。
1534年には国王至上法(首長令)を発布し、自らをイングランド国教会の長とするとともに、カトリック教会から離脱した 。
国王至上法によって、イングランド国内において国王こそ宗教的にも政治的にも最高指導者であることを宣言したのだ。
1535年、ウルジーの後に大法官となっていたトマス・モアは改革に反対したために処刑された。
そして1538年、ヘンリーは教皇パウルス3世により破門された。
ヘンリー8世は修道院を解散し、自らイングランド国教会の首長となった。
最初にヘンリー8世が行ったのは、結婚の自由であった。
教皇の許しなど得ずに結婚出来るというものだった。
これ以降、次々に変えていった。
離婚も教皇の許しは要らないことにした。
庶子の権利も大幅に認めることにした。
これらは数年を掛けて変えていった。
敬虔なカトリックの信者たちからは反発があったが、それよりも腐敗しきったローマ教皇庁への不満の方が遥かに大きかった。
ただ、ヘンリー8世はプロテスタントにならなかった。
あくまでカトリックとしてのイングランド国教会の長である。
歴史を参考にしつつ、大幅に変えています。




