王妃と愛妾
王子を失った頃からヘンリー8世の傍近くに女性が侍るようになった。
愛妾としてバッキンガム公の妹アン、エリザベス・ハワードなどがヘンリー8世と夜を共にしていた。
キャサリンの嘆きは大きかった。
ただ一人、イングランドで頼みにしていた存在がヘンリー8世だったからだ。
愛する夫が他の女性と共にする夜が増えてきている。
妻としての悲しみは深かった。
1513年6月、ヘンリー8世は自らフランスに遠征し、キャサリンは摂政を命じられる。
「キャサリン。」
「はい。」
「其方は我が妃、このイングランドの王妃である。」
「……はい。」
「余はフランスへ遠征する。」
「フランスへ遠征!
左様でございますか……。」
「この国のことを頼めるのは王妃である其方だけ。
其方を摂政に任ずることとした。」
「陛下……。」
「余がおらぬ間のイングランドを頼むぞ。」
「はい。」
8月21日、ヘンリー8世が不在のイングランドへ突然侵攻してきたスコットランド軍に対し、摂政の王妃キャサリンは、サリー伯爵トマス・ハワード(後の第2代ノーフォーク公)に反撃を命じ、フロドゥンの戦いで大勝しスコットランド王ジェームズ4世を戦死させた。
サリー伯は反キャサリン派の筆頭である。
アーサー王太子との結婚の為にキャサリンの出迎え役の1人であり、翌1502年に早世したアーサーの弔問と葬儀を取り仕切った人物だった。
1509年にヘンリー7世が崩御、次男でアーサーの弟ヘンリー8世が即位すると、枢密顧問官としてヘンリー8世の治世を支えた。
しかしヘンリー8世が兄の未亡人キャサリンを娶ったことに反対しキャサリンを敵視していた。
そのサリー伯に反撃を命じたのがキャサリンであり、その命に応えたのがサリー伯だった。
スコットランドの侵攻はフランス王ルイ12世による陽動作戦だったが失敗に終わり、同時期にヘンリー8世もトゥルネーで勝利した。
キャサリンは、スコットランドの幼王ジェームズ5世の摂政にヘンリー8世の姉マーガレット王太后をたて、スコットランドを弱体化させた。
キャサリンの一連の働きは、国民の称賛を受けた。
しかし、この間に再び流産し、また10月に帰国したヘンリー8世は海外における自身の活躍よりも、王妃が称賛されていることを誇らしく思うとともに嫉妬した。
「王妃様は陛下をどのようにお思いでしょうか?」
「どういうことだ。」
「陛下よりも王妃様の方が民から愛されているとお思いでは?」
「キャサリンは余を重んじてくれておる。」
「左様でございましょうか?」
「……其方、本音を言え。」
「愛妾の中から王妃をお決めになる頃ではございませんか?」
「誰を其方は推すのじゃ。」
「それは王子をお産みになられたお方でございます。」
「残念だが、まだ生まれてはおらぬわ。」
「お気持ちはお決めになられませ。」
「王妃キャサリンは、よくやってくれておる。」
「陛下……あのお方は王妃に相応しくはございません。」
「其方は民の心を読み間違えておる。
今、スペインへ帰すと、暴動が起きるやもしれぬ。
それほどに民は王妃を認めておる。
余よりも……な。」
「陛下!」
その後、1516年にようやくメアリー王女(後のメアリー1世)を出産した。
王妃キャサリンと喜びを分け合ったヘンリー8世だったが、結婚当初のような夫婦仲には戻れなかった。
多くの愛妾を持ち、1519年愛妾の中の一人エリザベス・ブラントが庶出の息子ヘンリー・フィッツロイを産んだ。
「陛下! 王子ご誕生おめでとうございます。」
「ありがとう。」
「では、いよいよキャサリン様にスペインへお帰り頂くのでございますね。」
「…………そうするのには、婚姻の無効を教皇に認めさせねばならぬ。」
「はい。」
「今更……困難だ。」
「それは……左様でございますが………。」
「どうしてなのだろうな?」
「はい? 何が……でございますか?」
「愛妾の子を何故に王太子に出来ぬのじゃ。」
「それは昔からでございます。」
「昔から? キリスト教を国の宗教としたからではないか?」
「陛下。」
「キリスト教が広まる前は、違ったのではないか?」
「陛下。」
「同じ父親であるのにも関わらず、子が不憫でしかない。」
「ですから、王妃をお替えになられれば宜しいのです。」
「王子が亡くなって、別の愛妾が王子を産めば、また替えるのか?」
「それは。そうするより他にございません。」
「嫌だな。誰が産んでも余の子。
認めさせねばなるまい。教皇に………。」
「なんと仰せになられましたか?」
「認めさせるまでよ。
その為にも民の心を掴んでおるキャサリンが王妃でなければならぬ。」
「陛下!」
⦅そうだ。それしかない。
キャサリンは王妃として出自も問題ない。
他の愛妾たちとは出自が違う。高貴なのだ。
王妃としての教育も受けている。
手放せない。
だが、数多居る愛妾が王子を産めば、その王子に王太子にさせたい。
何としても教皇に認めさせねばならないのだ。
それが出来た暁には……愛妾の存在自体を教皇が認めたことになる。
ふ……ふっふっ……
賢い王妃、愛らしい愛妾……を統べる。
こんなことを男のロマン!という奴が居たなぁ……。
男のロマン? それは何じゃ? どこの言葉じゃ?
まぁ、良い。
教皇をどのように攻めるか……やってみようぞ。⦆
ヘンリー・フィッツロイはヘンリーに認知された唯一の庶子である。初代リッチモンド公およびサマセット公となり、後に結婚したが子をなさないまま死んだ。
そのほかにもヘンリーは私生児をもうけたと噂されるが、認知されなかったために確証はない。(Wikipediaより引用)




