ヘンリー8世
結婚して直ぐにキャサリンは懐妊した。
この懐妊は、『レビ記』を口実とした反スペイン派の攻撃を受けぬよう、極秘に伏せられたまま、1510年1月に女児を死産した。
「陛下……申し訳ございません。」
「否、キャサリンのせいではない。
其方さえ余の傍に居てくれれば、また子に恵まれよう。」
「陛下………うっうう………。」
「其方の回復こそが余の望みぞ。」
「はい。」
抱き締めたキャサリンの身体は震えていた。
嗚咽が聞こえる。
「キャサリン、愛している。」
「陛下……私もお慕いしております。」
この頃になると、もうヘンリーの中に三田清史郎は居ないと言っても過言ではない。
この世界にやって来て10年が経っていた。
三田清史郎の記憶が薄っすらとしか残っていないのだ。
残った記憶は社会の仕組みの差、医療の差などであり、大切な家族の記憶が薄っすらとしか残っていない。
もう両親の顔も、声も思い出せなくなっていた。
あんなに愛し合って結ばれた妻・菫の顔も声も思い出せなくなってしまった。
⦅この世界で暮らせということだな……。⦆とヘンリーは思った。
⦅父さん、母さん、すみれ……だった?
許してくれ。
決して忘れたくなかった……忘れたくなかったのに……
もう思い出せないのだ。
顔も……声も……姿も……。
許してくれ、本当に済まない。
戻れないことだけが分かった。
さようなら……さようなら……。⦆
王妃キャサリンは、その後も、たび重なる流産と死産に見舞われた。
そして、1511年1月5日に男児ヘンリー王子を出産した。
イングランドとスペインの血を引く王子の誕生は、カンブレー同盟戦争における両国関係を強固にするものだった。
ヘンリー8世の喜びは大きく、ウォルシンガムに巡礼し神に感謝を捧げた。
しかし、盛大な祝賀行事が続く中の2月22日、ヘンリー王子はわずか生後52日で亡くなった。
⦅どうして、王子がたった52日しか生きられなかったのだ!
王太子になるべく生を受けたヘンリーなのに……。
医療が役に立たない。
医療を進歩させたいけれども、医療の知識が皆無の私には出来ない。⦆
「陛下、王妃様ではお子を授かれませんぞ。」
「何故そのようなことを言う!」
「陛下は神の御意思に反されました。」
「『レビ記』か……。
亡き兄上の妃を妃に迎えたからか!」
「それしかございません。」
「戯言じゃ。」
「いいえ、真実でございます。
亡きアーサー様がお恨みになられておらぬとは申せませまい。」
「兄上が………。」
「愛妾をお迎えになられませ。愛妾に産んで貰えば宜しいのです。」
「それでは、嫡出子と認めて貰えぬぞ。」
「それは、王妃様にお帰り頂ければ宜しいのではございませぬか?」
「帰る? どこへじゃ?」
「お国はイングランドではございませぬ。
スペインのお方でございます。」
「其方……。」
「さぁ、お選びください。
どの女性でも愛妾に迎えられます。陛下なら………。」
⦅跡を継ぐ男子が必要には違いない。
だが、愛妾が産んだ子を王太子には出来ぬ。
もし、愛妾が男子を産んだなら……その愛妾を王妃にせねばならぬ。
その時はキャサリンとの婚姻を無効にするしかない。
それで良いのか?
今のままならば、離婚が出来なければ、相手の死を待つしかない。
それは可笑しい!
離婚が容易く出来れば良いだけではないか。
それだけではない。
庶子を嫡出子にするのも、教皇の許可が居る。
これも可笑しい!
社会の仕組みを変えるしかあるまい。
そうだ! 変えよう。
どんなに教皇と違えども……変えてみせる。
変えてやるぞ! この変な決まりを!⦆
ヘンリー8世として、政治に向き合うきっかけになった事柄……それは、宗教だったのだ。
これ以降は歴史を大きく変えて書き進めます。
歴史については、Wikipediaより引用しました。




