結婚
ヘンリー7世は息子のヘンリー王太子とキャサリン・オブ・アラゴンの縁組で、キャサリンの再婚問題を先延ばししつつ、エリザベス王妃が産褥死すると、キャサリンを自身の後妻に要求した。
その時、ヘンリーは激怒した。
「あんな父上に義姉上を渡せない!
私が妃に必ず迎えるのだ!
兄上、どうか見守って下さい。
私は……私には力が無い。」
流石に息子の妃だったキャサリンを後妻に迎えるのは無理だった。
この厚顔無恥な申し出は、スペイン側が態度を硬化させた。
イサベル女王は激怒する手紙をデ・プエブラへ送った。
第二次イタリア戦争で優勢なスペインに対し、ヘンリー7世はこの要求をただちに取り下げる一方、正式にヘンリー王子との婚約が決定された。
そういう過去があるからこそ、ヘンリーは必ずキャサリンを妃に迎えると決意していた。
1509年4月21日、ヘンリー7世が崩御した。
王位を継承した18歳の若き国王ヘンリー8世はキャサリンとの結婚しか念頭になく、枢密院での議論を無視し、父王の喪が明けぬ6月11日に立会人1人だけの結婚式を強引に挙げた。
こうしてキャサリン・オブ・アラゴンはイングランド王妃となり、6月30日に戴冠式が執り行われた。
ヘンリー8世18歳、キャサリン王妃22歳。
ヨーロッパ政治の中心は、神聖ローマ帝国(ハプスブルク家)とフランス王国(ヴァロワ家)であり、ヘンリーはハプスブルク家側に付いて国際社会における地歩固めをする意義があった。
キャサリンが兄アーサーの妃であった頃からヘンリーは兄嫁としてキャサリンを慕っていた。
そして、兄が亡くなり、一人残された兄嫁が可哀想に思った。
それからは、なるべく兄嫁を見舞った。
金銭面でも不自由している兄嫁、捨て去られてような日々を送っている兄嫁が可哀想で堪らなかった。
いつか「義姉上様を御救いしたい!」と思うようになった。
そして、その想いはいつしか恋慕になっていったのだ。
心の奥深くに清史郎として妻・菫への愛があるにも関わらず、恋慕は募った。
この頃、もう日本での記憶が消えていっている三田清史郎は泣きながら謝った。
誰にも知られないように心の中で謝った。
⦅俺は、もう戻れないんだろうなぁ……。
戻る術が分からないまま時が過ぎてしまった。
もう会えないんだなぁ……父さん! 母さん! 菫!
段々、忘れていってるんだ。父さんとの記憶、母さんとの記憶……。
そして、妻の菫との出逢い……恋……結婚……その記憶が薄れていってる。
忘れたくないのに……消えていってるんだ。
ごめん。父さん、母さん、菫。
戻れないんだ……忘れてしまったら……ごめんなさい。
この世界で俺はヘンリーとして生きていく! ごめん。
もう、それしか無いんだ。⦆
アーサーとの死別以来8年近く苦境にあったキャサリン・オブ・アラゴンにとって、結婚と戴冠は幸福の絶頂であり、7月に結婚の喜びと感謝の気持ちを父に書き送った。
ヘンリー8世は、薄幸の女性を救い王妃にしたことで、騎士道物語の英雄になったかのような誇らしい気持ちだった。
「キャサリン、やっと、やっと貴女を妃に迎えられた。」
「はい、私も、ヘンリー様の妃になりとうございました。」
「この日を待ちわびていた。」
「私も……でございます。」
キャサリンはヘンリー8世に対し、政策面でも強い影響力を持った。
このように夫婦仲は、非常に円満であった。
ヘンリー8世は王位に就いた当初、政治には無関心だった。
それは、ヘンリー8世の中の三田清史郎が、「戻る術」を探していたからだった。
探しても探しても見つからない。
王妃との仲が円満であればあるほど、ヘンリーの中に僅かに残った清史郎は苦しんだ。
⦅菫……菫……ごめん。ごめん。
もう思い出が消えて……思い出せることが少なくなって……
菫……忘れたくないのに……愛してたのに……会いたかったのに……
戻れない。
ごめん。妻を迎えたよ。私は………キャサリンという妃を……。
許してくれ、菫………。⦆
清史郎の記憶が薄れていく中でも、尚も手に出来る限りの書物を読み漁った。
でも、何も見つからなかった。
王妃キャサリンと結婚するために利用した教皇に縋りたいと願った。
だが、それは出来ぬことだった。
誰にも頼らずに一人で探さねばならなかった。
「無い……無い……んだ。」
もう二度と再び日本に戻れないと……このままヘンリー8世としての人生を歩むしかない、と清史郎は諦めた。




