兄・アーサー
やっとイングランドのヘンリー王子としての日々を過ごしている三田清史郎。
ヘンリーと呼ばれることに慣れなければならないと思っている。
そして、記憶が定かではないヘンリー王子に周囲の大人たちは様々な事を教えてくれた。
ヘンリーも書物を読み、様々な事を知る努力をした。
だが、見つからない。
見つからないのだ。
日本の家族の元へ戻る方法が……。
毎日、ヘンリーは肩を落とした。
⦅父さん、母さん……菫……俺……。
戻る方法が見つからないんだ。
どこにも何も書かれていないんだ。
父さん、母さん、菫! 俺のこと忘れないでくれ。
俺も忘れないから!
そして、必ず戻る! 父さんの元へ、母さんの元へ……。
菫、待っててくれ! 必ず戻るから……。
他の男と再婚などしないでくれ。
会いたい……会いたい……。
生きて再び……会いたい!⦆
どんなに優しくしてもらっても、国王も王妃も王太子も家族とは思えなかった。
それでも、日が過ぎていくと、段々と家族のように思えてきたのだ。
特に病弱の兄アーサー王太子が「ヘンリー、其方は私に何かあった時、王太子になるのだから……。焦らなくて良い。焦らなくて良いが、思い出しておくれ。この国のことを、私達のことを、そして、出来れば私と遊んだことも……思い出しておくれ。」と優しくヘンリーの頭を撫でながら言ってくれた。
「兄上、私は兄上が大好きです。思い出せませんが、今の兄上が大好きです。だから、きっと前の私も兄上のことが大好きだったに違いありません。」と返すと、アーサーは嬉しそうに笑った。
⦅幼くとも王太子だけのことはあるな。
自分の立場とか役割とか分かってるんだろうな。
俺はアーサーが大好きだ。⦆
兄のアーサーは、アラゴン王フェルナンド2世とカスティーリャ女王イサベル1世の末娘キャサリン・オブ・アラゴンと婚約している。
兄の婚約時の年齢を聞いたヘンリーは驚いた。
アーサーは2歳、キャサリンはまだ0歳だったのだ。
父ヘンリー7世は国内の混乱を抑えるために、そしてスペイン側も、キャサリンの父フェルナンド2世が東方への進出のため、フランスを包囲すべく、ハプスブルク家やイングランドとの縁組を希望していた為だということだった。
その後、破談になった婚約だったが、第一次イタリヤ戦争を機に再度、婚約をしたということだ。
幼い王子であるヘンリーにも説明をしたくらい大切な婚姻なのだ。
そうヘンリーは思った。
⦅可哀想だなぁ……2歳と0歳。
幼児と乳児じゃないか。
そして、破談になって、また婚約するなんて……
王太子も王女も駒なんだな。⦆
アーサー王太子は1499年と1500年に代理結婚式を挙げ、キャサリンとも文通をしていた。
特に1500年にアーサーが代理結婚式の後に送った手紙には、父ヘンリー7世の意向(早期の結婚)が反映されているものの、深い愛情が綴られ、カタリナはまだ見ぬ夫に対して親しみを感じるようになっていた。
14歳になったキャサリンは、1501年5月21日にグラナダを出発し、スペイン内陸での巡礼を経て、10月2日にプリマスに到着した。
そして、イングランド各地で奉迎を受けながら、11月4日にリッチモンド宮殿でヘンリー7世およびアーサー王太子と対面を果たし、11月12日にロンドンに入城した。
ヘンリー7世は、2人の将来における王位継承の正統性を印象付けるために様々な配慮をした。
その一つが、さまざまな見世物で、アーサー王伝説や聖カタリナにちなんで2人を讃える演目が披露された。
一連の行事の中で、キャサリンの案内役は12歳の第2王子ヘンリー王子であり、バッキンガム公エドワード・スタッフォードはキャサリンに強い印象を残して友情で結ばれた。
この時、キャサリンが着用したドレスのファージンゲールは、たちまちイングランド宮廷に流行し各国に広がった。
11月14日にセント・ポール大聖堂でアーサー王太子と華燭の典を挙げた。
プリンス・オブ・ウェールズが妃を迎えるのはエドワード黒太子の妃ジョーン・オブ・ケント以来、史上2番目の出来事とされた。
初めて見た義姉キャサリンは白磁のような美しい白い肌で、花嫁の美しさで輝いていた。
⦅はぁ―――っ、めっちゃ綺麗な……王女様……。
否、義姉上様だ。
でも、俺の結婚式とは違って、幼すぎるなぁ……。
16歳の花婿、14歳の花嫁だもんなぁ~。⦆
「兄上、義姉上、おめでとうございます。」
「ヘンリー、ありがとう。」
「ヘンリー王子、ありがとうございます。」
⦅菫……菫は、あんな白磁のような肌じゃない。
けれども、俺は透き通る綺麗な肌だ、って思ってる……。
俺と菫の結婚式の時の菫の花嫁姿……綺麗だったなぁ……。
きれい……だった。
会いたい……菫に会いたい……。⦆
⦅この日が続いて欲しい!⦆とヘンリーは思った。
兄のアーサー王太子が、このまま健やかで過ごして王位を継いで欲しいと熱望した。
それは、祈りにも似た気持ちだった。
ヘンリーとしての日々を過ごしているうちに病弱な兄の優しさも感じることが出来た。
⦅今なら……違う! 俺が三田清史郎だった時代なら……アーサーはこんなに辛い想いをしなくて済んだんだ。⦆と日本で暮らしていた頃の医療との差が悔しかった。
12月にアーサーは静養のためにキャサリン王太子妃と共にラドロー城へ赴いた。
静養の為に赴いていたのに………当地の気候に慣れたはずのアーサーも、流行の感冒に罹ったのだ。
「殿下っ! 王太子殿下が!」
「兄上が如何なされた?」
「お危篤とのことでございます。」
「兄上!」
⦅くそっ! 日本だったら助かるのに!
なんで、まだ子どもなのに死ななきゃならないんだ!
くそ! くそ! くそっ!⦆
「アーサー兄上―――っ!」
アーサー王太子は1502年4月2日に急逝した。
残されたのは、新婚間もないキャサリン王太子妃だった。




