父と母……そして菫
会社で階段から転落して救急搬送された三田清史郎は目覚めなかった。
1ヶ月後、三田清史郎は遷延性植物状態と診断された。
「このまま精神機能が回復することも、周囲の環境と意味のあるやり取りをできる
ようになることもありません。
しかし、遷延性植物状態の患者の少数では、最小意識状態に診断が変わる程度の
改善がみられます。
最小意識状態の人は、認識能力が重度に障害されているものの、完全にはなくな
っていません。」
「治らないのですか?」
「はい。」
医師の説明を受けた菫は泣き崩れた。
覚悟をしていなかったわけではない。
でも、事実を告げられて、僅かな希望も絶たれてしまったのだ。
菫の両親が懸命に支えていた。
清史郎の母も立っていられないほどの悲しみに堪えていた。
その清史郎の母を抱き締めて、共に悲しみに耐えているのが清史郎の父だった。
「階段に踊り場が無かったらしい。」
「そうなのね。」
「一番上から落ちたんだ。」
「……なんで落ちたのよ。」
「話していて足元を見なかったんだろうな……。」
「清ちゃんは戻ってくれます。」
「菫さん、ありがとう。
そうよね、あの子、戻って来るわよね。」
「菫、少し寝て来なさい。」
「ううん、お義父さんも、お義母さんも寝ていらっしゃらないのに
私、起きてるわ。」
「菫さん、お気遣いありがとう。
でも、寝て来て下さい。
一番、大変だったんだから………。」
「お義父さん……。」
「お義父さんのお気遣いを無下にしたら行けないわ、寝て来なさいね。菫。」
「ママ……。」
「さぁ、少しは休んで……清史郎も菫さんに倒れて欲しくないと思ってる。」
「お義父さん……。」
「休んできてね。菫さん。」
「お義母さん……。」
「さぁ、寝て来なさい。菫。」
「うん、パパ。
………お義父さん、お義母さん、休ませて頂きます。」
「うん、そうしておくれ。」
「はい。お休みなさい。」
「お休み。」
菫が寝室に向かった後で、菫の父と母が目配せした。
そして、徐に菫の父が話した。
「三田さん、清史郎君がこんな状態ですのに……。
酷いことを言うとお叱りを受けること覚悟してお願いします。
どうか、菫を私達に返して下さい。」
「返すって、どういう意味でしょうか?」
「母さん、黙って最後まで聞きなさい。」
「でも、お父さん、清史郎が何も話せないのに……。」
「聞きなさい。
………どうぞ、続けて下さい。」
「申し訳ありません。
菫はまだ若いです。
これからの娘の人生を想うと……籍を抜くことが出来るのなら……
抜いて頂きたいと……その判断をご両親様にお願いしたいのです。」
「離婚ということですかっ!」
「母さん、黙って!」
「でも……あの子が可哀想で……可哀想で……。」
「菫さんの未来を清史郎が閉ざすようなことは……したくない。
それは、あの子も……そう願うだろう。」
「お父さん……。」
「清史郎はお前が大切に育てた子だよ。
お前に似て優しく育ってくれた。
だから、そう願うはずだ。」
「うっ……ううっ…うっ……。」
「どうぞ、想うままになさってください。
法律でどうなるのか分かりませんが……。
そのようになさってください。」
「ありがとうございます。」
「ありがとうございます。」
「礼を言って頂く様なことは何一つ………どうぞ頭を上げて下さい。
この家、あの子の会社の社宅です……お返しせねばならないでしょうね。」
「ええ、そうですね。」
その頃、菫は寝室のベッドで泣いていた。
「清ちゃん、なんで戻ってくれないの……。
もう一度、抱きしめてよ。
清ちゃん……戻って来て………。」
それから、菫の両親は弁護士に相談した。
植物状態とは、大脳(思考と行動を制御する脳の部位)が機能しなくなったものの、視床下部と脳幹(睡眠サイクル、体温、呼吸、血圧、心拍、意識などの生命維持に必要な機能を制御している脳の部位)はまだ機能し続けている状態のことをいいます。
そのため、患者は眼を開けていて起きているように見えますが、刺激に対して意味のある反応をすることはありません。
植物状態はまれな病態です。
ときに無反応覚醒症候群と呼ばれることもあります。
植物状態になった人の大半は、当初の脳外傷から6カ月以内に死亡します。
残りの人の大半は2~5年ほど生存します。
死因は多くの場合、呼吸器感染症、尿路感染症、または複数の臓器の重度の機能不全(臓器不全)です。しかし、突然死亡して原因が分からないままのこともあります。少数の人は数年間生存します。
植物状態または昏睡のように見える状態で数年が経過した人が、ある程度意識を取り戻した症例の報告があります。
それらの報告の多くは、通常は頭部外傷後に最小意識状態になった人に関するものです。
最小意識状態からの回復の可能性は予測できませんが、植物状態からのそれよりは高いです。
(以上はMSDマニュアル家庭版より抜粋引用)




