戦争と経済
キャサリン・オブ・アラゴンとアン・ブーリンが共に亡くなったため、ヘンリー8世と神聖ローマ帝国皇帝でありスペイン国王のカール5世との関係は改善し、ヘンリーはフランスへの出兵を考えるようになった。
だがその前にカトリック勢力が強く、フランスと「古い同盟」を結ぶスコットランドの脅威を除くため、結婚による同君連合を考え、甥にあたるスコットランド王ジェームズ5世の娘で世継ぎのメアリー王女と、自らの息子のエドワード王子とを結婚させようとした。
戦争を伴ったこの一連の行動は「乱暴な求愛」と呼ばれた。
1542年、スコットランドはソルウェイ・モスの戦いで敗れ、直後にジェームズ5世は急死し、スコットランドはグリニッジ条約をイングランドと結んで結婚に合意した。
1544年に第五次イタリア戦争でカール5世とヘンリーは連合してフランスに攻め込んだ。
モントルイユとブローニュ=シュル=メールを同時に攻め、ヘンリーは後者の包囲戦の指揮をとり陥落させた。
だが、カール5世の求めに反してパリには進軍しなかった。
カール5世の軍は勝利を収められず、カール5世は一方的にフランスと講和した。
ヘンリーはフランスで孤立したが、英仏両国とも戦費に窮乏して講和した。
ブローニュは後に補償金と引き換えにフランスに返却された。
スコットランドがグリニッジ条約を破棄したため、1544年にヘンリーはスコットランドに攻め込み、エディンバラを焼き討ちした。
「バカ王……本当にバカだなぁ。」
「また! 其方は何者なのじゃ!」
「戦争をしたら赤字になるんだ。
専守防衛は理に適うけど、侵攻したら理に適わないぞ。」
「政を知らぬ者が口を挟むでないわっ!」
「国家予算で戦力を増やすのは、いいよ。
守るためにも戦力は必要だからな。」
「黙れっ!」
「でもな、戦争をしたら戦費が膨大になるって当然じゃん。
それが分からずに、無駄に戦争をする国王ってバカでしかないじゃん。」
「黙れ! 黙れっ!」
「結局、その付を払うのは国民だろ?」
「民は国王の為にある。」
「バカか?……いいや、バカだ!」
「五月蠅い!」
「民無くして国があると思ってるの?
脳内お花畑そのもの。」
「余はイングランドの王である! 民は王の為にあるのじゃ!」
「そんなにブクブク太って、民が貧しても太れるんだな。」
「五月蠅いっ! 黙れっ!」
「そうだな、北朝鮮のあの親子もデブだな。」
「北朝鮮? なんだ? それは……。」
「……………………。」
「おい! 答えよ! 答えんかっ!」
目を覚ますと、汗でビッシリ寝具が濡れていた。
ヘンリー8世は6フィート(約182cm)以上の身長と広い肩幅を備え、スポーツに秀でていた。
馬上槍試合や狩猟を催しては、荘厳な鎧を纏って外国大使や領主たちの前に姿を現し、強い印象を与えようとした。
だが馬上槍試合で怪我をしてからは著しく肥満したため、廷臣たちもこれをまねて太って見える服装をし始めた。
ヘンリー8世の治世の財政はほぼ破綻状態だった。常に……であった。
父王から相続した豊かな富は、宮廷での奢侈と豪奢な建築に費やされた。
テューダー朝の君主は、政府の支出を王個人の収入で賄わなければならず、議会によって承認されなければならない王室領からの税金に頼っていた。
治世を通じて収入はほぼ一定であったが、インフレーションと大陸での戦費のために支出に対し不足した。
父王と違い、しばしば議会に戦費の支出を依頼しなければならなかった。
一方、修道院解散とその財産の没収により、新たな収入を得た。
それでも、足りなかったのである。
インフレ―ションを招いたのは、その時ヘンリーの全幅の信頼を受けていたトマス・ウルジーが銀本位制から金本位制に移行し、貨幣の質を下げ、宗教改革議会を召集した時の側近であるトマス・クロムウェルが貨幣の質をさらに大きく下げたことが主因だった。
名目上の利益は大きかったが、経済は打撃を受け、激しいインフレーションを招いたのだ。
民は疲弊していった。
国王であるヘンリー8世は、肥満して健康を害していった。
1514年から1529年まで内政と外交を取り仕切ったのは、枢機卿であり大法官であったトマス・ウルジーであった。
ウルジーは豪奢な館を構えて、王の代理として振舞い、中央集権化を進め、星室庁を強化して刑事裁判を改革した。
だが王妃キャサリン・オブ・アラゴンとの離婚交渉に失敗したため王はウルジーに失望し、長年の奢侈で国庫は空となっていた。ウルジーは逮捕され、病死した。(Wikipediaより引用)




