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忘れたいけど忘れられない、許したいけど許せない

作者: 雛雪
掲載日:2025/09/23

煌びやかな夜会。広間には笑い声や杯のぶつかる音が渦のように押し寄せていた。

 伯爵家の嫡男レオナルドは人々に囲まれ、いつものように柔らかな微笑を浮かべている。

 その隣にいるはずの妻の私は、化粧直しの帰りにふと夜風に誘われ、バルコニーへと足を運んでいた。月光に照らされた庭園は静かで、薔薇の香りが淡く漂っていた。


 その静寂を破ったのは、夫の声だった。


「酔ったのかな? 飲み過ぎたね。あそこで休もうか」

 見下ろすと、彼は一人の女性をエスコートしていた。

「そんなに飲んでいませんわよ」

 暗くて顔ははっきり見えないが、聞き覚えのある声だった。二人は庭園の奥のガゼボへと歩みを進めている。

 介抱しているのだと思い、私は近くのメイドに水を受け取り、善意のつもりで彼らを追った。


「レオナルド、お水を――」

そう声をかけようとしたとき、耳に飛び込んできた。

「君が好きだ。付き合って欲しい」

 低く甘い声。思わず立ちすくむ。

「あの彼女はどうなさったの? マーゴと付き合っていたのでしょう?」

「……彼女とは半年前に別れた。今はどうしているかも知らない」

 体が硬直する。マーゴ? 別れた? 私の知らない夫の顔が次々と暴かれていく。

「まあ、あなたにそんなふうに口説かれるなんて、光栄ですわ」

 女は楽しげに笑い、さらに言葉を重ねた。

「そういえば一月ほど前、カフェであなたにお会いしたとき、偶然奥様をお見かけしましたの。あのときは冷や汗をかきましたわ。ご無事で?」

「……何も気付かれていないよ。彼女は男友達と遊んでいると思っているから」

 胸の奥で何かがはじけた。屈辱、怒り、嫉妬、そして説明のつかない高揚がないまぜになり、思考が止まった。

 女の優越感に満ちた声が耳に残り、視線を逸らすこともできなかった。


 夜会を終えた馬車の中。窓の外には街灯が流れ、車輪の音が心臓の鼓動を煽る。

「楽しかったね。……どうしたんだい? 疲れたのかな?」

 レオナルドはいつも通りの微笑を見せ、外套を肩にかけてくれる。優しいはずの温もりが、ガゼボの影を呼び覚ます。

 ――どうして私がいるのに、他の女を口説いたのか。

 ――私は愛されていないの?

 問いは渦巻くのに、声にならなかった。


 屋敷に戻り、ついに言葉を吐き出す。

「レオナルド……どうして、あの方と?」

 彼は一瞬俯き、眉を寄せ、そして苦笑めいた表情でとぼける。

「え……? 何のことだい? 君との間には何も問題はないだろう」

「誤魔化さないでください! ガゼボの近くに居ましたのよ。全部、聞いてしまいました」

 短い沈黙ののち、彼は低く呟いた。

「……ごめん。酔っていて、軽率だった。君を傷つけるつもりはなかった」

 だが本当のこと――マーゴや、あの女との関わりは口にしない。

 ただ「酔っていた」「一度きり」と、都合よくぼかして。

 私は問いを重ねる。

「どうして私がいるのに、他の女と……?」

 けれど答えは返ってこない。

「許してくれ。もうしない」

 そう言われれば、忘れるしかなかった。


 ――それから月日が経った。

 私たちは隣り合い、笑い、日常を送る。

 手の温もりは確かで、微笑みは変わらない。

 けれど、心の奥にはガゼボの影が沈殿していた。

 屈辱と哀しみ、愛情と疑念。

 ――好きなのに、どうして他の女を口説いたのか。

 ――好きだと言いながら、なぜ私以外に?

 日常に埋もれ、記憶は次第に薄れていく。だが、ときおり感情はマグマのように噴き出し、彼を責めずにはいられない。

 愛しているがゆえに許せない。

 許せないがゆえに手を離せない。

 二人は今日も笑みを交わす。

 その笑みの影で、愛と痛みが淡く溶け合っていた。

腹立つ(●`з´●)


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