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鎌倉への遠足

 下見で見つかった不都合な点を洗い出し、改善案をまとめて、相手側と交渉する。

 それを高校生の自分がしていることに驚く。


 普通は教師が担う仕事だと思うのだが、この学校では、生徒会がその仕事を受け持っている。交渉相手がOBOGで、高校生側の立場を経験しているせいか、思いの他スムーズだ。


 俺は国会議事堂の担当になったので、取りまとめ役の政治家秘書氏のケイタイに電話をかけた。見学時の訪問時間や、人数割その他の取り決めをしようと思っていた。

 国会議事堂コースは100人10グループなので、3つに分けて、30から40人単位での案内が妥当かな。それを言うと、相手側は10人ずつの10グループを提案して来た。

 手間ではないかと問うと、霞が関からも対応要員が派遣されるので、大丈夫だと返された。議員との語らいに加えて、官僚からのリクルート活動も含まれているらしい。


 こんなやり取りをする内に秘書氏とは親しくなり、こういう人脈の広がりがあるから、生徒会に所属したい生徒が多いのかと納得した。

 就職かあ、と遠い目になってしまう。やっと高校に受かったばかりで、まだ何も考えていないけど、そんなに遠い話でもない。

 だが、今年はまだ何も考えたくない。井上先輩の言葉も運よく忘れたし。

 今年の行先は鎌倉散策コース。ただ遊ぶだけで、この忙しい業務の打ち上げのようなものだと、ほっとした。

 


 遠足当日の朝、俺は制服姿で鎌倉駅に着いた。

 ホームには、同じ制服の学生が結構いる。駅に到着後、各グループの待ち合わせ場所に速やかに散ること、と決められているので、電車を降りたら、皆さっさとあちこちに移動して行く。俺も待ち合わせ場所に指定された、駅近くのホテルのロビーに向かった。


 ホテルは高級感があり、高校生が一人で入る場所ではなかった。だが、措定はここだ。恐る恐る入り、きょろきょろと見回していると、ホテルのスタッフが近付いて来た。


「失礼ですが、田中ヒロシ様でしょうか」


 にこやかに話し掛けられた。


「はい。そうですが」


「お連れ様がお待ちになっておられます。ご案内させていただきます」


 そう言って、先導してくれる。


「こちらの茶室でお待ちです」


 そう言って、靴を脱いで上がり、襖の前で正座して中に声を掛けた。


「田中ヒロシ様をご案内いたしました」


「どうぞ、お入りください」


 今井先輩の声が聞こえて来た。ホテルのスタッフは、両手で襖をスッと開け、横に退いた。俺は、とまどいながらも、襖の前に座り、お辞儀をした。


 頭を上げると、少し驚いたように俺を見る三人の様子が見えた。


「お前、お茶の稽古をしたことあるのか?」


 緒方先輩に聞かれ、7歳位のころ、母の稽古にたまに付いて行っていた事を話した。お手前をしたことは無く、客としての参加だけだ。

 俺はうろ覚えです、と言いながら一番下座に座った。


 今井先輩がお点前をしている。背筋がピシッとしているので、その姿は非常に様になっている。かっこいいな、と思って見とれていると、ホテルスタッフが、目の前に扇子と帛紗などを置いてくれた。俺はそれらを手元に引き寄せ、隣の井上先輩に会釈してから、菓子鉢の中から菓子を取った。

 

 井上先輩がお茶を受け取り、飲んだ後で、俺に向かって微笑んだ。


「教える係は必要なさそうだね。ちょっと驚いた」


「いえ、あまり覚えていないので、間違えたら言ってくださいね」


 俺の分の薄茶が点てられ、受け取りに進み出て、席に戻ってから礼をした。茶碗を持ち上げると、柄を向こうに回してから、一礼してお茶をいただいた。

 久しぶりのクリーミーな抹茶は、たっぷりとした量でうまかった。これは点てる人によって、なぜか味が違うのを覚えている。先生の茶が一番うまかった。下手な人のは味気ない。しかし文句を言ってはいけないのが、茶の世界だ。


「とても美味しいお茶でした。たっぷりとしてのびやかで、今井先輩らしいです」


「気に入ってもらえてうれしいね。濃茶もいけるのか?」


「いえ、子供には濃茶は無理です。もっぱらお菓子を目当てに行っていました」


「今度生徒会室でも、立礼で点てようか。お点前を教えてやるよ」


 そんな会話の後、しばらく茶室は無言になった。ここで一体何をしているのか、という疑問はあったが、俺は向こうから言ってくれるのを待つことにした。


「おかわりいる人」


 今井先輩の声に女子2人が手を上げた。


「お菓子も追加して欲しい」


 リクエストに応えて、今井先輩が電話に手を伸ばした。お菓子を5つ追加で注文している。里見先輩が、干菓子が良いと言い、井上先輩はねりきり、と言っている。全員の顔を見ていた今井先輩が、干菓子とねりきり5人分見繕ってください、と言って電話を切った。


「今井、俺がお点前するよ。場所を替わろう」


 そう言って緒方先輩が立ちあがった。

 緒方先輩のお点前は端正だった。しかも見た目と同じで華があった。ここまで色々出来ると嫌味だなと思っていると、井上先輩が、私もそう思う、と小声で言う。なぜわかったのだろう。


「唇がとんがっているよ」


 井上先輩は笑いをこらえるように言った。

 二服目を飲んで、まったりと寛いでいると、緒方先輩が俺に向かって状況を説明してくれた。


「今日は鎌倉に300人の生徒が散っているだろ。同じようなルートを回ると、囲まれてしまって面倒なんだ。それで皆が来ない場所で、やり過ごすことになった。一日ここでゆっくり過ごして、一か所くらいどこかに寄って帰るつもりだけど、行きたい所あるか?」


 納得した。駅のホームでも、なにげに彼らの姿を探している様子だった。スクールカーストで二位以下と大きく差を開けてのトップだ。近付きたい者は多い。

 そして、このホテルなら、まず他の生徒たちは来ない。高校生がフラッと寄るようなホテルではないからだ。


「解りました。特に見たい場所は無いけど……できたら、少し海を見たいです」


「じゃあ、由比ガ浜まで散歩するか。16時に先生宛に送る写真、うちの班は海の写真になるな」


 俺たちは、3時までホテルでのんびり過ごした。食事をして風呂につかって、テラスで昼寝。最高だった。しかもこの費用は生徒会活動費から出ると言う。遠足の準備に対する報酬のようなものか。

 若干年寄臭い気がしないでもない。他のグループは寺を回って写経をしたり、江ノ電に載ったりしているのかな。あんまり変わらないか。


 三時になると、ホテルから出て、真直ぐ海の方に向かって歩いて行った。広々した大通りの先に海があると思うと、気分がゆったりとする。そう思っていると、海が見えて来た。


 人がちらほらいるけど、混んでいるわけでもなくのんびりとした風景だ。

 俺達五人は、なんとなく砂浜をうろうろした後、はだしになって波を蹴立てて遊んだ。

 そして4時になる前に、散歩をしている男性に頼んで、5人揃った写真を撮ってもらった。


「送るぞ。ちゃんと遠足に来ていた証拠写真」


 波打ち際に足首まで海水に浸かって立つ五人と、空を舞うトンビの写った写真を緒方先輩が送り、遠足が終了した。


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