今に至るまでの経緯1
校門のすぐ外に、すんなりとした美少女が立っている。俺の姿を見つけると、ぱあっと笑顔になり、一歩こちらに踏み出して手を降る。俺は彼女に軽く手を振り返した。
彼女の笑顔につられて、俺もなんとなく笑う。周囲を歩く生徒たちが、うらやましそうにこちらを見ている。
これは夢が半分は叶った、と言えるのだろうか。俺の夢。『彼女と一緒に下校する高校生活』
彼女は容姿と同じ明るくて華やかな声で俺に呼びかける。
「ヒロシ君、遅いよ。遅刻しちゃう。走って」
彼女は俺の彼女じゃないし、下校するのでもないから、やはり夢は叶っていないのだ。これは全くの別物だよな。
胸の中に薄グレイのモヤが広がるのを、ゴホッと空咳をして追い払い、俺は門に向かって走り始めた。
俺は昔から、何かにつけて割を食うタイプだった。なぜこのタイミングでとか、なぜ俺の時に限ってが、よくあるのだ。
例えば幼稚園の写真水没事件。
金魚鉢の縁に乗せてあった写真を、何人かが見ていたので、俺は興味にかられて近寄った。さんざん皆が触っていた写真は、俺の指が触れたかどうか微妙なところで、崩れて金魚鉢に落っこちた。
あ、やってしまった。そう思った俺は、ちゃんと写真を水から救い出し、元の場所に戻した。
で、バレるかなとびくびくしていたら、やはりバレた。当たり前だ、俺のバカ。
そのクラスの先生はなかなか苛烈な女性だった。犯人が名乗り出るまで、部屋にいた園児を立たせたのだ。次第に何人もが泣き出し、空気が重くなる。もしかしたら俺以外全員が泣いていたかもしれない。
泣いていない俺が犯人なのは明白?
「お友達が泣いているのよ。やった子、名乗りでなさい」
これで出られる子は勇気があると思う。
俺はもちろん勇気がないので黙り通した。
その内、一人の女の子が先生に何かを言いに行った。こちらを指差したような気がする。しかし何故かお咎めはなく、そのまま事件は迷宮入りした。
いや、先生にはバレていただろうね。うん。犯人は俺だ。
例えば小学校での掃除の時間。
さぼって雑巾を投げてあっている奴らを横目に、真面目に拭き掃除をしていた。
飛んできた雑巾をキャッチしたところに、ナイスタイミングで先生がやってくる。しかも入口近くにいたので、先生とバッチリ目が合うときた。
すぐさま、こっちへ来なさいと言われ、なぜか俺一人がお小言を食らう羽目になる。遊んでいた奴らのほとんどは、その隙に真面目なふりをして逃げた。
また、例えば、帰宅しようと小学校の校門に向かっていると、いきなり打球が左頬にヒットした。その瞬間、何が起こったのか理解できず、頬を押さえてその場に立ち尽くす俺の元に、軟式野球部のコーチをしている体育教師が走り寄ってきた。
「おい、避けろよお前。そんな所をボーッと歩くからだぞ」
そんな所も何も、ここはグランド外の通路だけど? 子供ながらに疑問を感じ、辺りを見回した。
野球部の練習場所から見て、そこは本塁から右斜め後ろに当たる場所だった。投球ではなく、多分打ったボールが右後方に飛んだのだ。状況を理解した俺は思った。
(おい、お前が謝る側だろうが!)
今なら多分、なんとなく言ってみるかもしれないが、小三の俺は、いかつい体育教師、しかもなぜか怒っている奴に、物申すことはできなかった。
はい、と返事をして頬を押さえながら下校した。
あれは何なんだ。逆切れか? 一年生に当たっていたら事故になっていたかもしれない。今でも思い出すと腹が立つ。
挙げていくと小さい事ばかりだけど、そういう事の積み重ねで、俺は次第に自分の周囲にバリアを張ることを覚え、慎重に距離をとるようになった。
そのせいか、中学に入る頃には、斜めの姿勢がデフォルトになっていた。
別に体を傾けているわけではない。世の中や、物事に対する接し方がということだ。
小学校を卒業する頃には、変わり者のレッテルを張られ、何となくうさんくさい奴と周囲から思われていた。そんな俺には友達はいない。
いないが、中学に入って半年くらいした頃、ちょっとした偶然で、時々一緒に遊ぶグループが出来た。
それは秋の夕方、日が陰り初めていて、辺りはオレンジ色に染められていた。下校しようと校門を出たところで、すんなりした美少女が目に入った。ネクタイは三年生の赤色。彼女は一つにくくっていた髪のゴムをするっと外し、きれいな長い黒髪をファサッと揺らした。
流れる髪に目を奪われた俺は、思わず声を出していた。
「......かっこいい~」
彼女は照れくさそうに笑い、一緒にいたかわいらしい感じの女性徒が彼女をからかっている。こんなかわいい子が二人一緒にいたら、かなり目立つはずなのに、何で今まで見たことが無かったのかと不思議に思った。
それにしても、心の声が出てしまったのが恥ずかしくて、バツが悪い思いでいると、男の先輩が二人、お待たせ、と言いながら掛け寄って来た。
片方の先輩の顔を見て、なんか見覚えあるなと思ったら、生徒会長だった。
これが嫌味なくらいカッコいい人で、顔とプロポーションが整っていて、おまけに頭がいいので、表情も整っている。俺のような平凡な一般人とは別世界の住人だ。もう一人も何かの武道でもやっているのか、立ち姿に芯が通っている感じがする。
四人が揃うと、いつもの中学校前の狭い道路が、そこだけ別世界になったような気がした。あきらかに俺だけが異物。急に上つ方に囲まれて、逃げたくなってきた。
「あの一年生の子に、髪の毛を誉めてもらっちゃったわ」
美人の先輩は、声も綺麗だ。俺はなんとなく照れて、へこへこしながらその場を立ち去ろうとした。
生徒会長はちょっと目を見張って俺を見た。
なんだろう。美少女は会長の彼女なんだろうか。もしかして俺の女に色目使ってんじゃねえよ、とか言われる?
もしくは、身の程知らずとせせら笑われる?
賢そうで端正な佇まいからすると、不憫な奴だと哀れまれるっていうのが、最有力候補だろうか、などと俺は軽くパニックになっていた。
すると、生徒会長は俺の前に来て、今日暇、と聞いた。
反射的に暇ですと答えると、じゃあ、一緒に遊ぼうと腕を掴まれた。
その展開に理解が追いつかない俺を、先輩はグイグイ引っ張る。握られた腕をほどこうとしたが、ガッチリ食い込んだ手は微動だにしない。細身の先輩のどこにこんな力が、とその腕を見ると、筋肉がグリッと浮いている。
嫌だ、この方、細マッチョだ。脱いだらすごいのかもしれない。そう思ったのは大当たりだと、後日知ることになったんだ。
俺は軽く斜めの、歩きにくい体勢のまま、彼に付いていくしかなかった。
その日から、俺は生徒会室の常連になった。立場的には、生徒会の仕事の補助要員だ。正式にというと大げさだが、生徒会長が学校に申請をして、そのポジションを作ってしまったのだ。
こうして、胡散臭い俺、田中ヒロシに、生徒会のサポート役員の肩書と、後ろ盾が付き、そして何となく箔が付いた。完全な虎の威であり、俺自身が変わったわけではない。
だから、相変わらず俺はボッチで、学校生活はそう大きくは変わらなかった。しかし、仕事はある。そのせいで、毎日が結構忙しくなっていった。
そうこうするうちに学年末を迎え、先輩たちが卒業する時がやって来た。俺は元の生活に戻れるこの日が来ることを、ちょっと喜んでいたのだ。
ところが、生徒会の代替わりの懇親会で、元会長の緒方祐樹は、新会長に俺のポジションを指示した。サポート役員のまとめ役だ。
なにそれ、聞いていませんよ、と抗議したが、笑顔でスルーされた。
そしてその時、もう一つ驚く話が告げられた。
「ヒロシ、同じ高校に来い。ポジション開けておいてやるから」
美少女、里見ユキ先輩も、ポニーテールを振りながら、絶対ねと言い出した。ちなみに、彼女は分厚い黒ぶち眼鏡で、男除けをしている。俺が気付かなかったのは、これのせいだった。
生徒会の中心メンバー、会長緒方祐樹と副会長の里見ユキ、書記の今井武、井上由美の四名の先輩たちは、地域で一番の進学校に進む。
「学年で十位以内ですよね。無理です」
俺は勿論、即答した。学年百位前後が俺の定位置だ。それを知らないのだと思い、小声で耳打ちすると笑われた。
「大丈夫。次期生徒会にお前を引き継いでおいた。それでお前の順位アップをミッションとして与えた。生徒会に名を連ねているから、内申はバッチリだ。後はお前が勉強すればいいだけだよ」
俺の引き継ぎ?
俺を引き継ぐ、とは。冗談だよな、とヘラヘラ笑ってその日は逃げたのだが、どうやらガチだったようだ。
生徒会役員が日々、個別指導をしてくれて、定期テスト前にはテスト対策部隊が編成される。先輩方や同級生に、ご自身の勉強はと問うと、教えるのが復習になると、ポジティブな答えが返って来る。
そのおかげで俺はメキメキと成績を上げた。
元来俺は根が素直なのだ。そして長いものには大人しく巻かれる。斜めになっている根性も、実は真直に傾いているようなもので、よじれたりねじ曲がるような捻りは無い。
高校生になった今思うに、少しの運の悪さと、かなりの要領の悪さで、人生を拗らせていたのだ。