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オオイヌノフグリ


 ある晩の山吹(やまぶき)


(オオバコ科クワガタソウ属……クワガタ? 昆虫? 別名「星の瞳」……)


 アパートの自室で、花図鑑という分厚い本をひろげてながめること二時間弱、山吹は眼鏡をはずして、眉間を指で押さえた。



 数日前の山吹。


「なあ、ユウタ、オオイヌノフグリって知ってるか。シソ科の越年草(えつねんそう)で、西アジア原産だけど、日本でもありふれた雑草って感じだよな」


「よく、公園や畦道に咲いている小さなむらさき色の花のことかい?」


「そう、それ。ちなみに、犬の陰囊(イヌノフグリ)ってさ、果実の形が雄犬の金玉(きんたま)に似てるらしいぜ」


(図鑑だとハート型に見えたが、陰嚢(いんのう)のことを、ふぐり(、、、)って呼ぶんだったな……)



 フラワーショップ・フルブルームで、お得意さま宛の誕生祝いとして花束を注文した山吹は、作業台でラッピングの準備をする(あさひ)の手つきを、じっと、見つめた。切り花を長持ちさせるため、余分な枝葉を剪定している。


(花屋の孫だけあって、必要な知識や技術は備わっているようだな)


 フルブルームは、一階が店舗で二階が住居となっているため、山吹が訪れるたび、双子(ツインズ)のどちらかいっぽうが顔をだした。本日は兄が当番なのか、半袖のシャツにフォレストグリーンのエプロンを身につけている。短パン姿につき、うしろ向きになると妙に色っぽく見えた。ただでさえ、裸足にサンダルというラフな恰好につき、目のやり場に困る山吹は、店内へ視線を泳がせた。


 こまめな仕入れと旬の花を扱うようで、大型の冷蔵庫はなく、店内の温度は常に適温が保たれている。夏場の営業は日射しが強く、どうしても汗ばんでしまうため、所用ついでに涼める場所はありがたい。


 スターチスの花をラッピングする旭は、ときどき顔をあげ、ちらッと、山吹の存在を気にかけた。


「クールビズってさ、エロいよな。ノーネクタイにノージャケットのリーマンを見ると、なんかぞくぞくする」


「それはまた、ずいぶん独特な感性だな」


「ふつうだろ。だって、いつもスーツでガチガチに身を固めてるやつらが、暑さのせいで薄着になるんだぜ。ふだん隠しておく腕の筋とか、腰のラインとか見せつけられると、興奮するじゃん」


「見せつけているつもりはないが、そういうものか」


 山吹は自身の胴まわりを見て、贅肉が蓄積するいっぽうの腹をさすった。今のところ、ぎりぎり標準を維持している。


「あと、手首の形とか腕時計なんかもエロい。ユウタって着痩せするタイプなんだな。脱いだら、あっちのサイズもすごそう」


 などと云って、下半身へ視線を向かわせる旭の目つきは真剣で、山吹は思わず後ずさりした。


(前から気になったんだが、旭くんはバイセクシュアルなのか? それとも、同性愛者とか……) 


 これまでの人生において、山吹はヘテロである。異性と交際した経験は浅いが、童貞ではなかった。中性的でもないのに、やけに色気のあるツインズは、山吹の思考を落ちつかなくした。


(物言いが極端なのが原因だとしても、旭くんは露出が多すぎやしないか? (あかね)くんだって、肌が白くて……)


 思考のとちゅうで「あのさ」と声をかけられた山吹は、「な、なんだい」と、少しあせった。



「この花、だれに贈るの? ユウタって女がいるのか」


「それは、お得意さまのものだ」


「顧客相手にピンクのスターチスって、勘ちがいされねぇか」


「どういう意味だい」


「じぶんの奥さんとか彼女に贈るような花言葉があるからさ」


「そうなのか?」



 旭いわく、スターチスならば紫のほうが無難らしい。このときのやりとりがあって、後日、本屋で花図鑑を買って読みだすことになる。とはいえ、現時点では詳しくないため、適当に選んだ結果、つくりなおしが発生した。


「すまない。切り花を無駄にしてしまったな。そっちのぶんも会計にいれてくれ」


 山吹は、バケツに放置されたピンクのスターチスを指さしていう。枝葉を剪定したあとにつき、商品棚へもどすことはできない。旭は新しい花束をつくりながら、「いいよ、べつに」と気楽に応じた。


「そういうわけにはいかない。きちんと請求してくれないと、わたしが困る」


「なんでユウタが困るんだよ」


「なんでもだ」


「……へえ、意外と頑固なんだ。まあ、いいけど。はい、できあがり」


「どうもありがとう。いくらになる」


「全部サービス」


「なに?」


 ショルダーバッグから財布を取りだそうとして顔をあげた山吹は、デートに誘われた。


「誰が、誰と?」


「ユウタがおれとにきまってるじゃん。次の休み、おれとデートしてくれたら、花代は無料ってことで」


「その条件は、おかしくないか」


「でも、ユウタは断らないだろ」


「なぜ、そう思う」


「なんとなく。とにかく、花代はいらない。……で、あさっての日曜、駅前のフルーツパーラーでランチしようぜ。期間限定のパフェも追加な!」


 旭は、山吹に花束を押しつけて「よろしく」と、片手をひらひらさせる。


「ま、待て。会計を……」


 唖然となる山吹は、ほのかににおい立つ花束を見つめた。スターチスのほか、カスミソウが添えてある。感謝や幸福といった花言葉をもつナデシコ科の白い花だ。考えがまとまらない山吹をよそに、バケツのスターチスを処分する旭は、上機嫌のようすで口笛を吹く。無用な長居をして、先方への訪問が遅れてしまっては、花束の価値を損ねるだろう。山吹は財布にかけた手をもどし、花束を両手で受けとった。


「わかったよ。こんどの日曜日、おれとデートしよう。前もって云っておくが、当日の会計はおれに任せること。いいね?」


「了解」


 作業台をかたづける旭は、白い歯を見せて笑う。デートの約束をして花屋をあとにした山吹は、急に肩の力が抜けた。


(しかたがない、なりゆきだ……。駅前のパーラーでランチか、たまには悪くないだろう)


 山吹は独身につき、なにかとひとりで過ごすことが多い。誰かといっしょの外食も久しぶりだった。



❃つづく

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