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エクスタシー


 タリアテッレという幅広のロングパスタに粗びき肉を合わせたボロネーゼと、ドレッシングは使わず胡椒をふった生野菜、手作りのラズベリーチーズタルトなど、石蕗の料理は本格的で、レストランでも通用するほど完成度は高い。

 

「すげぇ、マジでうまかった。ごちそうさま」


 味に自信をもっている石蕗は、赤ワインを()いだグラスへ口をつけ、笑みを浮かべた。旭に提供されたのみものは、ノンアルコールのシャンパンである。ディナーをごちそうするといって、初めて訪れた石蕗のマンションで夜を過ごす旭は、満腹となった後、休息モードとなる。


「なあ、バイトで汗かいたから、シャワー浴びたいんだけど……」


「いいよ。いっしょにはいろうか」


「は? いやだね。ひとりではいる」


「この(へや)のシャワールームは、ふたりで使っても充分ひろい。シャンパンに睡眠薬を盛って、きみを弄ぶこともできる状況だというのに、やけに無頓着だな」


 満腹で眠いせいか舌がうまくまわらない旭は、石蕗に反論するのをやめ、脱衣所へ向かった。シンプルな洗面台と、乾燥機能つきのドラム式洗濯機に目が留まる。脱いだシャツとハーフパンツを放りこむと、石蕗がやってきて「ほう」と、つぶやいた。


「なんだよ、いっしょにはいらないって云っただろ」


「そんな大胆な下着をはいて、よく云うね。本当は誰かに見せたくて、がまんできないのだろう」


 シースルーブリーフ姿でふり向く旭は、大事なものをほとんど隠せていない。その視覚効果は抜群で、石蕗はじりじりと詰め寄り、欲望の在処(ありか)を指でなぞった。旭の腰がビクッとふるえる。


「さ、さわるな……」


「いい反応だ。もっと気持ちよくしてやろう」


 極薄のブリーフ越しに局部を煽られる旭は、石蕗の指づかいに感じてしまうため、ぎりぎりのかげんで腕をふりはらった。


「放せってば! こっちは早く、シャワーを浴びたいんだよ」


 性的な事柄に昂揚(こうよう)してしまう旭は、無理やり悪態をつく。


「くそ、紫信のやつ、くっそぉ!」


 うろたえる旭を見て満足した石蕗は、リビングの本革製アームソファに腰をかけると、足を組んでワインのボトルをグラスへ傾けた。山吹のアパートよりひろいシャワールームには、スキンケア成分が配合された高級品のメンズシャンプーや、ボディーソープが置いてある。手のひらで泡立てるとアロマの香りが浴室にひろがり、リラックス効果を高めた。


「なんか、いちいち腹が立つ」


 身のまわりの雑貨が、どれも見慣れないパッケージにつき、生活水準の差を認めざるをえない。レストランのシェフと、保険会社の営業マンの日常は、あまりにも異なる部分が多かった。


「ふん。金持ちの男なんか、こっちからお断りだぜ。おれが好きなのは、平凡だけど、まじめなユウタだからな」


 シャワーを浴びて脱衣所へでると、新しいバスローブが用意されていた。袖を通してみると、躰のサイズにぴったりおさまった。旭は眉を寄せ、溜め息を吐いた。まるで、彼氏にスリーサイズを把握されている彼女のような気分になる。中身を知ってもらいたい相手は、石蕗ではない。


「ここへおいで」


 アームソファへ腰かける石蕗は、となりを示して旭を坐らせる。室内の冷房は弱風につき、旭はバスローブの腰紐をゆるめると、衿の合わせをひらき、しばらく涼んだ。はだけた胸もとへ視線を落とす石蕗は、旭の背中を支えて押し倒すと、唇を重ねた。


「やめろ、紫信。おれは、おまえとはエッチしたくない……」


「なぜだ?」


「好きなやつができたから」


「きみに男ができようと、俺には関係ないよ」


「な、なんだよそれ。おれは、浮気なんてしたくないぞ」


「すでにつきあっているということか」


「それは……まだ、だけど……」


 石蕗の青い眼に見つめられる旭は、容姿や才能といった世間の評価より、そのふしぎな色合いに捉われて、手足の力が抜けてしまう。キスをつづける石蕗を、拒むことができない。


「ん……、んっ、紫信……」


「きみこそ、ダメだよ。どんな男に夢中なのか知らないが、初体験は最初が肝心だからね。まずは、この俺を選びなさい。きみの肉体を、華やかに開花させてやろう」


 男女共に経験豊富な石蕗は、優位に立って笑みを浮かべる。この雰囲気はまずい(確実にヤられる)と思った旭は、なんとか話題を変えた。


「紫信って、いつから料理人になろうと思ったんだ?」


 あからさまに時間かせぎと思われる質問だが、石蕗は旭の首筋へ舌を這わせるのをやめ、上体を起こした。すぐさま身なりを整える旭は、相手に関係なくゾクゾクする下半身が恨めしく感じた。



「俺の昔話に興味があるとは、女みたいだな」


女々(めめ)しいって云いたいのかよ」



 ガラスのテーブルに、ワインのボトルとのみかけのグラスが置いてある。アームソファのひじ掛けに体重を()せる石蕗は、ゆったりとした姿勢で旭のぬれた髪を撫でた。


「きみは、手に入れたいものをいつ自覚した? おそらく、早い段階で意識したはずだ。夢や理想を自由に語れるのは、子どもの特権だからね」


「おとなになったら、夢をみちゃいけねーのか」


「それは、内容にもよるだろう。実現できる能力や必要な資金が手もとにあれば、いくらでも将来は変えてゆける」


「それって個人の場合だろ。誰かの協力がなければ、実現できない夢のほうが多い気がするけど……」


「たとえば、きみが今、片思いしている相手とセックスする計画とか?」


「なに云ってやがる。軽いノリで手をだしてくるあんたと(ユウタを)、いっしょにするな」


 動揺してムキになる旭を見た石蕗は、薄笑いを浮かべて確信した。快楽に弱い旭だが、思いのほか純情で、一途なのだと。手に入れる予定だった旭に「好きな男」があらわれた以上、その人物が何者なのか、さぐる必要がある。相手の力量しだいでは、奪い返すことも可能だ。


「簡単には譲れない。せめて、寝取るくらいの気概を見せてもらわねば、つまらないからね」


 石蕗の思惑をよそに、しだいに眠気が増す旭は、持参した外泊用の歯ブラシで歯を磨くと、バスローブを脱いでパジャマに着がえた。「おやすみ、旭」という石蕗の声は、なぜかいつもより耳に心地よく響いた。



❃つづく


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