隠しきれない想い
仕事を終えてアパートに帰宅した山吹は、室内干しの洗濯ロープへ目を留めた。旭は、前閉じタイプのシースルーブリーフを愛用している。いちど見たら忘れようがない、きわどい下着だ。ちなみに山吹は、肌になじむ履き心地のショートトランクス派である。
(旭くんは、ふだんからこんなスケスケのパンツをはいているのか? こんなもの、どこで買うのやら……)
極薄でフィット感があり、うっすらと光沢のある肌色のブリーフは、勝負下着のように見え……なくもない。先に中身を目にしてしまった山吹としては、派手な下着を見ても、そこまで動揺しなかった。
洗濯物をたたみ、旭のぶんを紙袋へまとめると、近所のコンビニで買った弁当で夕食をすませた。いつものようにシャワーを浴び、就寝前に花図鑑をながめるうち、巻末に収録されている花言葉が気になった。
(そうだ、花には、それぞれ意味があったんだったな。……いつぞやは、旭くんのおかげで恥をかかずにすんだ。あのときは、本当に助かった)
フラワーショップ・フルブルームで、お得意様用に誕生祝いの花束をつつんでもらった山吹だが、それは顧客を大事にする会社の方針であり、故意に親睦を深めるためではない。そのさい、店番を担当していた旭は、的確なアドバイスをして、山吹を関心させた。
「ダリア、スイレン、ノウゼンカズラ、アンスリウム……。へえ、夏に咲く花は、どれも見事だな」
ページをめくるたび、色鮮やかな写真が掲載されている。解説の文字が小さすぎるため、シャワーのあとコンタクトレンズをはずした山吹は、とちゅうから眼鏡をかけた。「なんだよ、その眼鏡。今まで、かけてなかったじゃん。反則だぞ」という旭のことばを思いだし、くすッと、笑みがこぼれた。
「なぜ眼鏡が反則なのかよくわからないが、あのときの旭くんは、あきらかにうろたえていたな」
強気で負けずぎらいな旭だが、意外と弱点は多く、山吹がその気になれば、従順な態度を示す。巻末でアンスリウムの花言葉を調べると、赤は情熱、黒は戯れの恋と記してあった。
「この花は、色ごとに強いメッセージがあるんだな。贈るほうも受けとる側も、かなり注意が必要になるぞ」
保険会社のロビーに、観葉植物のアイビーが飾ってある。「死んでも離れない」という花言葉があることを、どれだけの従業員が認識しているのか、やや疑問に感じた。もっとも、「永遠」や「絆」といった意味もあるため、結婚式では定番の植物である。
「ますます、知らずに見過ごしていることばかりだな」
特定の花屋へ出入りするようになった山吹は、新しい分野の知識を得ていくが、植物の世界は奥が深い。たとえば、人間は一日に四万種以上の生物を利用して生活しているが、その大部分は植物である。
細かな文字を目で追う山吹は、花のにおいに満ちた夢のなかへ迷いこんだ。桃色のコスモスが咲く花のもとに、裸身の旭が寝こんでいる。これは夢だと思った山吹は、となりに躰を横たえると、静かにまぶたを閉じた──。
その夜、レストランのシェフからディナーに招待された旭は(不本意ながら)、タイムカードを打刻すると、裏口で石蕗を待った。事前に着がえを用意するよう、ご丁寧に電話で指示されている。リュックサックに下着やシャツを詰めこむ旭を見つめる弟に向かって、「今夜は、バイト先で知りあったやつの家に泊まるから帰らねぇよ」と、素っ気なく伝えた。「また、外泊するの……」と口ごもる茜は、心配そうに兄の背中を見送った。湧太郎をめぐって、双子のあいだには微妙な空気が流れつつあった。
仏頂面で佇む旭に、4WDの車が低速で近づいてくる。パワー・ウインドーがひらき、運転席の石蕗が「乗りたまえ」と声をかけた。紳士的な調子が癪ではあるが、どんなごちそうにありつけるのか興味がある旭は、助手席のドアを開けた。
「云っておくけど、変なことしたら大声で叫ぶからな」
「それは、きみの被害妄想だろう。俺はなにも強要していない。今夜の件は、合意の上も同然だ」
「誰がいつ合意したって? しかたなく、つきあってるだけだ」
「シートベルトをしろ」
旭がドアをしめると、石蕗はアクセルを踏んで、高層ビルディングへ向けて走りだす。端正な横顔や、ステアリングを操作する腕をながめる旭は、「ちぇっ」と舌打ちをした。
「あんたってさ、女に困らないくせに、なんでおれなんかに手をだそうとするんだよ」
「おや、そんなふうに妬くとは意外だね」
「べ、べつに妬いてねぇよ! ただ、史上最強みたいな顔をして、わざわざ男を口説く必要あるのかと思って……」
「そんなにほめなくても、今夜はたっぷりサービスしてやるさ。期待していいよ」
思わせぶりな科白を耳にした旭は、「やっぱり帰る」といってドアをあけようとしたが、運転席の手もとにあるスイッチでロックされていた。
「紫信、次の信号でおろせ」
「ダメだよ、旭。今夜は、きみのためのディナーを用意してあるからね。ぜひ、俺の料理を味わってもらいたい」
「食事だけですむならば」と云い返そうとした旭は、ハーフパンツのポケットに突っこんである携帯電話が鳴り響いた瞬間、ドキッと、心臓が強い脈を打った。着信画面を確認すると、山吹の名前が表示されていた。
「出なくていのかい?」
「……お、弟からだ。帰りが遅いから、気になってかけてきたのかも……(ユウタ、ごめん!)」
あわてて携帯電話の電源を切ってしまう旭は、とっさの判断で石蕗に嘘をついた。いっぽうの山吹は、洗濯物を返すため、仕事帰りに花屋へ向かおうと思って連絡したが、一方的に回線が切れたので、首を傾げた。朝から持ち歩く紙袋は、旭が応答しなかったため、ふたたび自宅で保管した。
石蕗の居住マンションは三十五階建てで、洗練された外観も個々の室内のひろさも豪勢な構造である。玄関にはいるなり、「厭味かよ」と溜め息を吐く旭は、気ままな暮らしぶりを実現する石蕗が、ほんの少し羨ましくなった(山吹は木造アパートの住人だ)。
最小限の家具でおさめたシャープな空間は、キッチンとリビングは開放的になっており、寝室の扉はあいていた。石蕗はダブルベッドを使用しているようだ。ディナーのあと、石蕗と寝台で抱きあう場面を想像した旭は、ゴクッと唾をのみこんだ。
❃つづく