マッチョ売りの令嬢〜この王子、可愛すぎて拳が役に立たないわ!〜
「マッチョはいかがですかー? マッチョは――」
この呼びかけをしてから、どれぐらい経ったのだろうか。
わずかな街頭の灯りの下で、私は町の人達に声をかけていく。
「マッチはいかがですか?」
「一つ頂こうか!」
「ありがとうございます!」
隣でマッチを売っている少女には、優しく声をかけていくのに私は何が違うのだろうか。
それがわからなかったから、婚約破棄にあったのだろう。
♢ ♢ ♢
私はプロテイン公爵家の長女リリナとして生まれた。
屈強な肉体をした父様と兄様二人の四人家族だ。
母は私が幼い頃に亡くなってしまったので、家族は男ばかりのところで生活していた。
それがいけなかったのだろうか……。
「ルーカス様、私と手合わせをしていただけませんか?」
ルーカス様は私の婚約者だ。
仲良くなるには手合わせが一番だと、家族に教えられて育った。
それにルーカス様は騎士家系なこともあり、小さい頃からよく手合わせをしていたのに……。
最近はそれすらもなくなってしまった。
終いには――。
「君がいると女性の視線を全て奪われてしまう」
私がいると女性が取られてしまうと言われるようになった。
「女性は私だけではダメですか?」
冗談だと思っていたが、ルーカスやそのご学友からの視線で改めて実感したわ。
私はここにいるべき人ではないのだと。
「キャー! リリナ様ー!」
「今日も素敵ですわー!」
こんな風に黄色い歓声が聞こえてくるからね。
髪を短くして男性と同じ服装をしているから、令嬢たちが間違えるのだろうか。
だって、この服装の方が筋トレをするのに適しているのよ。
ヒラヒラしたドレスを着ては走れないし、股を広げてスクワットなんてできやしない。
そんな日常を過ごしていたから、私はルーカス様に捨てられたのだろう。
婚約破棄された時に紹介された女性は、小柄で可愛らしい小鳥のような女性だったわ。
青のドレスにガラスのシューズを履いた……確か名前は『シンデレラ嬢』と言っていたかしら。
ただ、彼女も私のことを知っていたのか、キラキラした目で手を握ってきたのが理解できなかった。
婚約破棄された私はプロテイン公爵家に相応しくないと思い、すぐに公爵家を後にして、隣町で仕事を探すことにした。
「正々堂々力で勝負をするべきだ」という家訓の元、私は自分の力でどうにかしようと思った。
♢ ♢ ♢
「その結果、路頭に迷うなんてね……」
力が強い私なら仕事はいくらでもあると思った。
大きな家財なんて、一人で軽々と運べるし、小さな小屋なら一人で肩に担げるわ。
鉱山の採掘なら、拳一つで山を貫通させられるから、労働者としては時間もコストもかからない。
なのに仕事がないなんて、世の中厳しい世界ね。
みんな私が声をかけたら、どこかに逃げてしまう。
特に同じ女性に声をかけたのに、みんな下ばかり向いて目も合わせてくれないわ。
「マッチはいかかですかー?」
あのマッチを売っている少女には人集りができて、なぜ私は逃げられるのかしら。
「マッチョはいかがですかー? 肉体労働や――」
「待て!」
呼び込みをしていると、遠くから誰かを追いかけてくる声が聞こえてきた。
目を凝らすと泥だらけになった少年が走っている。
「あの子を捕まえたらいいのかしら?」
私はふくらはぎ……下腿三頭筋に力を入れて、勢いよく地面を蹴る。
あら……力を入れすぎて、地面が凹んでしまったけど、気にしたらダメね。
「うわっ!?」
すぐに少年の前に移動すると、その場で抱きかかえる。
以前、階段から転びそうになった令嬢を助けたら、『お姫様抱っこ』って呼ばれるようになって流行っていたわね。
そんなことを思いながら、少年の顔を覗くとあまりにも整った綺麗な顔に胸が締め付けられる。
目鼻立ちがはっきりして端正で整った顔。
優しいグリーンな瞳が特徴的な目をパチパチとさせている。
「くっ!?」
これが突然死する心臓病ってやつかしら。
本当に胸の奥をグッと掴まれているような感覚と聞いたが、実体験するとは思いもしなかった。
「すみません、今追われているので、離していただけませんか?」
腹の底から出てくる低い声の兄様とは大違い。
聞こえてくる声は子守唄に聞こえるほど美しい。
まるでお茶会で聞こえる小鳥の囀りだわ。
まぁ、私がお茶会に誘われることは、今まで一度もなかったけどね。
甘いお菓子と紅茶より、筋肉の元になる鶏肉やプロテイン公爵家特製のプロテインの方がお口に合うのよ。
「何に追われているのですか?」
「あっ……いや……悪いやつにです」
まるで天使のような少年を誘拐しようとしているのだろうか。
「誘拐ですか?」
私の言葉に少年はこくりと頷いた。
これは彼の味方をした方が人助けになるだろう。
だって、追いかけてきた人たちの方が明らかに悪人面しているんですもの。
「おい、お前そいつを渡しな!」
私は少年を隠すように立ち塞がる。
全員で五人と私を相手するには武が悪いだろう。
だって、私がしている戦闘訓練は十人からと決まっているのよ。
「大勢に囲まれて、お前に勝ち目はないだ――」
ごちゃごちゃと話している男の腹部に一撃拳を加える。
まずは小手調べとして、普段の力の一割で触れてみた。
「ぐふっ!?」
「あら?」
だけど、男はそのまま勢いよく、数メートル飛んでいってしまった。
「てめぇ、兄貴になにしやがる!」
「かかれ!」
他の四人もすぐに剣を振り上げてきたわ。
でも、私にとったら遅いのよ。
二人のお兄様やお父様と訓練をしている方が、よほどハラハラして楽しいわ!
そもそも――。
「正々堂々力で勝負をするべきだわ!」
私は剣に向かって拳を突きつける。
すると、剣なんて真っ二つに簡単に折れてしまうの。
なのに、みんなは拳ではなく、剣で戦おうとする意味がわからないわ。
ルーカス様との手合わせも、毎回剣をへし折ってたのがいけなかったのかしら。
剣ってそこそこの値段するって言うものね。
「ばっ……ばけものだあああああ!」
「おい、逃げたら俺たちがどうなるか……くそ!」
一人の男が声をあげて逃げていくと、続けて三人の仲間も追いかけていく。
「あら……忘れ物ね」
私は倒れている男を片手で掴むと、そのまま男たちに返したわ。
みんなその場で倒れていたけど、大丈夫かしら?
「あのー、お怪我とかは……」
振り返ると、天使のような少年は私の顔を見て驚いた表情をしていた。
驚いた姿をしていても、見惚れるほどの美顔についうっとりしてしまう。
「ぜひ、あなたを私のものにさせてくれないか!」
少年から出た言葉に私の方が驚いてしまう。
今までルーカス様にも、そんなこと言われたことないのに……。
「くっ……」
あまりの胸の苦しさに私は頷くことしかできなかった。
突然のプロポーズに私の頭は真っ白になった。
ルーカス様にすら、小さい時に『一生手合わせをする』と言われたきりだ。
私はその場で片膝をつき、少年の手を取ると、そっと手の甲に口付けをする。
「一生お守りします」
剣を使わないプロテイン公爵家では、こうやって好意を伝えろと教えられた。
拳は剣よりも強く、好意を伝えるなら、手に直接伝えろと言われているからね。
これを令嬢たちにしたら、耳が聞こえなくなるほど雄叫びを上げていたわ。
「くくく、そうか。マッチョを売っているだけはあるね」
少年は満足そうに笑っている。
どうやら私の好意は伝わったようね。
「私はあなたのその強さに惹かれました」
「へっ……」
少年の言葉を聞き、胸の鼓動がどんどん速くなる。
今にも心臓病の発作が出るほど、ドキドキと言っているのが全身に伝わってくる。
「剣を折ったのにですか……?」
「ええ、すごかったです」
ルーカス様の剣を折った時は、声を上げて逃げて行った。
過去に強さがいらないと思った日は、半日だけあった。
前にも後にもなく、その時だけだ。
ただ、強さを否定すると、私の生き方すら否定することになってしまう。
でも、目の前にいる少年はそれすらも褒めてくれた。
「ルシアン様!」
そう思っていると、腰に剣をぶら下げ、マントを付けている男が走ってきた。
服装からして騎士のような見た目だ。
「ガレス、追手はどうだ?」
「全て始末してきました」
父様とあまり年齢が変わらない男はガレスという名前らしい。
それよりも――。
「ルシアン様ってお名前なんですね」
天使のような見た目の少年はルシアン様と呼ばれていた。
見た目と合った名前に、つい何度も呼びたくなってしまう。
「ええ、そういえばあなたのお名前は……?」
「リリナと申します」
自己紹介をすると、少し首を傾げていた。
「この国には中世的な名前が多いんです」
「ああ、それは知らなかった」
ガレスさんが小声で何かを話されて、ルシアン様は納得していた。
「それで追っては……」
ガレスさんは周囲をキョロキョロと見渡す。
「ああ、リリナが全て追い払ってくれた」
「全てですか!? 五人はいたと思いますが……」
ガレスさんは私の顔をジーッと見つめてくる。
そんなに五人を相手することは珍しいことだろうか。
我が家の戦闘訓練では当たり前だったわよ?
「それなら手合わせでもしてみますか?」
「では――」
とりあえず、捻り潰してみたら私がルシアン様をお守りしたことを理解してくれるだろう。
少しだけ足に力を込めて、ガレスさんの背後へと一気に移動する。
――ガキン!
拳が冷たく硬い何かにぶつかった。
そう思った瞬間、拳に込めた重みが何の抵抗もなく流されていく。
「全く物騒な拳だな。気を抜いたら、剣が折れそうだ」
ガレスさんはすでに剣を抜いており、私の拳に沿わせるようにして、その力を受け流していた。
あまりにも滑らかに力を逸らされたせいで、拳は止まらず空中を殴っていた。
――バン!
遠くのタルが爆ぜ、大きな音を立てて破裂した。
剣で拳をいなされたのは、これが初めてだわ。
その感覚に、ルシアン様を見た時とは違う気持ちで、背筋がゾクリと震えた。
「どうだ、強いだろ!」
ルシアン様は嬉しそうにしているが、ガレスさんは呆れていた。
もしかして、ルシアン様が嘘をついていたとでも思っているのかもしれない。
だって、剣は折れなかったのよ。
きっと三割の力でしか叩いてなかったのがいけなかったのね。
「またそうやって――」
私は次こそ吹き飛ばす勢いで力を込める。
「リリナ! 試験は終わりだよ」
「ふぇ!?」
その言葉に力が抜けていく。
試験ってなんの試験だったのかしら?
婚約者の試験?
いやいや、そんなことよりも、今聞きましたか?
私のことをリリナと呼びましたわよ。
ルーカス様ですら、『リリナ嬢』としか呼ばなかったのに……。
『リリナ』と呼ぶのは父様と兄様だけ。
ってことはすでに私たちって家族ってことかしら?
私はあまりの嬉しさに笑みが止まらない。
「ほら、本人が喜んでいるから、連れて行っても問題ないでしょ?」
「リリナさんが良いと言うならいいでしょう」
チラチラとルシアン様とガレスさんがこちらを見ていたが、私は全く気にならなかったですわ。
だって、ルシアン様との将来を想像していたのよ。
毎日手合わせをして、褒めてくれるルシアン様。
きっと子どもはルシアン様似の愛らしい男の子と女の子の二人。
幼い時は私の力を受け継いで、ダンベルで遊んでいるのも想像できるわ。
「じゃあ、リリナ行きますよ」
「また、ルシアン様はすぐに人を拾ってくる……」
楽しい未来を想像して、私は新たな道を歩んでいく。
♦︎ ♦︎ ♦︎
仕事を終え、家に帰ると愛する娘からの置き手紙が置いてあった。
「リリナからの手紙は久しぶりだな。いつも筋トレばかりしているからな」
我がプロテイン公爵家の中で、一番自然と力が付いたのは娘のリリナだった。
一歳の時には自然と5kgのダンベルを持ち上げて、振り回したり、投げたりして遊んでいた。
歩くようになった時には、プロテイン公爵家の『フラッシュステップ』も使いこなしていた。
どれも回復魔法の魔力を感じたから、妻の力が関係しているのだろう。
そもそもプロテイン公爵家は力が強く、体が丈夫な家系として有名だ。
そこに病弱だが回復魔法の才能があり、『聖女』と呼ばれる妻と結婚したことで、生まれたのがリリナだ。
リリナはどちらの才能も受け継いでいるため、瞬間的に自分の体を回復させて力を倍増させている。
まさにプロテイン公爵家の最高傑作ってところだな。
「ふふふ、中にはお父様大好きって書いて……」
手からスルリと手紙が落ちていく。
わしは手紙を読んだ瞬間、この国を滅ぼそうと思った。
まさかリリナが婚約破棄されて、公爵家から出て行くと書いてあったのだ。
「おのれ……ルーカスめ!」
ルーカスは私がリリナに紹介した婚約者だ。
あいつは有名な王族護衛の騎士家系のため、リリナに相応しいと思ったのだ。
それなのに……。
すぐにルーカスがいるフワリーノ公爵家の屋敷に向かった。
「おい、ルーカスはどこだ!」
「プロテイン現当主様!?」
扉を開けた先には、青いドレスを着た令嬢と楽しそうにお茶をしているルーカスがいた。
あの女に唆されて、うちの可愛いリリナが家を出て行ってしまった。
女にもイライラするが、それよりもルーカスのあの柔らかいナヨナヨした感じが昔から気に食わない。
わしはルーカスの襟元を掴むと、すぐに地面に叩きつける。
「ぐはっ!?」
突然、わしが来たことで周囲は騒然としていた。
ただ、ルーカスの近くにいた女は嬉しそうに微笑んでいる。
「あのリリナ様のお父様ですね……」
「なんだ」
わしは女に警戒を強める。
女は立ち上がると、青いドレスをふわりと広げて挨拶をする。
「私の名前はシンデレラです。本日は突然のご訪問、誠に光栄存じます」
微笑みながらお辞儀をして、柔らかい声で言った。
とても丁寧な子だ。
だが、微笑みがどことなく不気味さを醸し出している。
戦場の中でも拳一つで戦ってきた俺ですら、何か違和感を覚えた。
「愛するリリナ様の代わりにルーカス様との婚約を承りました」
一瞬、場の空気が凍りつく。
「リリナ様は……わたくしにとって運命の方なんです」
シンデレラ嬢の言っていることが全く理解できない。
愛するリリナのためにルーカスと婚約する?
どこにそんなおかしなことをするやつが……ああ、ここにいたのか。
「リリナ様は私にとって王子様なんです。お姉様に階段から突き落とされたときに、さっと抱きかかえてくれて、その時に私は恋に落ちたわ!」
なんか……今までに会ったことない不気味な女にわしは後退りする。
「それなのに……こんなひ弱で、いかにも守ってもらうような見た目の方がリリナ様の婚約者だって……堪ったもんじゃないわよ!」
シンデレラは地面に気絶しているルーカスの頬を何度もビンタして、頭を地面に打ちつけて起こす。
シンデレラの意見はわしも同じだが、いくら何でもそこまではわしもしないぞ?
「あぁ、シンデレラ嬢。今日も美しい」
「さぁ、ルーカス様。続きのお茶をしますわよ」
シンデレラは何事もなくルーカスを椅子に座らせて、お茶会を再開させた。
虚ろな目をしているルーカスを見て、わしの苛立ちはどこかに消えていった。
お読み頂き、ありがとうございます。
久々の女性主人公ですwww
男装女子が書きたかったんですよね| |д・)
★評価とブクマをしていただけると嬉しいです!
長期連載版は下から開けます!