2 僕の名前は「ほ」らしいです
いったいどれくらいの時が経っただろう。僕は、誰かに呼ばれていることに気づいて目を開けた。
深い眠りにつくちょっと前まで、真っ黒で重苦しくどろどろとした感情に支配されていたはずだけれど、なんだか今は心がすっきりとしている。いっぱい眠ったからかなあ。
辺りには、少し金色っぽい白い光が溢れていてすごく眩しい。僕はにょろりと首を巡らせ周囲を見回して、すぐ近くに人間の影のような形をした炎が揺らめいているのに気づいた。
「誰?」
「気づいたか、哀れな幼蛇よ。否、もはやそなたは蛇ではないが」
「ええっ、僕、蛇じゃないの?」
炎から声が出てくることには、なぜか何の疑問も感じなかったのだけれど、自分が蛇じゃないだなんて信じられない。だってほら、今もにょろにょろと動いているし。
炎の人影が、風に吹かれたかのように一瞬だけ大きく歪んだ。消えてしまうかと心配になったけれど、すぐに元に戻って炎さんは言った。
「是。そなたの精神は、肉体を去った魂の残滓。身体は神力の器。もはやただの蛇ではない」
「なんか良くわかんないけど、へえー!」
「そなたは、我が眷属である火霊により見出された神の器。これより我がそなたに火の神の力を授けよう。そなたは神となるのだ」
「わー、それってすごいことだよね! ありがとう、えっと……」
「我が名は、土延主日火紅炎彦大伝命」
「わー」
「そなたも神としての力を磨き、様々な天命を得れば自ずと立派な名を持つようになる。今はまだ簡素なものだが」
「名前。今は簡素ってことは僕、名前があるの?」
嬉しいな。蛇の子だった時には名前はなかったもん。しいていえば糞蛇?
「うむ。そなたは火だ」
「ほ!」
「そなたの器は蛇だが、本性は火そのものゆえ、火だ。これからは火を外から操ることができるし、己が火と同化することもできる。そうしてこの世界で暮らす者たちを、炎で庇護するのだ」
「えーそっかあ。わかった、頑張るよ!」
「心意気や善し。ならば大地へ戻り、天命を果たすのだ」
つちのべにょ、つちにょべ……偉い神様は、僕を元いた山へと帰してくれた。
どうやら季節は冬を迎えたみたいで、ひんやりとした冷気が林を覆っていた。
人が暮らす集落からは、火を焚いている煙がもくもくと空に立ち昇っている。まるで白い蛇みたいだなあ。僕は焼かれて真っ黒だから、色違いの仲間だなあ。……あれ、でもなんだか憎らしく見えるぞ。多分、人間が生み出したものだからだろうな。
そっかー。
ひとりで頷いて僕は集落の方へと進む。
それで、何をすれば良いんだっけ。あ、そうそう。「この世界で暮らす者たちを、炎で庇護する」んだよね。ということは、寒さで震える生き物たちを温めてあげれば良いのかな。それと、ご飯を作る人間たちを助けてあげるとか。うーん、人間か。
偉い神様とお話した時には、ふーんと納得したけれど、ちゃんと考えてみたら、ひどい話だ。
この世界で暮らす者たちってことは、庇護の対象に人間や、僕を焼いた悪ガキたちも入っているってこと。どうしてあいつらを助けてやらないといけないんだろう。
思い出すと全身がかあっと熱くなり、近くにあった枯れ草から焦げ臭い煙が昇り始めた。
「わわわっ!」
慌てて尻尾で枯れ草を叩いたけれど、小さな火は全然消えない。と思ったら。
「え、え、どうしよう。消えて、消えて!」
叫んだ途端、びっくりするほど簡単に煙が止まる。
僕は枯れ草に空いた黒い焦げ穴を見つめ、しばらく目をぱちくりさせる。少し考えて、なんとなくわかった。身体の中に炎が生まれている。僕という存在は、火そのものなんだ。
その後、色々と試してみたところ、松明の火に溶けて同化することができたし、火霊を操り辺り構わず燃やし続けることができることも知った。
そのうち僕の頭には、良い考えが浮かんだ。そうだ、あの悪ガキたちを燃やしてやろう。仕返しだ。ざまあみろ! そう思って悪ガキの匂いをたどり、にょろにょろと地を這い進む。ずんずん進む。
なんだかドキドキワクワクして、蛇の子だった頃、深い眠りにつく前に感じていた、真っ黒で重苦しくどろどろとした感情がまた湧いてくるのが分かった。
でもそのすぐ後、前進はぴたりと止まる。火に焼かれて命を落とした時のことを思い出していたら、ふと頭の中に、女の人の悲しそうな声が蘇ったからだ。
——人間が、ごめんなさい。どうか許して。
許せるはずがない。僕は殺されたんだ。それも、意味もなく。
けれど、あの人のことは好きだ。優しく僕を抱き締めてくれた。苦しかったねと心に寄り添ってくれた。温かくて柔らかくて、なんだか桜の花のような良い匂いがして。
あの人の願いを裏切りたくない。でも、こんなの理不尽だ。嫌いな人間を守るだなんて。でもさ、悪ガキは嫌な奴らだったけど、人間全員がそうってわけじゃないんだよね。
うーん、難しいぞ。考える力が完全に停止して、僕は三日くらい木の上で石になっていた。そんな時、再会してしまったんだ。誰って、もちろん、あの人に。