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奏が、鴇を連れて来たのを見て驚いた。
「無事で良かった…、無事なんだよな。」
真朱が不安な顔をして尋ねる。
「私が、初めてだって言ったら誰が先か揉めちゃって。」
「無事みたいよ。」
奏がヘラっと答えた。
本当は病気持ちで感染すると言っていた。
男達は嘘だと思いながらも、酔っていたので判断力が鈍っていた。
本当だったら怖いのでずっと順番を話し合っていたようだ。
男の一人が真朱に嬉しそうに近寄って来た。
「なんだ、嬢ちゃん戻って来てくれたのか。」
鴇が庇うように男の前に出た。
「お前の目は節穴かい、このあたしも一緒に来てるんだよ。」
「ババアは悪いがお帰りください。」
後ろの男達が笑う。
鴇が薙刀を上段に構えた。
男達は酔いが一気に覚めた。
呑んだ帰りにいい気分になって悪事を働こうとしたが、根っからの悪党ではないので武器などを持っていたわけでは無かった。
男達が怯んだ隙に鴇の薙刀の連続技が繰り出された。
勝負はあっという間に一方的に、呆気なく決着が付いた。
浅葱を突いた腕は本物だった。
真朱も手近にあったごみ箱を自衛の為に抱えていた。
「さ、今のうち出るんだ。」
腰が引けて戦意喪失している男たちの気が変わらないうちに3人で表通りまで逃げた。
「真朱、ありがとう。あんなに早く来てくれるなんて。まさか鴇さんが助けに来てくれるとは思わなかったけど…」
鴇が、奏の頭を撫で回した。
「ああ、そりゃあもう真朱は必死だったからね。すごい剣幕で助けを求めて来たからこっちもかなり興奮状態だったよ。」
「鴇婆さんのお陰だよ、奏が殴られたりせずに良かった。」
真朱もホッとして笑顔が溢れた。
途中すれ違った警備隊に男たちの居場所を伝えて帰った。
質屋では、青藍が気を揉んで待っていた。
「今戻ったよ。」
鴇が、店番をしている青藍に声を掛けた。
青藍が走って近寄って来た。
さっと3人の全身状態を見た。
「みんな無事か、心配させやがって。」
ちょっとだけ、目が赤い。
奏が、青藍に近付いて下から顔を覗き込んだ。
「心配してくれてありがとう、青藍クン。」
女性が近いのが、少し恥ずかしいのかちょっと頬染めて距離を取った。
青藍はいつも鴇といるので年頃の女性に免疫があまり無い。
そのまま、鴇の方に声をかけに近寄った。
「店、今日はもういいだろ。おにぎり作ってあるから2階で食おう。」
小さなちゃぶ台を4人で囲んで、青藍の握ったおにぎりを食べる。
真朱は、ようやく興奮が落ち着いた。
青藍のおにぎり効果だろうか……
落ち着いたら、奏のことが気になった。
普通に考えたら、あの状態で自分だけを逃したのがどうしても……解せない。
奏がわからない……わかる必要はないのかもしれないが、奏が今回の件で恩人になったことによって奏についてどうしても知りたい。
奏をわかりたい気がするのかもしれない。
学院の執務室の前に涼風が転移してきた。
先程至急で訪問する旨を式神で伝えていた。
浅葱が訪問の予定時間丁度に執務室の扉を開ける。
目の前にいた涼風が急の訪問を侘びた。
そのまま中に招き入れる。
浅葱が腰掛けるよう涼風に勧めた。
「急ぎの用とは?」
2人とも応接用の椅子に対面で腰掛けていた。
涼風が辺りを見回す。
「桔梗殿は?」
開口一番涼風が聞いてきた。
「ちょっと席を外してますが、桔梗に用事ですか?」
「いないのであれば、そのほうが好都合。」
涼風がソファにゆったり掛けた。
「つい今しがた警備隊の詰め所で急ぎの報告を受けたんだが、そこで真朱殿と浅葱殿の奥方が拐かされたと聞いたのだが…。」
「真朱が拐かしに?」
浅葱の表情が険しくなった。
真朱の今朝の装いを思い出し、鴇に解き放つなと伝えたことを思い出す。
涼風が浅葱の気持ちを鎮めるように、右手で”どうどう”という仕草をした。
「ああ大丈夫だ、無事に救出されたようだ。鴇と言うご婦人の活躍で。」
浅葱は以前に凄い突きを繰り出されたことを思い出し苦笑いした。
「ああ、そうですか。2人共無事で良かった。」
浅葱がホッと胸を撫で下ろした。
涼風が、ニヤニヤして聞いてきた。
「浅葱殿は、奥方がいらしたんですか。」
そういえば鴇が、そのようことを言っていたが警備隊にまで話すとなると冗談にしては行き過ぎだろう。
「いえ、おりませんが…。」
努めて冷静に答える。
涼風が脚を組んだ。
「でしょうな、藍白若菜殿との婚約が本決まりなのだろう?王宮内の者は皆承知している。」
「とうとう真朱殿も本当に囲っているようだし。以前、桔梗殿が口にされた時は本気では無いと思っていたが……」
涼風が少し苛立ちながら浅葱に質問した。
「今回の本妻と名乗っているご婦人も妾候補なのか?」
こちらはからかうように聞いてきた。
浅葱は、急用の内容に呆れた。
2人の無事がわかった以上広げる話題でも無い。
しかし、これについても努めて冷静に答えることにした。
「涼風殿、真朱と一緒に居た女性は佐藤奏ですよ。人間界から洞窟に迷い込んで来た。涼風殿が最初に見つけて学院まで運んできた女性です。」
「それと、藍白との婚約は以前からあちらが勝手に言ってるだけでそのような事実は無い。それに真朱は手元で保護しているだけで妾ではない。」
「では警備のものが調書を取り間違えたんでしょうな。」
浅葱は片腕を組み右手の指背を軽く唇に添え、少し俯き加減になった。
屋敷内に真朱の家を移したのを邪推しているものがいる。
涼風が藍白家との婚約の話をここまで信じているということは知らない間にかなり王宮内で情報操作されているようだ。
真朱の妾という仮初めの立場を作ること…これは、占い師の母を持ち稀有な能力を持つ真朱を守る為の紫苑と桔梗の策略の一つなのか……?
仮に真朱を守る為に、浅葱家嫡男の婚約者に据えるとなると藍白や枡花が何かしらの手を打って来るだろうが、妾ならあえて浅葱家を触発することはしないだろう。
妾の一人や二人は彼らにとって取るに足らない存在だ。
必要なのはこの家との繋がりだ。
しかしなぜ、権力の蚊帳の外にいる浅葱家なのだろうか……
「たまに王宮に顔を出して牽制をして置かないと、好き勝手されますよ。」
最後は浅葱のことを心配していたらしい一言をくれた。
「実は、ここからが本題です。」
涼風が組んだ脚を解いて、少し膝を乗り出した。
さっきのが火急の要件でないことに浅葱は安心した。
「ぬらりひょんからの情報ですが、結界が一部だが弱くなってきているようだ。」
浅葱は洞窟で真朱に投げかけられた問を頭の中で思い浮かべた。
『もし結界による境界が無くなって上位種がこちらに干渉して来たら我々はどうなるんだ。』
浅葱は頭を振った。
「綻びがわかったところは随時張り直しているけれど、弱くなっているというのは今までの綻ぶとは違うのかな?」
現状把握の為に涼風に質問する。
涼風がの表情が硬くなる。
「我々は妖怪側の故意の干渉を疑っている。」
浅葱がこの間洞窟で得た知識を涼風と共有するべく伝える。
「上位種は器の大きい者の霊力を好むようです。」
「実際にぼくは女郎蜘蛛に霊力を喰われた。彼女が恍惚の表情を浮かべてぼくの霊力を喰っていたよ。」
「後から研究所で調べてわかったんだが、女郎蜘蛛が霊力を喰うとき妖素が血管内に入ったみたいなんだ。」
「多分だけど、そうなると霊力の戻りも悪い。転移すら危うかった。」
「涼風殿、上位種の持つ妖力がこちらの結界に何らかの作用しているということなのか、それとも上位種自体が結界に干渉しているのか…どちらだと思いますか?」
涼風が難しい顔をして言った。
「そこは、まだこれから調べることになるだろう。」
「現状、結界の綻びが見えるのは、真朱殿と巫女が数名。一度現場を視てもらおうかと考えている。」
「しかし、上位種は幻昏界の人間側との境界付近に現れたことなど無かったのに……」
浅葱は、女郎蜘蛛が深緋の霊力の匂いに引き寄せられたと言っていたことを思い出し呟いた。