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転移した先は川の上流で足下は大きな岩がごろごろして、川が流れていた。
見上げると滝があった。
30メートルほどの高さから水が落ちて来る。
朝の清涼な空気と滝の水の飛沫で空気が冷たく感じて気持ちがいい。
とても女郎蜘蛛に会いに来たとは思えない。
「母さん、ここに来てどうするんだ?」
足下が不安定で、深緋のトレンチコートの袖を掴む。
「ここで、これを出す。」
人差し指に真空保管の霊紋を出す。
霊紋が展開されて空間が現れる。
反対の人差し指にも霊紋を展開して小箱を引っ張り出した。
「これ、和菓子じゃ…」
今ここで和菓子を出すってどういうことだ。
「手土産よ、手土産。」
「女郎蜘蛛に手土産?」
「さ、彗くんのいるとこ視て。」
「ここで?」
「ほら、早く。」
真朱が目に霊紋を展開して術を発動させた。
滝の奥に洞窟がある。
その奥に、霊力が3つある。
一つが浅葱のだ。
「滝の奥に、洞窟がある。そこに浅葱がいそうだ。」
「洞窟か、やっぱりね!」
「どういうことだ?」
「女郎蜘蛛が、男を水の中に引き込んだら生き血を啜る。洞窟にいるということはまだ生きてるということよ。彼は血よりいいもの持ってるもんね。とにかく頑張って抵抗したんだね。エライ、エライ。」
「抵抗するだろう、普通。」
「どうする、一気に洞窟の中に転移する?それとも歩く?」
「ここは、転移の方が…よくないかな。」
真朱は足場の悪さに苦手な転移を選んだ。
「じゃ、捕まって。目に術を掛けて置いてね。」
洞窟の中は、薄暗かった。
どうやら件の妖怪は留守のようだ。
浅葱が手首を縛られて吊るされていた。
「浅葱、無事か。」
近寄って確認する。
手首をよく視ると糸が絡んでいた。
「糸…蜘蛛の糸だ。」
「うん…ん。」
「浅葱、気付いたか。」
頬を打った。
こ気味の良い音が鳴る。
「君ね、ぼくが気がついてるって知ってたよね。確認してから頬を叩くかな。」
「すまん、あんまり如何わしい格好なのでつい…」
浅葱は頭上で手首を縛られて、着流しの襟が開けている。
後ろの男2人は、衣服の乱れもなく転がされている。
「あら〜。けっこう霊力吸われちゃったわね。」
深緋が真朱の後ろから顔を出した。
「う、占い師。」
浅葱の目が生き生きしてきた。
「当たり〜!」
深緋がワクワクしてる。
「そういえば、涼風さまは?」
一緒に行く雰囲気だったが…。
「それが、窮鼠が出たんだ。昨夜急に。」
「とりあえず涼風殿達がそちらに行って、ぼくが女郎蜘蛛の偵察に出て捕まってしまった。」
「最近、結界がよく歪んでそこから綻ぶみたいなんだ。」
「昨夜…。」
真朱は深緋を見た。
「昨夜…私かしらね。」
やっぱりか…昨夜来たよな、母さん。
またか、浅葱に真実を教えてやろうか。
「とりあえず、この縛られている状態が何とかならないかな…。女郎蜘蛛は今朝から何処かに行って姿を見せない。今のうちに。」
浅葱が真朱と深緋の2人を交互に見て助力を乞う。
「真朱、私はこの糸を切ることは出来るけど……」
深緋の真朱を見る目に寂寥感が漂う。
「妖力で編まれてるから、切るとなると割と霊力が必要なのよ。」
「窮鼠が出たってことは、また結界が破れてるでしょう。ここで霊力の放出をすると私は人間界にまた戻らないといけないわ。いい?」
「なんで…。来たばっかりで。」
真朱の瞳が揺れる。
止めてくれ、また結界に穴が開くだろう。
「真朱、もしかして寂しいの。」
深緋が嬉しそうな顔で聞いてくる。
「さ、寂しいと聞かれればそうかも?」
「しかし…浅葱もこのままでは困るだろう。蜘蛛の糸を切ってやって欲しい。」
「分かったわ、真朱に先に暗示を掛けるわよ。」
「どういことだ、また母さんを忘れるの?」
真朱の声が震える。
浅葱が横で息をヒュっと吸った。
「占い師が……母?」
真朱が身構える。
「2度忘れさせられるのは嫌だぞ。」
「誤解よ、ごめんね。今度の暗示は真朱の器をまたザルにする為だけよ。彗くんの体調が万全ならこんなことしなくて良かったんだけど、今は真朱の身を守る為必要なのよ。」
「必ず、彗くんの体調が万全になって結界が万全になったら暗示を解いて戻してあげるから。」
深緋が真朱に近づいて抱きしめる。
「器がザルなら霊力もそんなに溜まらない。匂いも隠せる。」
「紫苑の結界では、私がここで霊力を使うと匂いが穴の開いた結界から妖怪の世界に漏れてしまうのよ。」
「大丈夫。必ず戻るし、もう一人じゃないよ。ね、彗くん。」
深緋が浅葱を見つめる。
浅葱の声が上ずった。
「は、はい。ぼくがそばにいると約束しました。占い師さまは真朱の母君なのですか?」
「そうで〜す。」
真朱を離すと一本後ろに下がった。
真朱が確認の為に目に術を掛けた。
深緋が10指に霊紋を展開し練り上げ術を発動した。
浅葱の腕の蜘蛛の糸が切れて、真朱の器の輪郭がボヤケてきた。
すごい霊力量だ。
甘い匂いが当たり一面に広がる。
「すごい、甘い匂いが…。」
「もう時間切れだわ。真朱、また絶対会いに来るから忘れず待っててね。」
手の甲に、霊紋を刻まれた。
「これを真朱に。」
一気に転移して行った。