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現場は荒れた手付かずの土地だった。
まるで荒野だ。
「ここら一体、野狐をいちいち探して回るには大変な広さですね。どうしますか。」
今回、初参加の警備隊の者が陰陽師に作戦を聞きに行った。
「ああ、そのための囮がいる。」
「もうすぐ到着するだろう。」
ガタガタと通常ではあり得ない大きな音をさせて人力車が現場に到着した。
揺れのひどさに人力車の車輪が緩んでいた。
震える手で身体を支えて降りる。
「おええ。今からが僕の出番です。」
か細い声が出た。
人力車の座椅子から弓と弓矢を取り出し、肩に掛ける。
数珠を握りしめながら、茂みが深くなっている真ん中付近までよたよた歩く。
皆が気の毒そうな目で見る。
「いつも颯爽と歩いて行って、堂々と囮になられるのに。」
前回も参加していた警備隊のメンバーの1人がついポロッと口から出る。
「あの子って、ただ付いてきただけなの?浅葱さまの身代わりとかじゃなくて?」
ファンクラブ1号が真朱の素っ気無さを見て、安堵と好奇心を剥き出しにした。
「恋人同士ならもうちょっと心配するわよね。」
ファンクラブ2号も同意した。
真朱はすることが無くて暇だったので、霊術を発動して観察していた。
「この中で一番霊力の器の大きいのは、あの陰陽師さまか。その辺の銭湯の湯船位の器か。」
周りを見ても、洗面器や手桶程度の器しかない。
浅葱ファンクラブに至っては湯呑み位の器の人もいた。
湯呑み位なら一般人より僅かに増しという程度。わざわざここに必要な人員なのか?
真朱は思った。
霊力の器も人間離れしていて霊力も一杯にできる、一見一番戦力になりそうな男が、付喪神の守りでガチガチに固めて囮って。
無駄じゃないのか。
囮にしても付喪神要らんだろう。
そうすると、付喪神は霊力を上げるため、というより少々霊力を使っても直ぐ補えるように準備しているように感じる。
しかし、先ほども真朱に人力車を引かせたので、霊力を全く消費していない。
「一滴たりとも使いたくないすごいケチか、霊力が容量一杯じゃないと我慢できない完璧主義とか…。謎だ。」
茂みの真ん中ほどで浅葱が、霊力を少しずつ垂れ流した。
視ていた真朱の目にそれが映った。
草原を駆け抜ける爽やかな風のような霊力だ。
付喪神に好かれるはずだ。
「くそ。これは、羨ましいな。」
正直な感想が口から溢れた。
警備隊が陰陽師を守るように陣を組んだ。そろそろ始まるようだ。
依頼主が一心不乱に全速力でこちら側に走って戻って来る。
「え、霊術使わず走ってる。」
真朱は今日一驚いた。
あの男の霊力は飾りなのか?
脚に霊術を掛ける程度なら6歳の子でも教われば、自然と出来る。
「あんな必死に走るなら、使えよ。霊術。」
真朱は悪態を付いた。
浅葱が真朱のそばに辿り着いたとほぼ同時ぐらいに、野狐が10体ほど姿を現した。
囮とは、この男の霊力で誘い出すということか。
それからは早かった。
警備隊が、刀に霊力を乗せて強化したり、弓に霊術を掛けて一斉に向かって来た野狐を一処に追い込んだ。
それを確認した陰陽師が手に霊力を溜めて霊術を発動した。
全ての野狐を霊力で編んだ鎖のようなもので囲んで、100メートルほど後ろにまとめて転移させた。
よく視ると、何箇所か結界にほころびがあるのに気付いた。
「これじゃ、一時凌ぎだ。いくら遠くへ転移させたとしても100メートルほど。あの綻びからまたこちら側へ来るぞ。」
真朱は思わず口にした。
「ツクモ鑑定士。君、結界のほころびも視えるの?」
依頼主が感心したように言った。
「君、どれだけ特別なの。」
そう言うやいなや真朱の横を、一瞬で飛び出した。
先ほどの囮をした場所に着くと、柏手を打った。
直衣の袂がそれに合わせてはためく。
凄まじい霊力の放出と共に、珠数がその力に耐えきれず珠が四方八方に飛び散った。
直径10メートル程の霊紋が5つ空に浮かぶ。一気に展開し術を練り上げると放った。
結界が綻びごと広い範囲で張り直された。
僅か10秒程の出来事だった。
霊力の流れと繰り出された霊紋の美しさ、術の練り上げ速度を視て見惚れた。
早くて正確だ。
寸分の隙も無いような乱れのない霊紋とその展開操作に術の練り上げ速度、霊力を一気に放出することが出来る能力。
素質もあるが、かなりの鍛錬の結果だろう。
多少なりとも視える巫女は分かったようだ。
彼が大きな結界を張ったのが。
「結界師だったのか。」
真朱は感嘆の吐息とともに呟いた。
妖怪は討伐せず、捕縛して結界の外に誘導しその隙に結界を張るということか。
それであの男は、霊力を温存していたのか。
妖怪を結界の外に誘導するだけで討伐はしない。
国が出来て千年以上経つがこの方法を続けていた。
巫女が急いで浅葱のそばに行き霊力の補充をする為に手を握った。
その為の巫女か。
栗毛色の髪は腰まで伸びて波打っている。
セピア色の瞳は珍しく目を引く。
スレンダーな体型で身体の線が出るロングのワンピースを着ていた。
真朱は巫女を視た。
彼女はそんなに器が大きくないので大したことはできないだろうが、直衣のツクモが彼の霊力を補うだろうから彼は死ぬことはないと判断した。
真朱は、結界の張られた一帯を見て確認した。
珠数が無残に飛び散っていた。
依頼主は、ずっとこうやって霊具を使用してきたんだな。
だからツクモに快、不快があると聞いた時、衝撃を受けたんだ。
嗚咽が上がる。
陰陽師がそんな真朱を見て心配気に声をかけた。
「お嬢さん浅葱の恋人だろう、心配なら傍に行ってきたらどうか。」
真朱は自然と脚が向いた。
大して役に立ってない巫女を押しのけて依頼主に抱きついた。
「あなただけでも無事で良かった。」
直衣を見つめた。
ゴソゴソと袂に手を突っ込んで触って確認した。
縫い付けてあった鈴と櫛が壊れて付喪神が消滅していた。
鈴彦姫が自分に向けて可愛く扇を振っている様を想像した。
真朱は涙が止まらない。
櫛に憑いていたコも消滅した。
「ちょっとあなた、浅葱さまはあなたとイチャイチャしてる場合じゃないのよ。今はまだ意識も覚醒なさってないのよ。」
巫女が真朱を押しのけた。
真朱は魂が抜けたようになった。
「もう帰る。」
真朱の声に、帰り支度をしていた陰陽師が気づき浅葱の容態を確認した。
浅葱が結界を張った後に意識を失うのは毎度の流れなのでそんなに心配してないようだ。
「そろそろ、帰っていい頃かもな。浅葱を人力車に移すから、引いて帰ってやってくれ。」
当然のように真朱に声を掛けてきた。
巫女が恨めしそうに見る。
大して役に立ってないが、視えないものには手を握って懸命に回復させている様に見える。
「いえ、私のやることは無いようですので。お先に御暇します。」
真朱は脚に霊術を掛け発動させた。
ペコリと頭を一つ下げると疾風のごとく去った。
「おいおい。今からが、恋人の出番じゃないのか。労ったり、いろいろあるだろう。」
陰陽師が何か言っていたが、真朱の耳に届くことはなかった。