13
浅葱が勝手に椅子を引いて座った。
自分の定位置だと思っているようだ。
「これ、依頼料ね。とりあえず座って。」
「お茶も、もらおうかな。」
浅葱が封筒をテーブルに置いて、涼風を見送って戻って来た真朱に着席を促す。
「…お前の家じゃないだろう。」
渋々自分の椅子に座る。
「今日は、こっちの茶筒から淹れてくれるのかな。」
浅葱の手に、特上の茶筒が握られていた。
「ちっ」
真朱が遠慮なく舌打ちしながら、茶を淹れる準備をする。
「さあって、本題なんだけど。うちの霊術学院に来ない?ぼくの補佐として。」
浅葱がテーブルに左肘を付いて顎を手の甲を置いた。
「え。」
お茶を注ぐ手が止まる。
浅葱が、テーブルの上に紙を置いた。
「給料とか待遇とか書いて来たよ。目を通してサインして。」
「ほら、手が止まってる。苦くならない?」
「ああ。」
書類を目で追いながら、お茶を淹れる。
「お前、この学院で教師してたのか。」
最後の一滴まできちんと出るように急須をしっかり傾ける。
「ご存じなかったんですか。」
桔梗が自分の目の前に置かれたお茶に先に口付けた。
「ほら、サインしてくれたら帰るよ。」
着流しの袂から万年筆を取り出した。
「どっかの悪徳業者みたいだな。お前の補佐でいいんだな、サインするから帰れよ。」
「よろしいので?先ほど涼風さまから御屋敷に来ないかと誘われていたようですが。」
「そうだった。忘れていた。」
浅葱が余計なこと言うな、という目線を桔梗に送る。
「涼風殿の仕事は、住み込みだよ。いいの、蔵。」
「それは困る。」
「ほら。」
万年筆を手渡して来た。
真朱の目が万年筆に釘付けになる。
「ペンちゃん…。久しぶりだね。いいコにしてた?」
ニマニマしながら、万年筆を敬々しく受け取り頬ずりする。
「サ、サインを。」浅葱の目が明後日の方を向く。
「…ここでいいのか。」
真朱が確認すると、浅葱がサインする場所を指で示した。
そこにそのまま言われた通りにサインをする。
浅葱が、それを横目に見ながらお茶を飲んだ。
桔梗が、「真朱さま、裏面読み…」と言ったところで、浅葱が桔梗の口をすごい速さで結界で塞いだ。
「記入したね、お茶美味しかったよ。じゃ、明日迎えを寄越すから。」
万年筆を取り上げ契約書を引ったくって桔梗と転移して帰った。
「明日って、急だな。」
真朱は、浅葱の置いて言った封筒の中を覗いて驚愕した。
前金で10万円入っている。
「こんな大金。蔵が無かったらこれを持って逃げたい。あいつ金銭感覚大丈夫なのか…。」
朝は今日から少し早めに起きて、いつものルーティンを終わらせた。
昨日の契約書には、浅葱の専属補佐をする事と勤務時間が書いてあった。
後は結界の緩みの調査の同行か。
これは前にも打診されていたからな。
「服が、3着しか無いんだよな。」
とりあえず、一日目は白いブラウスとグレーのパンツにブーツ。
少し大きめのカバンを持った。
「こちらの学校は中等部の、最後の1年しか行けなかったから楽しみだな。」
顔には出さなかったが本当は、この仕事はすごく嬉しかった。
準備万端にして待っていると、呼び鈴がなった。
「おはようございます、真朱さま。準備はいいですか。」
桔梗が一度呼び鈴を鳴らしてから、居間に転移してきた。
「今日は走って行きますからね、学院に行って目印を付けられたら、明日からはそこに飛んでください。では、強化してください。」
「良かった、パンツにしておいて。」
「よろしくお願いします。桔梗さま。」
ニコリと笑って真朱が脚に術を掛ける。
「あら、笑うと普通にかわいいですね。」
桔梗が自分の脚を強化した。
霊術学院は、堂々たる佇まいだった。
門は見上げると首が痛くなるほど高くて大きい。
創立が古いだけあって、一見すると宮殿のようにも見える。
門から昇降口まで、庭が整えられていて噴水やガゼボなんかもある。
エントランスホールは大理石で壁や天井が造られている。
昇降口から上がると床には深い緑のカーペットが敷いてある。
浅葱の執務室は3階だった。
真朱は初日から不安になった。
広すぎる。
桔梗が執務室の扉をノックした。
「どうぞ。」
中から浅葱の声がした。
桔梗が扉を開けて中に入り、真朱もそれに続いて入る。
「おはようございます、彗さま。真朱さまを連れて参りました。」
学院までは、脚を強化して走って30分程度だった。
これなら無理せず通える。
桔梗と一緒ならだが…。
「ああ、ありがとう桔梗。」
浅葱は執務机の上に書類を広げて見ていたが、手を止めて桔梗にお礼を言った。
今日は着流しじゃなかった。
白のシャツに薄いグレーのパンツと同色のジャケットだ。
執務室の中は広かった。
大きめの執務用デスクと重厚感のある椅子。
応接セットとちょっとした流し台があった。
「あら、遅かったですわね。」
この間、涼風と家に来た巫女が一人掛け用のソファに座っていた。
今日も、身体の線が出るピタッとした濃紺のロングワンピースを着ている。
「今日は、転移せず一緒に走りましたので。」
桔梗が巫女に答える。
この巫女もここにいるということは、浅葱の補佐なのか…。
とりあえず、最初が肝心。
仕事を教えて貰う立場だ。
「おはようございます。頑張りますので皆様、どうぞよろしくお願いします。」
頭を下げた。
浅葱から受け取った10万円で、実は長年欲しかった布団を新調した。
3週間もしたら届く。
もうクビになるわけには行かない。
真朱の特殊な態度に浅葱の手に持っていた書類が滑り落ちた。
桔梗が机に散らかった書類を集めるのを手伝う。
巫女が真朱の挨拶を受けて微笑む。
「ええ。良い心がけですわね。さあ、こちらにお掛けになって。」
真朱を客用の二人掛け用のソファに勧めた。
桔梗も笑顔で巫女に同意する。
「そうなんです。私にも挨拶してくださって、実はかわいい方だったんですよ。」
真朱は、見た目だけはかわいいのだ。
巫女がチラっと浅葱の反応を見る。
「私は、良い心がけと言ったのです。かわいいとは申しておりませんわ。」
「ところであの後、涼風さまとは進展ありまして?」
進展_、仕事の斡旋のことか?
「それは断りました。」
蔵のことがある。
陰陽師の仕事は断った。
「あの時、2人きりになりたがっておりましたでしょう。それなのにお付き合いをお断りしたということをですの?」
真朱が涼風と2人きりになりたがっていたというワードが浅葱の耳に止まる。
浅葱は仕事をしてる顔をして聞き耳を立てた。
「そうですね、屋敷に住み込みは私には荷が重くて。」
浅葱と乗り込んだが、広すぎて迷子になりそうだった
「お屋敷に住み込みって、あの後にもうそんな話が出たんですの?!」
「それはお断りして当然ですわ。」
浅葱は巫女が一人で勘違いをしていただけと知って、巫女に仕事をしてもらうべく声を掛けた。
「巫女殿、頼んでいた仕事をいいかな。」
「わかりましたわ、浅葱さま。」
「私のことは遠慮なく霞とお呼びくださいと何度も申しておりますのに。」
霞が上目遣いで浅葱を見た。
巫女が対面で真朱の手を握って凝視してきた。
「フフ…わかりましたわ。」




