鶴の恩返しは労働基準法違反!?
ある寒い雪の日、お爺さんは罠に掛かった一羽の鶴を助け、逃がしてやりました。
その日の夜、お爺さんの家の戸をたたく音がしました。「誰でしょう」と、お婆さんが戸を開けると、そこに美しい色白の娘が立っていました。
「雪で道に迷ってしまいました。どうか一晩泊めてもらえないでしょうか」
「今夜は特に冷えます。どうぞ、お入りなさい」
娘はその言葉に喜び、老夫婦の家に泊めてもらうことになりました。そしてその日から、娘はその家で暮らすようになりました。
ある日、娘はこう言いました。「私に機を織らせてください。機を織っている間は、決して部屋を覗かないでください」
「わかりましたよ。決して覗きませんよ。素晴らしい布を織ってください」
トントンカラリ、トンカラリ、トントンカラリ、トンカラリ…
娘は部屋に閉じ籠ると、一日中 機を織り、夜遅くなっても出て来ません。次の日も次の日も機を織り続けました。
三日目の夜、音が止むと一巻きの布を持って娘は出てきました。それは美しい、今までに見たことのない織物でした。
「これは鶴の織物と言うものです。これを町に持って行って売ってください。きっとたくさんお金がもらえます」
次の日、お爺さんは町へ出かけ「鶴の織物はいらんかね。鶴の織物はいらんかね」と歩き回りました。するとその織物は高く売れました。
それからも娘は部屋に閉じ籠り、一日中 機を織り続けました。
トントンカラリ、トンカラリ、トントンカラリ、トンカラリ…
三カ月が過ぎた頃、厚生労働省労働基準監督署の男がやってきました。この辺りの者とは身なりが全く違い、髪の毛を七三分けにし、メガネをかけ、英国紳士のようにスリーピーススーツを着こなしていました。
労働基準監督署の男は、お爺さんたちに言いました。「御社の業務体制に問題があります」
「ハァ?」とお爺さん、お婆さん、娘は顔を見合わせます。何の事を言っているのか、さっぱり分かりません。
すると、男は娘の方を指し示してこう言いました。「こちらの従業員の方に、過度な時間外労働をさせていますね」
どうやら娘が夜遅くまで機を織っている事が、問題になっているようです。何処から洩れたのかは分かりませんが、世の中には嫉妬深い意地の悪い人はいるものです。
さらに男は、お爺さんとお婆さんに詰め寄ります。
「ご存知だと思いますが、働き方改革により時間外労働(残業)には、超えてはならない上限が設けられています。御社は従業員に上限を優に超える労働をかしております。これは労働基準法違反に当たります」
娘は自分のせいでお爺さんとお婆さんが責められている事を辛く感じました。
男はとんだ誤解をしています。機を織っているのは、仕事ではありません。だから労働基準法違反にはならないはずです。仕事だと思われたのは、機で織った布を売っているからでしょう。巷で話題の人気商品だからでしょう。爆発的に売れているからでしょう。お金を得ている以上、仕事ではないと強く言い切れません。それなら、機を織っている理由を話せば、分かってもらえるでしょうか。だけど、今は言いたくありません。こんな形で言うのは、不本意でしかありません。
娘が困り果てて黙っていると、男はお爺さんとお婆さんに、娘の残業代を支払っているかと追及してきました。娘は残業代どころか給料すら貰っていません。貰う必要なんてないのです。これは仕事ではないのですから。
残業代どころか給料すら未払いだと発覚すると、お爺さんたちの立場がさらに悪くなりました。
「給与まで未払いなんて、前代未聞です。社長、あなたは従業員を何だと思っているんですか。ブラック企業にも程がある。これは事業停止処分にするほかありません」
娘はこれ以上黙っていると、お爺さんとお婆さんに迷惑をかけてしまうと思い、やむを得ず口を開きました。
「私が機を織っているのは、恩返しなのです」
突如、そんな事を言われても意味が分かりません。三人は、呆気にとられ顔を見合わせるばかりです。
娘は、全て話すしかないと思いました。
「お爺さん、お婆さん、私は罠に掛かっているところを助けてもらった鶴なのです。今まで黙っていてすみません」
娘はそう言って手を広げると、その場でクルッと回りました。すると娘は、鶴の姿に変わりました。お爺さん、お婆さん、労働基準監督署の男は目を見開き驚きました。
「人間の社会のルールでは、過度な時間外労働は許されてないのかもしれませんが、私は鶴です。鶴にはそのようなルールは無関係でございます」
鶴は男を説得しようと言いました。しかし…
男はポリポリと頭を掻いてこう呟いたのです。
「これはこれで問題です」
「問題!?」
「私の管轄外ですが、恩返しとはいえ、鶴に機を織らせていたとなると、動物愛護管理法違反になります。すぐに環境省に連絡して来てもらいましょう」
鶴は目を見開き、くちばしを大きく開け、唖然としました。そしていい加減嫌気がさし、こう言いました。
「あ、もういいです。恩返しやめます。お爺さん、お婆さん、短い間でしたけど、お世話になりました。では、さようなら」
鶴は羽で器用に戸を開けると、空に舞い上がり、山の方に飛んで行ってしまいました。
飛び去りながら、鶴は思いました。人間の社会は、恩返しも出来なくなってしまった。
終