一週間後、彼はバラバラになったのだった。
宿題チェキと言うものがこの世には存在する。
というかそもそもの話、チェキを知っている人がどれだけいるのだろうか。
あぁいやいや、ここで言うチェキとはチェキそのものではなくて、つまりはメイドさんと撮るチェキのことだ。
メイド喫茶では自分好みのメイドちゃんとチェキが撮ることが出来る。
昔からある鉄板メニューで、一枚だいたい五百円から千円くらい。撮ったあとはメイドちゃんがその場でメッセージを書いてくれるサービス付きだ。
宿題チェキはその進化バージョンと言えた。
普通のチェキとは違い、文字通りメイドちゃんが宿題のごとく家に持ち帰ることを示す。
そしてとびきり豪華にデコレーションをしてくれるのだ。どれくらい豪華かと言うとチェキの余白という余白が埋まってしまうくらいには。
ある子は多種多様な色とペンでカラフルにしたり、またある子はマスキングテープでラッピングしたり。柔らかいレースのリボンでチェキの縁をフリフリにさせる器用な子もいた。
もちろんその分値段も跳ね上がってしまうのだが、その子の力作を貰えるのだから値段なんて些細なことだろう。
宿題チェキはその子の個性が光る作品と言えるのだった。
歌舞伎町のメイドカフェで働く自分は、今まさにその宿題チェキにお絵描きをしていた。
驚くことなかれ、その数なんと五十枚。しかも注文してくれた人は全て同一人物。まぁチェキの枚数自体はそこまで珍しくないのだけれども、宿題チェキだとすれば色々と話が変わってくる。
書いても書いても終わらないのだ。一枚一枚丹精込めて書くものだから時間が死ぬほどかかる。この時間に給料が出ないことがひどく恨めしかった。
「お前、あと残り何枚書くの?」
頭上からどこか呆れたような声が聞こえてきた。
見上げると首にタオルを巻いた半裸の男。ルームメイトのアツヤだった。髪はしっとりと濡れていて、かすかに湯気が立ち昇っている。全く、風呂を出たらすぐに服を着ろとあれほど言ったのに。
同じく歌舞伎町でホストをやっている彼とはこの街に来る前からの仲だった。
彼のことを知る知人はほとんどいない。恋人はおろか男と同居しているなんて、万が一客に知られたら一大事だ。夢と希望と愛を与えるのがメイドさんなのだから、その辺は慎重にならなばならない。
とは言えこのアツヤとは仕事仲間という関係以外に言いようがないのだけれども。
「分かんない、数えるのも飽きちゃった」
《ずっーと一緒だよ!》とツヤツヤとしたピンク色の文字を書く。
その言葉の真偽は考えてはいけない。アツヤはへぇと相槌を打ちながら完成したチェキを一枚手に取った。「ちょっと、まだ乾いてないから、困るんだけど」と慌て振り返る。
どうしよう、今日に限って彼が興味を持つなんて。こういう日のために日頃から家でチェキを書いていたのに。
「これ何?」
くるりとチェキをこちらに向けて、アツヤが尋ねてきた。
ひどく不思議そうな顔をしている。特に疑っている様子はない。彼は昔から表情を隠すのが下手くそだった。信用していいだろうと内心ホッとして、そのチェキを見る。
《砂肝〜掃除機〜公衆トイレ!》といった文字がやけに毒々しい色で書かれてあった。
しまった、流石に変だったかな。だって他人に見られることを想定してなかったから。きっと誰が見てもその内容を疑問に思うだろう。でも他に思いつかなかったし。「お客さんと、なんか、意味の分からないことで盛り上がっちゃって」とそれらしい事を言う。
彼も自分の客と似たような思い出があったのか、あーと言ってそれ以上言及してくることはなかった。
それから会話はなくなった。
ガシガシと髪を拭く音と自分のペンを引く音だけが辺りに響き渡る。なんだか居心地が悪い。視界の隅では彼がどことなく何か言いた気な様子だった。
そろそろ頃合いだと思っていたけれども、いよいよだろうか。「俺さぁ、抜けるわ」きた、ビンゴだ。
「へぇ、ホストから上がってどうするの」
まるで興味はありませんといった雰囲気で淡々と聞き返す。
「お前とは縁が長いからなぁ、誰にも言うなよ」と言って、男が笑ったのが分かった。予想通りの展開に少しだけ鼓動が速くなったが、そんな様子はおくびにも出さない。彼と違って表情を隠すのは昔からの得意技だった。
キュキュキュと文字を書き続ける。
《レッサーパンダとアウシュビッツ強制送還》と。隣の男は自分のことばかりで、もうこちらを見ていなかった。
この男は昔から優秀だった。
けれどもこういった隙が多々あるやつだった。自分は強者だという自信からくるものだ。きっとペアを組まされている相手がどういった人間かだなんて微塵も考えたことがないのだろう。
「そうね、折角だし黙っててあげる」
視線を手元から動かさないままに声だけで応える。
いつも笑わない自分がうっすらと笑ったのが珍しかったのか、男が恥ずかしそうに俯いたのが分かった。
手付かずのチェキを手に取り、枚数を数えてみる。
残り僅かだった。よしよし。この分だと問題なく情報を伝えることが出来るだろう。
「実はこっちの男に惚れちまって」
視界の隅で男が話を続けている。
「ホストなのに?」
「茶化すなよ」
くすくすと笑う声を聞きながら手を動かす。
なんてひどい茶番なんだ。裏切っているというのに呑気なやつだと思った。
「今のボスより惚れちまったんだ。もちろん俺らからしたら……因縁の敵だってことは、分かってる。それでも、俺は……向こう側に着く」
見上げるとどこか寂しそうな雰囲気をした男がいた。
ハァと内心ため息をつく。何を感傷的になっているんだこの馬鹿は。
「お前には本当に悪いと思っている。核兵器禁止条例の写しと地下の見取り図を漏らしたのは俺だ」
ピタリと筆が止まった。
そうか、やはりこいつだったか。
どうりで最近になって行動がしづらくなったと思った。
敵に気付かれないようにこの街に侵入したはずが、ある日を境にこちらの行動が全て筒抜けになったのだ。どこからか情報が漏れていることは確実で、仲間を疑いたくはなかったのだけれども。
「組織の生物兵器も横領して……」聞いてもいないのによくもまぁペラペラ喋りやがる。組織から抜けることですら大罪だと言うのに。それほどまでに自分は信用を寄せられているのか、それとも舐められているのか、はたまた裏切った自覚がないのか。
とはいえこの男が暗殺に関して目を見張るものがあることは確かだった。
自分がこいつの裏切りを他の仲間に密告しようとしたら、口封じとして簡単に殺されてしまうだろう。
再び手を動かしてキュッキュッと油性ペンを滑らせる。
チェキには《一緒に高尾山を登りたいにゃ》と黄土色の文字があった。全く可愛らしさのないその色は普通のメイドさんであれば絶対に使わない。それでもこの色でなければならない理由がある。文字と色の組み合わせが大事なのだ。
この大量のチェキとアホみたいな文字の羅列が上司への暗号だと知ったら、彼はいったいどんな顔をするだろうか。
反応いただけると風呂場でバタフライするくらい喜びます。