ディーデリヒの愛
「ディーデリヒ、たまには従妹御を社交界に連れてこいよ」
手持ちのカードから顔を上げ、悪友は唇を尖らせながら賭け金を釣り上げた。何人かがゲームを降りる。
他の友人も、彼の言葉に同意するようにディーデリヒを見ている。ディーデリヒは苛立ちを押し殺して笑った。
「断る。お前みたいな悪い虫がついたら困るからな」
「おお、怖い怖い。過保護な従兄がいてクラウディア嬢も大変だな」
答えないまま手札を開く。ディーデリヒが揃えた最強の役を見て、友人達は押し黙った。意趣返しに成功して少し溜飲は下がったが、燻る嫉妬と独占欲はまだ消えない。
クラウディアが十四歳になって正式に社交界デビューを果たして以降、この手の誘いは一気に増えた。病弱であることを理由に社交界への露出は最小限にしているが、それがむしろ狼達の期待と関心を高めてしまっているらしい。
あの可愛い従妹に、彼らが興味を持つのは仕方のないことだ。だが、それを従兄として……否、男として許せるかは別の問題だった。
無論、クラウディア自身が望むのであれば、涙ながらに社交界へと連れ出すことも考えていた。
だが、クラウディアは社交界で出会える貴公子達に興味を持っていない様子だったし、彼女の体調のことを考えると父も難色を示しがちだ。おかげでディーデリヒは堂々と、クラウディアを屋敷に留めておくことができていた。
穢れを知らない白い髪と、可憐で慎ましやかな勿忘草の瞳。触れたら折れてしまいそうなほどに繊細な、誰より愛らしいディーデリヒのお姫様。それがクラウディアだ。
無垢な少女から、清廉な乙女へと。美しく花開いたその娘を、いつからかディーデリヒはただの妹として見ることができなくなっていた。
社交界などという、狼達の狩猟場に彼女を放り込むことはできない。
父か使用人が相手ならまだ耐えられる。しかしそれ以外の男が彼女の視界に映り込み、あまつさえ微笑みかけられるようなことがあろうものなら一晩は狂乱に陥る自信があった。幸いにして、そのような場面に居合わせたことはまだないが。
「お前もいい加減、従妹離れをしたらどうだ? かのエーデルロート家の嫡男に、良家のご令嬢達から縁談が届いていないとは言わせないぞ。従妹御にばかりかまけていないで、彼女達の相手をするべきだろう?」
「余計なお世話だ」
悔しまぎれに吐き捨てられた言葉を一蹴して席を立つ。友人とカードに興じるのは楽しいが、彼らの目当てがクラウディアだというなら話は別だ。
彼らの手元にあるブランデーが、いつ賭けるものをクラウディアに変えさせようとしてくるかわからない。そうなる前にさっさと帰るのが賢明だろう。
確かに、縁談の話はいくつかディーデリヒのもとに舞い込んでくる。
しかし父であるアドルフは結婚の強制をしてこないので、ディーデリヒものらりくらりと断ることにしていた。心をクラウディアに寄せているのに、他の令嬢の手を取るのはクラウディアにも令嬢達にも失礼だと思ったからだ。
身体が弱く、内向的なクラウディア。彼女の味方は家族だけだ。だからこそ、何があってもクラウディアを支えていきたかった。
エーデルロート家はそれなりに分家を抱える家柄だが、ディーデリヒにとって家族は、クラウディアとアドルフ、そして自分だけだった。
家督を継ぐ前に何かあったのか、父は分家の人間のことを快く思っていない。父が家督を継いでからも、親戚は父を敬うような振る舞いをしながらも遠回しに下に見ていた。
おおかた、婿養子ということで立場が弱いはずのアドルフが本家の当主になったのが気に食わないのだろう。しかしそのアドルフを引きずり落とすだけの手腕が彼らにはない。結局のところ、八つ当たりがしたいだけなのだ。
まだ子供だったディーデリヒにすらわかるのだから、アドルフも彼らの悪意はとっくに見抜いているだろう。そんな親戚をディーデリヒが好きになれる道理はない。クラウディアも、分家の人間のことは苦手に思っているようだった。
幸い、どこかの大きな夜会に招かれた時にばったり会うか、あるいは一族の大きな集まりでもなければ、めったに親類と顔を合わせることもない。数年に一度あるかないかのその機会を耐え抜けば、それ以上会うこともなかった。
そんな分家筋の令嬢からの縁談も、ディーデリヒのもとには届いている。又従姉妹に恨みはないが、わざわざ親族と縁を深める必要性を感じない。分家からの縁談はよりきっぱりと断るようにしていた。
仮にどうしても血族内から妻を選ばなければならないのなら、ディーデリヒが求婚したいのは当然クラウディアだ。クラウディア以外の女性では意味がなかった。
病気がちなクラウディアに、家から出ていってもらうなど考えられない。政略で迎えた妻が、嫁げないクラウディアを邪険に扱わない保証はなかった。クラウディアへの恋を諦め、他の誰かだけを愛せる自信もなかった。
けれどクラウディアがディーデリヒの花嫁になってくれるのなら、それらの問題をすべて解決できる。
従兄妹である自分達は、結婚しても問題なく祝福されるだろう。今のクラウディアの想いが、ディーデリヒの花嫁の座をねだった幼い日と変わっていないことをディーデリヒは切に願っていた。
もちろん、一番に願うのはクラウディアの幸せだ。けれど、だからこそ。彼女を幸せへと導くのは、自分の役目でありたかった。
*
「ディー兄様は、カードもお強いのね」
「今日は運がよかっただけだよ」
クラウディアの純真な眼差しに笑みを返す。夕食の席で一日のことを話すのは、幼い頃からの習慣だ。
悪友達がクラウディアに興味を持っていることは伏せておいた。昔から、彼女はそのたぐいの話に関心を抱く様子を見せない。聞きたがりもしないので、わざわざ言うまでもないことだとディーデリヒは判断していた。
「お兄様、わたくしとも遊んでくださらない?」
「もちろんいいよ。けれど、夜ふかしはしてはいけないからね?」
クラウディアは花が咲いたように笑った。「手加減はしないでくださいな!」もちろん、期待に満ちたクラウディアを裏切るような真似をする気はない。
「父上もいかがです?」
「そうだな、付き合おう。ラーディ、ディーをやり込めるいい機会だぞ。二人で負かしてやろうな」
「ふふっ。二人でならきっとお兄様にも勝てますわね、お父様!」
「おっと、二対一とは。いいよ、僕も全力で相手をしよう」
数年前、クラウディアはアドルフとディーデリヒを避けるような振る舞いを見せたことがあった。
しかしそれは一過性のもので、今ではまた元の仲のいい家族に戻っている。反抗期だったのだろう。年頃の娘にはよくあることだと、家庭教師も同年代の妹がいる友人も言っていた。
クラウディアが屋敷の探索ごっこを始めたのも、確かその頃からだった。どうやら叔母について調べていたらしい。クラウディアはディーデリヒにも深く手伝わせたくないようだったので、これも妹の自立を促すためだと血涙を流して見守ることにした。ディーデリヒ自身、叔母のことは名前すら知らない。
亡き母について知ろうと思うのは普通の感情だ。ディーデリヒにも覚えはある。ディーデリヒの母も、幼い時に亡くなっていた。父はもちろん母を知っていそうな使用人や年配の親類に尋ねたり、日記を探したりしてみたものだ。
少女時代に小動物を虐待していただの、政略結婚だった父との仲は冷え切っていただの、幼いディーデリヒをしつけと称して虐待しかけるのでいつも父がディーデリヒを外に連れ出してくれていただのと、あまりいい思い出を聞けなかったが。
ディーデリヒはすぐに調べるのを辞め、そんな女と半分でも血が繋がっていることを忘れるように努めた。反面教師としては、ある種心に留めていたとも言えなくないが。
クラウディアが叔母を知りたがっていることについて、アドルフは彼女の手助けこそしなかったが黙認はしているようだった。
何故クラウディアに叔母のことを教えてやらないのかとなんの気なしに訊いた時、ほんの一瞬だけ、悲しげな……否、諦めたような目をしていたのが印象に残っている。以降ディーデリヒは、なんとなく父の前で叔母の話はしないようになった。
半年ほど前に、クラウディアは叔母の元使用人を屋敷に呼び寄せた。そのおかげで、クラウディアも自分の中に何かしらの答えを見つけたらしい。アドルフやディーデリヒの手もろくに借りずに細々と調査をする姿は、その日以降見られなくなった。
夕食の後、カードを手にして団欒のひとときを過ごす。楽しげにはしゃぐクラウディアに見惚れてしまい、その隙を突かれて大敗を喫したが、それすらディーデリヒにとっては福音だ。
愛しい少女が笑ってくれる、この幸せが永遠に続けばいい。それだけがディーデリヒの願いだった。