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クラウディアの罪

 ディーデリヒを信じさせ、アドルフの言い逃れを封じるために、クラウディアは動かぬ証拠を集めることにした。

 しかし身体の弱いクラウディアには情報収集の手段も限られているし、なにより事前にアドルフに気取られてはならない。この調査は大いに難航した。


 まず、使用人のほとんどがクラウディアの母親のことをよく知らないのだ。一番の古株は、アドルフが結婚したころに雇用された執事や女中頭だが、それ以外の使用人はみなクラウディアが引き取られた後に雇われたらしい。情報源にはならなかった。

 執事と女中頭は“クラウディア”を知っていたようだが、二人の口は堅かった。クラウディアが母親のことを知りたがっていること自体には違和感を持たれなかったようだが、どうにかして彼らの口を割る方法を考えなければいけない。


 仕事が忙しく、家を空けがちなアドルフの留守を狙って本邸中を探し回った。これは、探検ごっこをしていると思ったディーデリヒの協力があったので比較的はかどったが、それでもアドルフと“クラウディア”の関係を示す証拠は見つからない。

 アドルフの書斎にも鍵がかかっていた。書斎の鍵は一本しかなく、アドルフが肌身離さず持っているらしい。侵入は諦めざるを得なかった。


 アドルフを嫌いになってしまうことを承知で、アドルフにぼろを出させようと思った。猫なで声で甘え、これまでかたくなだったことを詫びた。

 アドルフ達を破滅させようとしているのだから、自分が傷つく覚悟ぐらいは持たないといけないと思ったのだ。けれどアドルフは、優しい父親の顔をしたままだった。そんな彼に対して、自分からはしたない真似をする勇気は出なかった。


 調査には半年を費やしたが、ままごとの域を出ない稚拙な情報収集では何も証拠は出てこなかった。突破口は、やはり執事達しかいなかった。


 そこでクラウディアは切り札を用い、泣き落としに出ることにした。 


 アドルフの書斎にある、自分そっくりの少女の肖像画はなんなのか。

 母親の駆け落ち相手はアドルフだったのか。自分の実の父親はアドルフなのか。

 もしもそうなら、大好きなディーデリヒと結婚できなくなってしまう。

 涙ながらにそう訴えた。一歩間違えれば、執事達はクラウディアが事実を知っていることをアドルフに告げるし、そうなればアドルフはディーデリヒとクラウディアを引き離そうとするだろう。それでも他に手段がなかった。


 賭けは、クラウディアの勝ちだった。


 執事達は、アドルフには言わないよう懇願したうえで、彼らの知っていることを聞かせてくれた。そんな願い事をする以上、彼らがクラウディアの話をアドルフに伝えることもないだろう。


 いわく、“クラウディア”はこの家の先々代当主—クラウディアの祖父だという—の末娘で、愛人の子だ。

 いわく、もともと本邸に勤めていた使用人の話では、アドルフと“クラウディア”は幼いころからとても親しかったそうだ。だが、クラウディアが引き取られてアドルフが本邸に越した直後にその使用人達は全員クビになっていて、詳しいことはわからない。

 いわく、“クラウディア”は駆け落ちに失敗して隠居した祖父の別荘に預けられていたと言うが、そこで“クラウディア”の面倒を見ていたメイドがいるらしい。


 そのメイドに聞けば、何かわかるのではないか。クラウディアは執事達を頼って彼女を探し、アドルフが不在の時を狙ってひそかに招くことにした。


*


 元メイドの所在を突き止めたころには、すでに三年が経っていた。


 アドルフは相変わらず兄妹の善き父だったし、クラウディアが抱くディーデリヒへの想いは強まるばかりだった。ディーデリヒもだんだんとクラウディアを女性とみなしてきたようで、言動にわずかな照れが混じるようになった。


 仕事も家庭も大切にするアドルフへの敬意と抑えきれないディーデリヒへの恋心に苛まれたクラウディアは、半ば意地になっていた。いつしか彼女は大切な家族の破滅ではなく、あの日見たものを否定するために真実を求めるようになっていた。


「ああ……クラウディア様……」


 やってきたのは、盲目の老女だった。両目にひどい火傷の跡がある。クラウディアの声を聞いた瞬間、彼女はその場に崩れ落ちた。


「申し訳ございません、申し訳ございません! わたくしは貴方様に何もできませんでした、もしわたくしに逆らう勇気がありましたら、もっと早く貴方様をお助けできたでしょうに……!」


 おそらく彼女は、クラウディアに“クラウディア”を重ねてしまったのだろう。だが、その勘違いはクラウディアにとっては好都合だった。老婆の証言にどれほど証拠能力があるかは怪しいが、手掛かりにはなるはずだ。


「大丈夫よ、アンネ。わたくしは貴方を責めたくてここに呼んだわけではないわ」


 事前に聞いていた老女の名を呼んで背中をさすり、ソファへと誘導する。客間にはクラウディアとアンネしかいなかった。アンネははっとして、娘を通して母親を視てしまった無礼を詫びた。


「お声を聞いた途端、つい当時の記憶が……。クラウディア様はきっと、お顔立ちもあの方とよく似ていらっしゃるのでしょうね」

「……ねえ、アンネ。わたくしのことは、貴方の呼びやすい呼び方で呼んで構わないわ。だから母のことも、かつて呼んでいたように呼んでちょうだい」


 アンネは居住まいを正した。「かしこまりました、お嬢様」そして、ゆっくりと口を開く。


「お嬢様は、お父君についてお知りになりたがっているとうかがっております。……わたくしの口がどれほどおぞましい真実を紡いでも、受け入れてくださるお覚悟はございますでしょうか」

「心配なさらないで。わたくしも、ある程度は把握しているわ。貴方を呼んだのは、その確証がほしいだけなの」

「では、僭越ながら申し上げます。お嬢様のお父君は、大旦那様……ギュンター・フォン・エーデルロート様でございます」


 何を言われたのか、わからなかった。


「大旦那様に閉じ込められたクラウディア様は、いつも泣いておられました。けれどわたくしにだけ、秘密の言葉をささやくその時だけは、微笑んでおられたのです。“ディアがここにいることを、早くアディに教えてあげて”、“アディはいつ助けてくれるのかしら。今日かしら、それとも明日かしら。それまでディアは、いつまでも待てるのよ”……」 


 アディ。きっとアドルフのことだ。確かにアドルフは、妻の妹と密通していた。けれど、クラウディアの父親は。


「わたくしはずっと、クラウディア様を裏切っておりました。大旦那様に逆らえず、アディという方に会うことはおろか誰にもクラウディア様のことをお伝えできなかったのです」

 

 ギュンター・フォン・エーデルロート。それは祖父の名であるはずだ。

 アドルフが祖父を嫌っているのでどんな人物かはよく知らないが、たまに会うエーデルロート分家の人間がその名を口にしていた。


「アドルフ様と初めてお会いしたのは、クラウディア様の死後……お嬢様がお生まれになってすぐのことでした。アドルフ様はクラウディア様の受けた仕打ちを知って、報復を行ったのです。……わたくしは、自ら目を潰すことで命だけは見逃していただけました」


 ディーデリヒとクラウディアは、異母兄弟ではなかった。けれど、けれど。


「クラウディア様は、アドルフ様との間にお子がお一人いらっしゃるとおっしゃっていました。モニカ様に渡してしまったからもう自分の子ではないけれど、いつかあの子に会いたいと……」


 それなら、その子はどこにいる。

 いいや、予想はできた。モニカというのは伯母の名だ。伯父と伯母の間には、従兄むすこが一人いるじゃないか。伯父によく似た、美しい人が。


「わたくしは、これらの秘密を墓場まで持っていく所存です。お嬢様がすでにご存知と聞き、そのお覚悟に応えますため、初めて口を開きましたが……どうか、このことは他言無用になさってくださいませ」


 アンネが帰ったあと、クラウディアは熱を出して倒れた。クラウディアは、己が罪の名のもとに産まれたことをようやく知った。


 アドルフは、クラウディアを守るために父親を伏せていたのだ。真実を知ったところで、半血兄妹である事実は変わらなかった。

 何故、何故ディーデリヒに恋をしてしまったのだろう。何故、ディーデリヒはクラウディアに惹かれてしまっているのだろう。従兄妹ならまだ神の許しも得られたはずだ。けれど異父兄妹ではまずありえない。

 ディーデリヒの両親が、アドルフと“クラウディア”でなければ。クラウディアの両親が、祖父と“クラウディア”でさえなければ。この想いは、叶えられたのに。


 ――――嗚呼、この身に流れる血はあまりにも穢れすぎている。


「でも、どうしてわたくしだけが我慢しなければならないのかしら」


 医者も帰った深夜のことだ。誰もいない寝室に、クラウディアの声だけが響いた。


「お父様も、お母様も、おじいさまも、みんな自分勝手だったわ。わたくしだけが聞き分けのいい子でいる必要があって?」


 ディーデリヒとは結ばれないさだめにある。それは、自分達に流れる血のせいだ。けれど、ディーデリヒの想いは?


「ディー兄様が、許してくださるのなら……」


 涙が頬を伝う。口元にはいびつな笑みが浮かんだ。

 そうだ、あの日決めたじゃないか。家族を破滅させるのだと。どうせ潰える夢ならば、最期の時まで幸福を追い求めて何が悪いと言うのだろう。

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