起承転結というもの
自分の先のエッセイで、起承転結って構成として唯一無二の物じゃないんじゃないか、と書きました。
で、起承転結検索してwikipedia見てみたら…… なんか感じたことは全部書いてあったような。所詮素人が考えるようなことって、先人が気が付いているものです。
ぜひ一度wikipediaに目を通していただきたいと思うのですが、主要な内容としては
・起承転結は本来絶句において(のみ)用いられた構成の様式である
・起承転結は、「世界」一般では承認された様式ではない。むしろ問題点が指摘されている。
・日本においてのみ、初等教育で起承転結が(金科玉条のように)教えられている
といった感じのでしょうか
先のエッセイで、転における主題の提示が遅すぎて、展開しきれない、ということを書きましたが、これが脚本の三幕形式との比較による批判と合致しているような気がします。
日本では、小学校から「起承転結を意識して書け」と作文で指導されます。しかし、これは学術論文などを書く際には真っ先に否定される点です。小説についてなのですが、本来的には字数の極めて限られた絶句の展開に倣うよりは、シナリオライティングの三幕形式に従うほうがより自然な気がします。
ですので、作品を批判するのに「起承転結にのっとっていない」とすること、あるいは起承転結を過剰に意識して作品を書く(場合によってはこのために書けなくなる)というのは違うんじゃないかなあ、と思います。
昨今よくある短編詐欺なるものへの批判については、「起承転結にのっとっていない」という点から行うよりは、単に「一本の作品として完結していない」ということに基づくべきなのではないでしょうか。
日本人に叩き込まれている、「起承転結こそ至上」という意識は、一度見直してみるべきなんじゃないかな、と思ったりします。
最後に、起承転結がまさしく生きるジャンルの、最近発掘して気に入っているものを転載しておきます。本来、起承転結は、このような限られた(制約された)構成でこそ、生きるものではないかなあ。
なんて。
「薄明」
月の輝き
そよ吹く夜風
なびく花々
夜の谷
露を受けたる
青々とした
若き木の葉も
安らかに
過ぎ行くときの
たゆまぬ流れ
流れ流れて
夜はあけぬ
星の輝き
月の輝き
今はかすかな
夜の闇