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2睡目

 

 賢者が新たな体を得てから既に2日が経っていた。


 転生直後に寝床に選んだ切り株。

 無駄に寝心地の良いその上でずっと眠り続けていた賢者がようやく目を覚ます。

 目覚めたばかりでまだ霞む思考を振り払い、まずは魔力回路に魔力を巡らせる。

 滞りなく循環しているのを確認した後、やはり戻らない魔力の残りを使って一つの魔術を行使した。


 現れた氷柱が今まさにこちらへ走り出そうとしていた猪型の魔物の眉間に突き刺さる。

 そのままどさりと崩れ落ちた魔物を一瞥し、賢者は小さく詠唱を唱えた。


 薄緑色の膜が賢者を中心に広がり、空気に溶ける。

 基礎的な魔法の一つである"結界"であり、魔物を退ける効果を持つものだ。


 ここが魔物の出る森でもそうでなくても魔物避けの結界は張るのが基本である。

 それ専用の魔道具がある程の基本である。

 そんな基本を失念していたのはうっかりと言う他ない。

 前世では常に他の誰かが張っていた、転生直後は猛烈な眠気が襲っていた、などと言い訳するも、やはり最終的にはうっかりとしか言えず賢者は恥ずかしそうに頬を掻いた。


 さて、いつまでもこうしてはいられない。

 今し方倒した魔物の血の匂いに釣られて新たな魔物や動物がそのうちやってくるだろう。

 結界があるとしてもその対処は楽ではない。

 それに、と賢者は呟く。

 僅かに感じる喉の渇きにしばらく逡巡した後、賢者は渋々といった様子で立ち上がった。


 そうして足の裏に感じた柔らかい草の感触に、そう言えば服を着ていなかったことを思い出す。

 誰が見る訳でもないが、一応人として裸はまずいだろうと賢者は指先を一振りした。


 発動した魔術によって周囲の木々から枝や葉を集め、繊維から糸を紡ぎ、編み込む。

 気の遠くなるような作業だが魔術によってものの数分で服が形作られていく。

 そうして出来上がったのは飾りも何もない、非常にシンプルな上下。靴は諦めた。

 それらをいそいそと着て、賢者は一度だけ地面を踏み鳴らす。

 リンッと澄んだ、裸足から出たとは思えない音が広がり周囲の情報を賢者に伝えて行く。


 水場を見つけるため行使した探査の魔法に、水ではない小さな反応が2つ引っかかった。

 今なお動き続けるその反応はどんどんこちらに向かっている。


 とんでもなく大きい面倒事の気配に一瞬逃げ出したくなった賢者だが、今更踵を返したところでもう遅いことは他の何でもない賢者の魔法が示していた。

 溜息を吐き諦めて大人しく切り株に舞い戻る。

 そのまま待っていれば、程なくして現れたのは10歳ほどに見える少女だった。


「え!?あ、え、人!?あの、た、助けてくださべふぅ!?」


 賢者の姿を認めた少女が思わず駆け寄ろうとし、そして()()()()()()()

「何コレ……」と呟き強打した鼻を抑えながら倒れ込んだ少女が結界に触れようとしてパチリ、パチリと緑色の火花を散らしている。


 そんな少女に、賢者は瞠目していた。


 普段はぼんやりとした眠り目が物珍しそうに大きく瞬き、はっきりと現れた紫の瞳に好奇の色を隠しもせず少女の一挙手一投足を熟視している。


 ステータス魔法や鑑定魔法なんて便利なものなど存在しないこの世界では人と亜人を見分けることは難しい。

 ただし見分ける方法がない訳では無い。


 賢者が先程張った結界。

 正式な名称を"対魔物用移動式個人特定型結界術"と言う。読んで字のごとくである。

 それに弾かれることは、つまり少女が人ではないことを示していた。


 理解した少女の顔がさあっと青褪める。

 切り株の上で足を組んだまま見ているだけで何もしない賢者を警戒しながら、一歩、また一歩とじりじり少女が下がる。

 表情がよく変わるな、と少女を眺めていた賢者が徐につい、と少女の後方を指差した。


「俺よりもソレから逃げた方がいいんじゃないか?」

「え?」


 つられて振り返った少女の視線の先で、少女を追いかけて来たであろう狼型の魔物が涎を垂れ流しながらグルグルと唸りを上げていた。

 少女の倍は背丈があるその魔物に「ひっ」と小さく悲鳴を上げ駆け出そうとするが、すぐに賢者の張った結界に阻まれてしまう。

 この結界は賢者を中心として球型に広がっているので迂回すれば十分通れる。

 だが半径5m程とそこそこ大きさがあるものなので、すぐ後ろにまで魔物が迫っている少女にそれを避けて通る余裕はなかったし、賢者も少女のために結界を解除してやろうと言った気持ちは微塵もなかった。


「あ……」


 少女の藍色に煌めく大きな瞳が揺れる。

 もうダメだと言う絶望が頭を過ぎったのだろうか、そこから大粒の涙が零れようとしていた。

 だが少女はそれを乱暴に拭うと、視線は魔物から外さずに眦を決した様子で賢者に向け叫ぶ。


「あ、あの!図々しいお願いだって分かってます!ですが、もし私を殺す気がないのなら、助けてくれませんか!?」

「なぜ?」

「お兄ちゃんが、今1人で戦ってるんです!早く大人を呼んで来ないとお兄ちゃんが死んじゃうから……!」

「貴様が魔物であろうと魔族あろうと構わないが、助ける気は無い。自分でどうにかするんだな」

「そんな力私には無いんです!お願いします……!何でもしますから……!」


 結界に弾かれないようにその手前に立ち祈るように手を組む少女に賢者は少しだけ疑問を持つ。

 魔物避けの結界に弾かれているのを見る限り、少女は純粋な人間ではない。

 しかし魔物や魔族だった場合、少女程の年齢であれば結界を警戒して様子を見ている程度の魔物は容易く葬れる力を十分に持ち合わせているはず。

 つまり、少女は純粋な魔の者でもない。

 少しだけ、賢者の興味が戻ってきた。


 賢者が掲げた手の先に先程猪型の魔物を射貫いたものよりも鋭い氷柱が現れる。

 そうして撃ち出された氷柱は、その攻撃性の高さに思わず目を瞑った少女の横を素通りし、慌てて逃げようとした狼型の魔物の眉間を貫いた。

 腰が抜けたように座り込んだ少女が、どさりと音を立てて倒れる魔物を呆然と眺める。

 そこに結界を解いた賢者が近づき、少女の傍に立つと静かに問いかけた。


「兄はどこだ?」

「え?」

「貴様の兄だ。助けて欲しいのだろう?」

「は、はい!こっちです!」


 我に返った少女は慌てて立ち上がり、来た道を引き返す。

 あっという間に遠くなる少女に賢者は少し考えると、辺りを見回し手頃な木の枝を拾う。

 それについていた土を軽く払うと魔術で浮かせ、そこに腰掛けた。

 即席の空飛ぶ枝の完成だ。


 先程の探査の魔術に兄らしき反応がなかったことから彼はかなり離れた場所にいるのだろうが、あまり体力のない賢者は少女のスピードについていく自信も完走する自信もなかったため移動手段を用意したのである。


 空を飛び器用に木の隙間を縫って並走する賢者に少女は何か言いたそうにするが、兄を助ける事を優先し走ることに集中した。

 そうして走り続ける少女の鼻に微かだが血の臭いが届く。

 それとほぼ同時に賢者が氷柱を生み出した。


 走る二人の目の前の草木が揺れ、少年が飛び出してくる。

 体のあちこちが血で滲み、特に左腕に走った大きな切り傷が目を引いた。

 咄嗟に少女が叫ぶ。


「お兄ちゃん!」

「!?バカ!なんで戻ってきた!逃げろ!」


 少年がそう叫んだ瞬間、黒い何かが木の間から飛び出し少年に襲いかかった。

 しかしその横腹に向かって氷の槍が勢いよく飛び込む。

 それを紙一重で躱し再び森に紛れる魔物を見て賢者の眉間に皺が寄った。


「すばしっこいな」


 外れた槍と乗っていた枝を周囲に漂わせ、地面に降りた賢者は新たな魔術を行使する。

 現れたのは肉眼ではほとんど見えないほど細い水の糸。

 細かく振動しピアノ線のように少し触れただけで身を刻むその糸を細かく張り巡らせていく。

 ついでに少年と少女が余計なことをしないよう、彼らを結界で覆うことも忘れずに。


「お前、誰だ……?」

「うるさい。死にたくなければそこを動くな」


 あっさりと突き放され困惑する少年に少女が説明する。

 その間にも糸は増え続け、とうとう賢者達の周囲一体が凶器で出来た危険区域と化した。

 当てるのが難しいならば、自ら飛び込んでもらうまで。後は先程の魔物が飛び込んでくるのを待つだけである。

 なので賢者はダメ押しでもう一つ、魔法を唱えた。


「魔篝」


 何が起こるのかと見守る兄妹の前で、賢者の周りを囲うように篝火が現れる。

 特定の魔物を惹き寄せる香の役割を果たす篝火だ。


 案の定、次の瞬間には隠れて隙を窺っていた魔物が狂ったように飛び出してきた。

 はっきりと姿を現した豹型の魔物は、飛びかかった体勢のまま糸に触れたところからバラバラになり、ズズン…と沈む。


 魔物が完全に沈黙したのを確認した賢者が指先を一振りすると、煌々と燃え盛っていた篝火も、魔物の血でキラキラと光っていた水の糸も、出番がなかった氷の槍も全てが跡形もなく消える。

 そこで初めて賢者は兄妹に体を向けた。


魔法と魔術については、後ほど改めて説明する回がありますので今回は聞き流してください……。

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