1睡目
転生魔法。
それはこの世の森羅万象、輪廻の法則を捻じ曲げる禁術である。
その効果は絶大で挑戦する者は後を絶たない。
ただし、成功した例は限りなく少ない。
理由は3つ。
1つ、必要な魔力量が桁違いであり大抵の者は魔力を枯渇させて死に至る。
2つ、1000を超える魔法陣を描き上げる必要があり、当然一つのミスも許されない。しかしそれだけの魔法陣を一つ残らず正確に描き上げる技量を持つ者は少ない。
3つ、転生を望む者が神々の齎した法則を捻じ曲げるに値しない場合、世界の理により魔法陣は自壊する。
これらの理由により人類の最終課題とも言われる転生魔法だが、今ここに新たに転生魔法を行使しようとする者がいた。
木々も寝静まる真夜中、とある大森林の奥深く。
森の中に突如として現れた円形状の開けた空間に、月の明かりを受けてまるでその場所自体が淡く発光しているかのように、空気中を白い粒子がきらきら舞う。
その中に一つの人影が佇んでいた。
夜の闇よりも昏い黒髪に、まるで血を溶かし込んだような深く紅い瞳。
黒曜の賢者と呼ばれるこの魔術師は、ここに新たな人生への扉を構築した。
一片の不都合なく描き上げられた魔法陣は理を軽々と飛び越えて、発動の瞬間を今か今かと待ちわびている。しかし賢者はそれを押し止め、既に完成している陣にあれこれと付け加え始めた。
「まずは肉体……生命の維持は…………必要な……」
ぶつぶつと呟き200程の陣を加え、弄りすぎてもはや神の手を離れてしまったその魔法陣を前に、彼は漸く満足気に息をつく。
そして世界を巻き込み暴発する恐れすらあるそれを、賢者は何の躊躇いもなく発動した。
深夜の森に光が溢れる。
それは辺り一面を飲み込み、突然の衝撃に草木は慄き震え、動物たちは何事かと逃げ惑う。
同時に訪れた振動は光が収束した後も続き、近隣の国々にまで届いた。
振動に続き異常な魔力を感知した大国は、森へ隊を派遣する。
しかし苦労の末彼らが見つけたのは、森に開けた大きな大きな空間だけだった。
◇◆◇
──────。
─────────。
ふっと意識が浮上する。
目を開ければ、そこは先程──賢者の意識では先程──までいた深い深い森の中。
ただし開けた空間だった場所には若木が生え、行使したはずの陣は綺麗さっぱりなくなっていた。
起き上がり手を見る。元の手と比べると小さく、多少骨格は異なるが問題なく動く人の手だ。
次に身体を見る。丹念に調べ上げるが、裸であること以外特におかしなところは見当たらない。
最後に身体の内側を視る。
回路に通した魔力を通じて得られた情報に、賢者の瞳が僅かに見開いた。
己が転生魔法に費やした魔力の一部、賢者の保有する魔力の割合にしておよそ1/5が未だに存在し続けているのを感じたのだ。
魔力は魔法行使者と事象とを繋ぐ糸であり、一度に使用する量があまりにも多いと、霧散せずに暫くその場に留まることがある。
例えるならば、糸が縺れて解けずに玉になって残るように。
通常、魔力は使用すると魔素と呼ばれる粒子となり空気中に溶け込む。そうして減った魔力は新たな魔素を吸収、変換することで回復する。
一人の人間が扱える魔力の総量は器の大きさによって決まっており、魔力が散らずに留まっている間はいくら空気中に魔素があっても体内に吸収されず、魔力が回復することはない。
詰まるところ魔力を回復させるためには、使った魔力を一度魔素に還元する必要があるのだ。
大抵は時間と共に解決するのだが、転生に使用した賢者の魔力は時を経て未だなお魔素に還ってはいなかった。
驚きはしたが問題はない。
使える魔力は元の4/5になったが、普段の生活にはそれでも過剰だ。
それにこうなることはある程度予想出来ていた。ならなければいいとは思っていたが。
まあ、使えないものは仕方がない。
このまま大人しく回復を待とう。
急ぐ必要はない。
そう結論づけた賢者は徐に新たに得た肉体を起こし、そのまま一歩を踏み出した。
暫く歩き、日当たりの良い切り株を見つけ、嬉々として横たわる。
銀に輝く髪に、同じ色の睫。そこに深い紫苑の瞳を隠し、賢者は待ち望んだ眠りへと落ちて行った。