ずーっと以前に書いた創作怪談シリーズとショートショートシリーズ
機上の人
その女性は飛行機に乗っていたんだ。
ボーイング767ってやつ。国内線だよ。羽田から九州のほうへ親類の不幸があって、急いでいたからなんだ。
でも、その女性、本当は飛行機になんか乗りたくなかった。
それというのも、極端な高所恐怖症でね。
見晴らしのいいビルからの夕食なんて、喉も通らない。遊園地の観覧車なんか拷問以外の何物でもないっていうぐらいなもので。
それでも、お世話になった親類の告別式だったから行かないわけにもいかなくて、仕方無く飛行機に乗ったってわけだ。
もちろん、初めてのことだったよ。
その人は、主婦でね。歳の方はっていうと50に手が届くくらいだったんだけど、それまでね、飛行機には一度も乗ったことが無かった。いや、避けていたと言うべきかもしれない。
でも、とにかく、飛行機には乗っていた。
シートベルト着用のサインが消えても、それでもシートベルトを外さずに、じっと手元の雑誌を読もうとするんだけれど、ちょっとした揺れにも脂汗を浮かべてね、我慢していた。
その日は、いつになく空いていた。
空席も目立っていて、飛行機の中は静かだった。
そこにね、一人、その中年の女性の所にね、男が近寄ってきて、こう言ったんだ。
「どうされましたか?」
ふと見ると、その人、制服を着ている。パイロットだったんだ。
「いえ、わたしは高い所が苦手なんです」
そう答えたんだ。
「大丈夫ですよ」
そう微笑むと、開いていたおばさんの隣の席に座ったんだ、そのパイロットは。
「ちょっと今日は天気が良くないので、少し、揺れていますけど。でも大丈夫ですよ」
そう言って、再び微笑んだ。
「でも、この間も飛行機が落ちましたでしょう?」
おばさん、パイロットにそう言ったんだ。すると、
「ありえませんよ。この飛行機は世界中でもっとも安全な飛行機です。世界中で一番」
そう言うとね、もう一度にっこりと微笑んで立ち上がり、それから立ち去っていったんだ。おばさんね、その時、そのパイロットの顔、誰かに似ているな、そう思ったそうだよ。でも、飛行機を操縦しているパイロットに直接、話が出来たから、少しだけ安心したそうだよ。落ち着いた、好感の持てる人だったから。
それで、飛行機は無事に目的地に着いたんだ。
その日は、天候が悪くてね、実を言うと、その便が最後のフライトだったらしいんだけどね。何事もなく飛行機は目的地に着いた。
それでね、おばさんはほっとして空港のロビーで迎えの人を待っていたんだ。
でも、その迎えが少し遅れていてね。天気が悪いでしょう、だから道路も渋滞していたんだね。
時間を持て余していたから、持って来た雑誌を再び開いてね、それを読み始めたんだ。飛行機の中では全然、頭の中に入らなかったものだから、ね。
で、ぱっとページを開いたら、飛行機の事故が載っていた。先日の墜落事故。
「なんでまた私はこんな記事の載っている雑誌を持って飛行機に乗ったのかしらねえ」
そう思いながら、雑誌を読めるような状況ではなかったことに実は感謝さえしていたんだよ。そんな記事をね、機内で読んでいたら、それこそ気が狂っていたかもしれないって思ってね。
でね、おばさん、ふと気が付いた。
写真が載っている。航空機の残骸。それからパイロットの写真。
そのパイロットの写真、おばさんが機内で話した、そのパイロットにそっくりだったそうだよ。
ひょっとするとね、そのパイロット、死んでしまっても、仲間のパイロットや飛行機を守るために、ずうっと乗り続けているのかも、しれないな、ふとおばさん、そう思ったそうだよ。