マッハは速さの単位じゃない
タイトル落ち。です。
以上。
で終わったらあんまりなので、あとはちょっとした薀蓄を。
マッハは速さの単位ではありません。
特に、『小惑星探査機アケボノはマッハ50という速さで地球に向けて進んでいます』なんて表現を見ると、苦笑するしかない。
(なんだアケボノって)
マッハというのは、宇宙論から応用力学まで幅広い分野で活躍した科学者の名前です。その人の名前を使ったのが、マッハ数。
念のために書いておきますが、マッハ数というのは『単位』ではありません。正確に記すのであれば『無次元数』という『系の何らかの特性を説明するために考え出された次元(単位)を持たない数』です。
無次元数というのは数多ありますし、実のところ、誰でも新しく作ることができます。あるシステムの中で、そのシステムを特徴付けているいくつかの単位を持った数を組み合わせ、乗除累乗根を駆使して単位をお互いに打ち消すことに成功すれば、無次元数の完成。それがどんな意味を持つのかは分かりませんが(笑)。
ちなみに、今現在国際的に合意されている基本単位は7つ。
長さ メートル m
質量 キログラム kg
時間 秒 s
電流 アンペア A
温度 ケルビン K
光度 カンデラ cd
物質量 モル mol
たとえば、『あなたが自転車で走っている系』を何らかの無次元数で表してみましょう。走っている速度をv[m/s]、自転車の長さをl[m]、あなたの心拍数をb[1/s]とすると、v/lbが無次元になります。自転車が速くなると大きくなり自転車が伸びたりあなたの心拍数が上がると小さくなる数字。なんとなく、『どのくらいコンパクトで楽に、速く進める自転車か』ということをあらわしている数字のようです。これを『ラクチン数』と名づけましょう。全長2メートル、心拍毎秒1回で秒速3メートル(約、時速10キロメートル)で走る自転車のラクチン数は1.5。自転車の技術革新が無ければきっとラクチン数は変わらないでしょう。では、全長20メートルの巨人用自転車があった場合、巨人は同じ努力(心拍毎秒1回)でどのくらいの速さで進めるか。ラクチン数=1.5の前提が変わらなければ、毎秒30メートルで進めることになります。時速100キロメートルです。
……と、こんな感じで、『無次元数』を使えば、未知の系についてある程度の予想を立てることができます。さらに、実績が伴えば、未知の系で起こる事象をかなり正確に予測できるようにさえなります。これが無次元数の威力。
マッハ数はそんな無次元数のひとつ。正確に記すと、ある流体系における流れの速さをv、音速をaとしたとき、マッハ数=v/aです。簡単ですね。
あれれ、じゃあやっぱり、マッハ数は『音速の何倍か』を表す数字じゃん、となりますが、いいえ、違います。なぜなら、系の音速aは、変・化・す・る・からです。
音速aは、流体の密度や温度や圧力や、もちろん流体を構成する物質の種類、その他もろもろの条件で変わってきます。たとえば、気温や気圧が下がっていくと音速はどんどん遅くなっていきます。気圧ほぼゼロの宇宙では音速はほぼゼロです。宇宙を飛ぶ宇宙船のマッハ数は、したがって、きわめて大きくなります。また、理想的な流体は音速が無限大で、マッハ数は常にゼロになります。
音、というのは、流体が伸びたり縮んだりして伝わっている、ということをふわっとでも聞いたことがないでしょうか。流体=空気が伸びたり縮んだりすることが音であり、音速というのはその伸び縮みのしやすさ(しにくさ)、ということができます。そこに何か物体を投入する。その物体が動く。逆に見れば、その物体の周りを流体が動く、という現象です。理想的な流体であれば、伸び縮みは起こりません。物体が存在するという情報は即座に流体の最上流にまで伝わり、流体全体が最適な効率で物体を避けて通ります。一方、少しでも伸び縮みする能力があると、物体が存在するという情報は流体自身が伸びたり縮んだりしながらゆっくりと上流に伝わっていきます。そのため、物体を華麗に避けるのには少し間に合わないタイミングになってしまったりすることで、物体表面に流体がぶつかり、発熱が起こったりします。発熱=エネルギーの損失です。
流体の流れる速さが音速よりも速いとどうなるでしょう。伸び縮みで上流に伝わろうとした物体の情報は、伝わる速度よりも速く下流に押し流されてしまいます。つまり、上流には物体が存在するという情報がまったく伝わりません。上流から流れてきた流体の構成分子は、何の準備も無く物体に衝突し、全エネルギーを熱として失ってしまうのです。
つまり、マッハ数というのは、『どのくらい流体の伸び縮みのしやすさが流れに(悪)影響を与えるか』の指標として考え出されたものなんです。マッハ数が大きいほど相対的に伸び縮みしやすく、きれいな流れよりも何かしら無駄が生じるということです。そんな中でも、マッハ数が『1』を超えたところがもっとも顕著な影響があり、流体が予備情報なしで物体にぶつかるという最悪の現象が起こり始める分岐点となります。これが音速の壁。超音速航空機がみんなやたらととんがった形なのは、『空気が予備情報なしでぶつかってくる面積をなるべく小さくしよう』という発想に基づくものなんですね。
宇宙では、ほぼ音は伝わりません。マッハ数は無限大に近い極大数。なので、あらゆる星間物質は予備情報なしで宇宙船に襲い掛かります。濃い星間雲ではある程度小さいマッハ数で、でも大量の物質が襲い掛かります。こういう場所では、宇宙船が危機にさらされる程度としてマッハ数は正しく計測されるべきで、地球の地表の室温で計測した音速で宇宙船の速度を割ったマッハ数で宇宙船の速度を表す、なんてことをしちゃダメ。なんです。
この『無次元数で考える』というのは、破綻しない法則を考え出すのに便利な考え方なので、『保存則を考える』と合わせて、ハードなSFをご検討の方にオススメです。