熱力学の話
熱力学。
熱いよ。
SF書き界隈ではむしろ触るとやけどするネタ扱いされているのが熱力学。ライトな方面でそれっぽい理屈付けに使われることのほうが多かったりしそうなイメージ。
何を隠そう学生時代の研究は広い意味で熱力学だったので、割と詳しいよ。
細かいことを言うと熱流体力学、超流動運動方程式の常流動流体界面における境界条件の定式化とかなんとかこれ以上は身バレするので勘弁。
まず熱力学というと最初に『エントロピー』という言葉を思い浮かべる諸氏が多いと思うので、ここで驚愕の事実を発表しよう。
エントロピーは増大しない!!!!
驚愕した? 震撼した? 全米が震撼した?
ねえ。エントロピーと言えば増大。枕詞です。
実は、エントロピーってのは、『状態量』なんです。特定の平衡状態においては、変化しない(特定の値を持つ)量なんです。変化しちゃだめ。まずここを勘違いしちゃうと、熱力学の深遠な世界にはたどり着けないのです。別にたどり着きたくもないでしょうけど。
エントロピーが増大してるってことは、系が変化してるってこと。一方で、閉じた系の中でも、いったん増大したエントロピーが元通りに戻る過程もあるんです。頭の中にね(笑)。
要するに、系の状態があれこれ変われば、それにしたがって変化するだけの量なんですよ、エントロピーってのは。だから、まったく同じ状態の系を作れば、エントロピーの値はまったく同じ。それをほっとくと勝手に増えるかっていうと、もちろん増えたりしない。系を変化させないのならエントロピーは増えも減りもしない。『状態量』だから。そういうものです。
現実には、ある過程で平衡状態の位置がずれてエントロピーが増えてしまうと、外からエネルギーを加えない限りどうしてもエントロピーを元通りにする過程を実現できない。ずれちゃった平衡状態の位置を元通りに戻せない。温度、圧力、云々の量が、どうしても元の位置に戻れない。また、閉じた系に限って言えば、非平衡の状態は、必ず平衡状態よりもエントロピーが低い。だから、平衡状態に落ち着くと、その系のエントロピーは常に最大になるんです。これを、エントロピー増大と言っているんですけど、エントロピー増大の法則って言うとその字面だけで『乱雑さが増えるんです』みたいな解釈までで止まっちゃうんですよね。
一方で、もうちょっと別の考え方をしてみます。エントロピーという状態量が表しているものは一体なんなのか? ということ。
『乱雑さ』と説明する乱雑な文脈ももちろんありますけど、熱力学的に正しくこれを説明すると、こうなります。
『その状態に含まれている熱(=エネルギー)の価値』
少し雑に定義しちゃいますが、エントロピーは、熱が分子、温度が分母。(正確には基底状態からの積分量)
同じ熱量があるとして、ものすごく温度の高い物質が持っている熱量と、ものすごく温度が低い物質が持っている熱量、どっちが役に立ちますか? (※同じ温度でも熱量は異なります。密度とか比熱とかそういう話です)
答は、当然ながら、『温度が高い熱量』の方が役に立ちます。
と言うのも、ある熱量に仕事をさせようとする場合、『温度差』を生じさせなければなりません。エンジンが動くのも風が吹くのも、温度差があるからです。熱は温度が高いところから低いところに流れると決まっています。熱がそうやって流れるときに、流れ落ちる水が水車を回すように、熱から仕事が生まれるんです。でも、流れる水のすべてを水車の動力にはつかえませんよね。どちらかと言うと大半の水は下方に捨てちゃってる。熱も同じ。どうやっても、最低限の熱は低いほうに流れ落ちてしまうんですね。そして、低い温度の物質が持つ熱量は、それがいくら膨大でも、流す相手が限られてきます。それに比較すれば、高い温度の熱量は熱を流せる相手がよりたくさんいます。価値が高いのは、当然後者なんです。高いところに貯めた水の方が同じ水でも価値が高いのと同じです。
さて、エントロピーは、分子が熱、分母が温度。つまり、『価値の高い熱ほどエントロピーの値は小さい』ということになります。エントロピーは、熱の『価値の無さ』なんです。
そして、熱は総じて価値のある状態から価値の無い状態への移動しかできない、というのが、エントロピー増大の法則の真実です。
さてここまでで、熱力学の重要な二法則のエッセンスがほとんど出てきました。
・熱の無いところから仕事を取り出すことはできない。
・熱を温度が高いところから低いところに捨てることなく仕事を取り出すことはできない。
これらがそれぞれ、第一法則、第二法則と呼ばれているんですね。あくまで熱に仕事をさせる(熱を原因とした状態の変化が起こる)ときの法則であって、宇宙では自然にエントロピーが増えているんだ、なんてことを主張する法則ではないんです。もちろん、宇宙は定常状態ではないというのがほぼ定説ですから、定常ではない→エントロピーは増えている、という結論を導くことはできます。
ちなみに、第二法則は証明されていません。証明と言うか、基礎法則からの導出ができていません。あくまで経験則。ただ、それを破る事象が今のところ無いという事実が、ひとつの証明ではありますが、おそらくこの第二法則は永遠に仮説であり続けると思います。
※第一法則は分子運動とエネルギー保存則で説明できます。
閉じた系での自発的エントロピーの減少を発見した、なんていう導入部からのひとネタ、SF的にはある意味『大喜利の定番ネタ』なので、ぜひ一本書いてみてください(←コラ)。